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「障害の社会モデル」のわかりやすい解説、見つかる
障害の社会モデル

「障害=バリア」は、社会(モノ、環境、人的環境等) と心身機能の障害があいまってつくりだされているも のであることを、『障害の社会モデル』といいます。
※「障害の社会モデル」に対して、障害は個人の心身 機能の障害によるものであるという考えを「医学 モデル」といいます。
出典:首相官邸HP(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/udsuisin/pdf/kyo02.pdf)
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反応&感想

すっっっっっごく分かりやすい、「障害の社会モデル」の説明。
障害の社会モデルの考え方なんよ〜〜
障害とは、機能の欠損という意味にあらず、それが原因で「この社会で生きてゆくのに困難がある」ということである。
インペアメントとディサビリティの話だ。「能力そのものがない」ことと「その能力がないことによって不適用が起こること」は異なるのよなぁ
健常者って、マジョリティのことなんやな。
障害を説明する素晴らしい例え。

障害は、優劣の問題ではなくて、その特性を持つ人の数の問題。

何でも数の多い側に合わせてできているので、数の少ない側が常に不便を強いられ、「できない人」にされてしまっている。
音波の波長(音程)の違いが分からなくても障害とは呼ばれないが、光の波長(色)の違いが分からないと色覚障害と呼ばれる。
この違いは一重に社会の設計によるものである。
色覚障害を"色覚多様性"と改訂したのも、この考え方によるのだろう。
絶対音感が無い人が障害者とされる世界。音楽が言語になっていて、アイドルやバンドが華やかに歌ったり踊ったり演奏したりして社会的地位を確立している。一方、抑圧されていた音感障害者はコンピュータ上で視覚的に音譜を表すことで音感を手にする。DTMが福祉になっている―というようなSFを書けそう
視力検査みたいな感覚で、音量の小ささや高音・低音のどこまでで絶対音感できるのか検査される世界
絶対音感がない人には、音がわかるイヤホンやスマートウォッチがありそうだね
この方の言いたいことは理解した上で、うんちくを披露するのだ。
絶対音感って音の認識の仕方が違うってだけで別にプラスワンの特殊能力って訳ではないのだ。
絶対音感は音を一つ一つの音程で認識しているのだ。みんなが持ってる相対音感は基準となる音に対する音の距離で音の高さを認識してるのだ。
だから相対音感が自然とできるカラオケのキー変更が、絶対音感には難しかったり、変に聴こえたりするのだ。絶対音感の方が音楽的に優れているとは必ずしも限らないのだ。お互い一長一短なのだ。
そして相対音感も訓練すれば、絶対音感に近いことができるようになるのだ。
歌や管楽器の人間から見ると、絶対音感保有者はダイレクトには抽象化した意味(音程配列や旋律概形、スケールにマッピングした配列)として聴こえないということなので、むしろ「聴覚的ディスレクシア」とも呼べそうな気がする。

日本語を全部片仮名として聴いているようなもんではなかろうか。
実際、絶対音感がある方が障害みたいなところはある
集中したい時に限って雑音がカタカナの音階で脳内を横切る
絶対音感は多くの人が区別していない音を区別出来るということだが、逆にいうと多くの人が同じ音と見做している音が違うように聞こえるということなのでは無いか。
絶対色覚がある人にとって信号機の色がどれもバラバラなのが不便なのかも。
つまり、どちらの能力が社会に適しているのかが重要なのか。
ハンディキャップが社会と個人のギャップにあることの喩えだが、絶対音感はむしろ「相対音感の発達の抑制」であるとも考えられるので例としてどうか

…と思ったのだが、「『能力』も『能力の欠如』も社会との相対で決まる、というとこまで含意してるなら確かにそうだ (cf. ウェルズ『盲人国』)
逆に絶対音感の人ばかりだとカラオケで「キーを変える」という概念が無かったり、半音あげただけで全く別の曲として認識される世界になってただろうな
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