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ユングの言葉、アラサー・中年にぶっ刺さる
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反応&感想

ななしさん@発達中
これは、ドキッとしますね。
ハイ!頭引っ叩かれて、下り坂を歩いてるのにようやく気付いた鈍感がここに一人
本当に、あの頃確かに登っていたはずなのに、いつのまにか下っている。下っている、という感覚が気づいたら芽生えている。
ふと立ち止まると既に入っている事に気づく程、当たり前に踏み出してる気がします。終焉を迎える日までその繰り返しなんだろうなぁ。
なるほどなあ。自分は40過ぎて後半戦を体感するようになった。チャレンジ精神は持ち続けておきたいけど、体力やら脳の処理速度などは正直に出るので、撤退戦の意識は必要と思う。
私は50代位まではピンとこなかったけれど60代になって自分の残り時間を考えだしたよ
いまちょうど準備不足を痛感しています。
スキルままだ上がるが身体が付いて来ない。故障する。
まだ間に合う諸兄は、歩く、プール、ラジオ体操、何でもいい。とにかく運動を日常ルーティーンに組み込むんだ。
備蓄が無いと踏ん張りが利かず総崩れになるぞ。
体力は気が付くと底をついている。
人生の午後……。含蓄あるフレーズ。
ななしさん@発達中
齢50のいま、下山が始まっているのかも…
まん丸なようなバランスある「本当の自己」に出会う、さらなる成長への旅でもありますよね・・と大学授業で教わりました・・・
人生を午前と午後に分けるなら 午前にはとにかくいろいろ経験するんです 
ある時点でそれまでの経験を考え始めるメタな私が生まれ午後が始まる 
それは成長の始まりでもあります
 生きる限り経験は続き自分を見る自分(メタ私)がいるなら成長に終わりはありません 
老いと体の終わりがあるだけかと
自分の成長が終わってそろそろ店じまい準備するかと思っていたところで、子どもができた人生の午後
登山を嗜んでいる身からすると、登山は下山も楽しい。
だからきっと人生の下山も楽しいものなのだと思う。
山が終わる時、寂しいような、けれどとてつもない達成感を感じる。
山が低くても、高くても、ゆっくりでも、早くてもその瞬間は山と自分だけの関係。
人生が終わる時、そんな気持ちになりたい。
死生観というか
「もし自分の残り時間があとこれくらいだとしたら…」
ということを年齢に関わらず一度しっかり考えておくというか
自分の中で準備しておくというのは
人生は一度きりということをリアルに感じる為には
絶対に必要なことなのかもしれない
「深い準備」というのはそこにしかない気もする
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