sinjinrui
昭和末期の若手社員が『新人類』と呼ばれた理由がこれ
新人類(しんじんるい)とは、栗本慎一郎が作り出した造語[1]で、1980年代に用いられた。
1979年頃からテレビやラジオ、大衆週刊誌などのマスメディアでも広く使われ、当時の若者を「従来とは異なった感性や価値観、行動規範を持っている」と規定し、否定的にも肯定的にも(要するに、都合良く)扱った。
また、現在では後節のようにマーケティング上の世代区分の名称としても使用されている。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/
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反応&感想

これ、精神障がいの症状だと思うので入社前に上司に“合理的配慮”としてお願いしたやつです。
「あれをやって」「それはダメ」と言われた時に「何故?」と尋ねると“反抗”とみなす方が多いなと感じていたので。時代でしょうかね。
「理由を聞く質問」が変だから、言い換えると「理由を考える事が忌避される文化」が
JTCが体育会系を重用する理由がこれか……。
体育会系は指示に対し質問したりしないからな
理由を問うと「反抗的」と受け取り、挙句若手に「新人類」などとラベルを貼る方がコミュニケーション上問題だと思う。
自分も課題と背景説明の無い具体的な指示って苦手なんですよね。

今のゆとり世代以降は、課題解決のための総合的な学習って教育を受けたからより顕著なんじゃないかな。つまり具体的な指示出しより、課題や目的と背景を説明して「あとは良い感じにやっといて〜」の方が喜ばれるし動きやすい。
更なる逆転を言えば、現在は目的意識を持って行動するという事を望まれている状態。
平成以降に入社した人が中間管理職や指導員以上なっている状況で、現在の若手社員に「何故その様に思ったのか?」を問うと、その若手社員は「何が間違っていたのか」と否定的にとらえてしまう状況。
30代より下は旧人類に教えを乞わなくていい幸せな世代なのかなと。
ASDに関わらず聞いてもOKですが「伝え方は大切」という考えに至っています。
同じ気質同士でも真顔で詰問口調で聞かれ辟易したことがあり、しかも後のフォローが無いんですよね。
有難うございます、お陰様で解りました。とか、違う解釈してたので助かりました等…。
勿論信頼関係の有無も大きいですが。
・定型は会話において、改まった相手に対し「不躾な質問」をしない
・不躾な質問とは、相手に心理的負荷を与える質問のこと
・「なぜ、どうして」は、定型にとっては詰問調に聞こえて心理的負荷を与えることがある
・定型は通常、何か作業をするにあたり理由を必要としない

このあたりが重要ですね。
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