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Twitter民、気づく「健全な関係って”少し冷たく感じる”ものなんだ」
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反応&感想

そっか…
やっぱりそうなのか
冷たく感じるくらいが「健全」
これめちゃくちゃわかーる!
健全な関わりをしてくれる人に対して無駄に怖くなったり不安になっていた
少しだけ冷たい、わかりみがあり過ぎです!
その冷たいは、その人たちには当たり前なんですよね
そうなんですよね。「健全な関係」って「お互いに嫌なことをNoと言っても関係が崩れない」んですよ。
「全てを許す」とか「全てをうけいれる」とか、「自分を犠牲にして」とかは美談にされがちだが健全ではない。
私も健全な関係がわかり始めるまで時間がかかった。

「自分は自分、人は人」という感覚。

不健全になって(境界線を越えて)しまうのは、相手から与えてほしいものがあるからなんだよね。でも、自分で自分を満たせるようになると、自由で元気に生きられる。

私はまだまだ健全への伸びしろがありそう。
健全な人って情報や感情を適度な距離で相手に取りやすいようにキャッチボールし合うのが基本だからそれを「冷たい」と感じる感覚がそもそもない。

心に抱えきれないものを持ってる人はもうキャッチボールどころじゃないから
人類補完計画みたいにドロドロに溶け合って共有しようとするのかなって感じる。
先輩がまさしくこれで、出会って間もない頃は「なんて冷たい人なんだろう」って思ってたんだけど、そこから15年の時を経て「ああこの人まともだったんだ」と理解しましたwww
私は不機嫌な人の顔色を窺うタイプですが、

「健全」な人は、他人が不機嫌になったとしても動揺せず
機嫌取りに必死にならず、
相手がクールダウンするまで距離を置くと初めて聞いたときは驚きでした。

健全な人間関係はまず自身の安定からなんだなと今はわかる
これは「吠える犬に合わせて人は動いてはいけない」と同じ質の事ではあるんですよね...

未熟者の不適切行動に合わせると相手を増長させちゃうから。

不機嫌で人を動かそうとする人も未熟なんで、それで動いてはいけない。
これ、不機嫌を撒き散らす側がそうさせるようなニュアンスで語られがちなことですが
実は機嫌取りに動く側が「自分がその人の機嫌をコントロール可能である」という感覚があることも大きな要素のひとつなんですよね。
適切な距離を取れる人は「不機嫌を治すのも治すかどうか決めるのも自分じゃない」ってなるんですよね。自分の支配下に置けるとは思わない。
自分と相手の間に線を引いて、「あなたはあなた、私は私」ができる人、
一見冷たく見えてもそれが結果的に自分と相手の心を守る方法だと経験的にわかってるんだろうな、
と。
例えば職場だと無理なくできるのに家庭になるとそれができない人もいたりするから、境界線の問題は難しい。
だからこそ「健全」な関係だけをずっと続けていこうとすると続かなくなるんだよなぁ…

早めに刺激的なことも受け入れられる関係にならないと続かないということを考えると…
引リツ見ててもバランス難しそうだな……という感想を抱いてしまう。むずかしいねえ。
面白くなさそうだがそれが細く長く繋がっていられる秘訣なのかもなぁ。
だとしたら一生「不健全」でいいや。
表面的にうまくやって、相手に潜む闇や汚い部分を見ないでいるなんて恐ろしい。
別に不健全な関係でも良くね?
友達親子は良くないとか依存し合った恋人関係、夫婦関係は良くないとか
そんな世間が勝手に決めた健全、不健全な関係なんて知ったこっちゃない
当人たちがそれで満たされていい関係だとお互いに思えてたらそれで良いと思うんだよな
実際、本当に相手に対して冷めた方もいるので信頼して良いか考えることがあります。
情の無さというか。
動物や社会問題に対して全く興味がなかったり、
疎遠になっていた場合の自分都合の唐突の連絡や、相手都合無視のノリだったり。
共感力に乏しい健常者の人特有の接し方に、翻弄される方もいます。
その少しだけ冷たく感じるの距離感が悲しくて(たぶん人に甘えられなかったから)ベタベタに行きそうになるんだけど自分で抱え込みすぎて鬱になるの繰り返し。
不健康の前に不健全だよなたしかに、そんなこと考えてたらまた鬱になりかけてきたひぬ
境界線、大事ですよね。

境界線を引くのが下手な人の親切は、一見すると「いい人!」ってなるけど、のちのちにトラブルになりがち。

そして人生、親しい相手とは、
時には線を引きつつ「あえて、互いに一歩踏み込む」のが必要な時もある

(傷ついたりトラブルもある程度背負うリスク覚悟で)
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