日本語の一人称、改めて見るととんでもないと話題に

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反応&感想

確かにね、日本語の一人称のバリエーション
えげつないよね・・・(´・ω・`)
まだあったりします…
拙宅とか、某とか…
たぶん他にも…
日本語を1から勉強したからめちゃくちゃ分かるw

あとは教科書には「おはようございます」しか教えてくれないから「おはよう」て言われても最初はわからない( ; ; )
日本語は役割語が豊富。イマジナリーおじいちゃん:1人称「わし」、語尾「じゃ」。普通の忍者「拙者」「ござる」。七代目火影「俺」「てばよ」。
@KoalaEnglish180 我輩は猫である
→ I am a cat.

わたくし、ネコです。
→ I am a cat.

ボク猫なのーー!!
→ I am a cat.

俺っち、ねこなんだニャー!
→ I am a cat.

ワシは猫だ
→ I am a cat.
まぁこれは日本人もわかってて、明治の頃に「せめて標準は定めよう」にしたわけで・・・一応は「公式な場において使用する一人称は”私”」にしただけでも、けっこう一大パラダイムシフトだったらしいw
そして、その主語すら省略するのが、それが日本語です。わけわかめ。
そして、もっとえぐいのは、〝相手との関係性と独立に、他人と関係ないナマの、むき出しの、自分自身を指す単語はない〟ということです。

社会的関係のなかに埋め込まれていないわたし自身、あなた自身、その人自身、というものは、日本語の世界には、存在しないのね。
主題として省略されることが多いうえ、個がなく割と集団の思考なのになぜか一人称がものすごく多い。不思議。
話す相手によって自分の呼称も変わる、つまり複数のウチソトを並行して持ち、「自分」を使い分けるせいなのかなあ
これ、本当に不思議で、サピア・ウォーフの仮説に則れば、日本は自己に対する概念をどこよりも多く持っているということなんですよ。これだけ多様な自己概念が、個我意識が弱いとか個人主義を嫌う民族性ということとどう折り合っているのか。我々は詳しく知る必要があると思います。
これだけ自分を指す言葉があるって事はどこの国よりも個を尊重してきたって事なんだろうな。外国は全体の一部として個があって、日本は個が独立して全体を形作るイメージ。
時代が日本に追いついてきたからこそ世界的な日本ブームがある気がする。
日本語は主語だけで「誰が発言しているか」が分かる便利な言語

例えば日本語で「ワタクシのこと?」「ワシのことか?」と書けば、誰が発言しているかすぐわかる。これが外国語だと「貴婦人が言いました」「老人が言いました」と書かないといけない

この強みが発揮されるのは小説。日本語の小説は最強
この辺中国語も割とえげつないよね
我,俺,朕,臣妾,本宮,奴才,本少爺,人家,偶,姐,爺etc
@KoalaEnglish180 中国語

我、咱、俺、老子(男性用)、老娘(女性用)、人家、本大爷、吾、臣、妾、本人、私、鄙人、本席、我伲、阿拉、阮、朕、在下、小弟、小生、某、老夫、老奴、免贵、老身、儿(隋唐時代の女性用)、卬(男性用)、姎(女性用)……
日本語の一人称がいっぱいあって楽しい
中国語なら一般的に使われてるのは「我」(私と同等くらい)、他は
本人、本小姐、本大爺、私、鄙人、老子、老娘、人家、俺、咱、吾…
日本語のように細かく分かれていないがいろいろあるし、中国語と日本語の繋がりも垣間見える
中国語とか東南アジア系の言語も一人称いっぱいあるから日本語が特殊ってわけじゃないんだよな
ヨーロッパ系の言語の中に日本語だけ入れて比較するからこうなる
中国語の一人称も日本語並なので、漢字文化圏の特徴かなぁ。

身分制度由来なとこもあるけど、インドはどうなんだろ。
リプに中国語もあったけど、日本語と中国語は書き言葉で発展してるのもあってひとつのことを表す単語が多くなりがちって話があるんですよねー。
逆に英語とかは話し言葉で発展してきたのでひとつの単語に複数の意味を持たせることが多いとか
こんなにバリエーションあるのに未だしっくりくる第一人称呼称なくて妥協で「自分」を使ってる(この感覚わかる人いるかな)
自分はこの日本語一人称問題は我(われ)が訛って俺とかどんどん変化した我系と、目下のものを卑下した二人称そのまま一人称として使った僕系と、自分の立場を示すために使った私/当職/朕などの職宣言系という3つぐらいに大雑把な括りしてますね。
ただ私の派生は多いので私系を分離すべきか悩んでる
こうやって比較すると日本語って面倒くさいねw
ネタににマジレスつまらんけども、

この言語としての難しさは、文化や表現の深さに紐づいてるので必ずしも悪いことではないのよな🫠
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