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人類、いよいよ気づき始める「社会のほうが根本的に間違ってるっぽい」
「障害の社会モデル」 ※首相官邸HPより

「障害=バリア」は、社会(モノ、環境、人的環境等)と心身機能の障害があいまってつくりだされているものであることを、『障害の社会モデル』といいます。
※「障害の社会モデル」に対して、障害は個人の心身機能の障害によるものであるという考えを「医学モデル」といいます。

*「障害者の権利に関する条約」 での位置付け
「障害の社会モデル」の考え方は、2006年に国連総会において採択された「障害者の権利に関する条約」に示されています。
日本では、これを2014年に批准しており、この考え方に基づく対応が法的にも求められていまこの「障害」を取り除き、また取り除くための手助けをして、差別を行わず、多様な人々とのコミュニケーションをする力を磨き、行動をすることが「心のバリアフリー」の目指す共生社会に求められています。

出典:https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/udsuisin/pdf/kyo02.pdf
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反応&感想

これはマジでそう
そりゃそうだw
10年位前に、アメリカの小学生男児の1/8とどっかで読んだが今は1/4にまでインフレしてんのか
ああ、だからアメリカの文献とかで、従来は発達障害とか自閉症スペクトラムとか呼ばれてたようなカテゴリーの人達がまとめて「neurodiversity(神経多様性)」と称されるようになってるのか。
「これほど多くの人間を“障害”と定義するほど生活に困難を抱えさせてしまうのは社会の方が根本的に間違っている」

だよなぁ。

「障害」というのは単なる定義の問題ではなくて「生活に困難を抱える」という事実があってこそだし。
求められる人間の能力の幅が高く狭くなり過ぎてるのかね?

先輩営業マンの昔の話とか聞いてると、今ほど時間管理や資料作成・事務能力とか求められていなく、専門の部隊が担ってくれたりしたみたいだし。

今は営業一人が全部やるしなぁ
業務だけでなく契約や売買システムでさえ常人では対処できないレベルに複雑化し過ぎている、みたいな感じになってるのかな?分業とマニュアル化の進みまくっている筈のアメリカでそれだと、他国はそりゃ左前になるわな。
健常者の足切りラインが時代とともに上がってる感はある
晴れれば畑を耕して、雨が降れば家で草履編んで暮らしてた頃なら、若干ぼんやりした人でも『普通』でいられたが、今じゃ多少偏屈な人、過敏な人もまとめて障害者ラベル貼られておしまい
ツイートの主旨はよくわかるけれども、25%というのはだいぶ盛ってはいないだろうか。
仮にこれが視力検査の話で児童の25%は眼鏡による視力の矯正が必要だという話ならば、社会が間違っているとかの議論にはならないと思う。どちらも心身の環境への不適応という意味では同質なのに、導かれる結論が違うのはなぜか。
おなじような頻度の軽度視覚障碍(近眼とか老眼)をもつ人を社会は「障碍者」とみなしてないですもんね。
人格や認知の方向性はよく言われる通りスペクトラムであって、実際に治療が必要なのは5%程度、とは言われるけど。問題は数字じゃないのよね。
だからと言って社会設計はすぐに変わらんし救済もないよ
いま生きづらい人はこういう情報で安心せずに生きやすくなる努力しとかないと人生詰むよ
障害とはなにかについて考えさせられますね。
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