23573761_s
誰かの世話になり、助けてもらうことが「劣等感と屈辱」に変わる人の心理
スポンサーリンク


反応&感想

石川啄木もこんな詩を読んでましたね

「一度でも 我に頭を 下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと」
第二次大戦のころアメリカ人社会学者が日本人を研究して書いたっていう『菊と刀』にも書いてたな。
日本人の「恩」というのは、返さねばならない「負債」であり、恥辱なんだと。
中央公論社の「世界の歴史」(旧版)15巻「ファシズムと第二次大戦」の巻頭で描かれる少年時代のヒトラーがまさにこれだった。
貧困家庭出身で、同じ地域に暮らしていたユダヤ人に大変世話になったというのだが、それが屈辱だったと。
実際こういう思考をする連中は一定数いるから注意は必要なのよね。
普通の人でも一方的に貸しを与えすぎると恩が反転して恨みの念になるというケースもあるからバランスは大事…。
「人を率いていくほどのものならば、
常に考慮しておくべきことのひとつは、
人の恨みは悪行からだけでなく
善行からも生まれるということである。」

マキャベリ
なるほどねぇ、、、
手を差し伸べてくれた人を攻撃するのはこういう思考という可能性もあるのね、、、
これ、 悔しいの段階まで行ったときに、それをバネにして「自分に」ハッパをかければむちゃくちゃ格が高くなる。
小人は恨みの感情を他人に向けるからいつまでたっても小物なまま。
悔しいまでは行く。
一方で「田舎のオッサンに泣いてキレた話」みたいに一回お金を借りたら返済し終わってもマウントし続ける人間も実際居るわけで。
こういうものは情とか抜いてビジネスライクに行くのが一番良いのか。
助けてもらったら、その人がピンチの時に助け返す。
または、自分と同じ問題で苦しんでいる人を助ける。
自分はこれをできる範囲で実践しているせいか、助けてもらったときに屈辱とか敗北とかは感じたことないですね。
これを教えてくれた両親に感謝!!
スポンサーリンク

\他サイト様最新記事/
\新刊ランキング/