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底付き体験、人間の価値観を変える
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色の変わった世界ではどれがまやかしで、どれが本質であるかが分かるようになるし、自分にとって何が良いものか、何が必要ないものかが分かるようになる。
悲しみを、今後長く付き合っていく友達のようなもの、と思えれば、淡い色の景色の中に、小さな輝きが見えるようになる。
目標として頑張っていた事がなぜ目標にしていたのか分からなくなったりするのと同時に、今まで格好悪いと思っていたものが優しく響いてとても大切なものに思えたり、気にも留めなかった景色が美しくて涙が溢れたりする。世界を見る角度が変わる。
世界の色が灰色になってしまう事もあると思います。その時は負担になっている要因または「こうあるべきだ」と自分で思い込んでいる思考パターンから逃げる事も大切だと思う。
充分に休んで散歩をする。季節の風の香りや、陽が降る緑の景色を心に取り込んでみる。そうしているうちに淡い色が風景の中に戻ってくるかも知れない。

反応&感想

すごく、すごく、わかります。ただあるだけの風景が、凪、になります。ただあるだけの日常が、普通で幸せ、になります。
心身の健康+生活出来るお金が一番大事であとはおまけのような感じです。
自分にとって真に大切な、本質的なことだけを残して、それ以外のことからは一つ一つ降りていきたいと思うようになった。やりたくもないことに時間と労力を費やすほどもう人生は長くない。
うん、そうだと思う。
追い詰められたことが多々あるからわかる。極限を経験すると、朝普通に目覚められることや息吸えることからもう有り難くなるからねー。
これが本当にそうすぎて、一連のツイートを読んで泣いている。ある時からずっとわたしの生活の優先順位の第一位に「心の平静」がでんとあり、それによって救われた部分と失われた部分の狭間で、ゆらゆらしながら生きている。
坂口安吾のいう「堕落」墜ちるところまで堕ちるってのはこれなんかな…
落ちてしまえば世界が変わる 幸福の価値基準が変わる
めちゃくちゃわかる
普通に朝起きれて、普通に仕事行って、普通に寝られることがこんなに幸せとはおもってなかった
そうそうほんとこれ

心の平静を保てる環境が何よりも一番大事だと気づいた時、離れるべき人や環境というのが明確になった

ずっと違和感を持ち続けてきたものから、すんなりと離れることが出来たし、物質に溢れた生活も一転して、断捨離して身軽な生活に
逆説的に言うと
『心穏やかに過ごすこと』の価値を知らない人は、危機的状況に陥ったことの無い、恵まれた人なのかもしれないね
だからその価値をどんなに伝えようとしても伝わらないし、子供にその価値を教えてあげることも出来ない
この追い詰められた事のない、死線が何かまだ経験していない人ほど楽観的で挑戦的。

一度その経験をすると、乱されない事がどれほど幸福だったか、それに比較したら刺激的な行為による快楽が如何に取るに足らない、不必要な事かわかるもんだ。

だから若い人ほど無限の可能性を信じていられる。
俺これ多分なんだけど、本心ではそう思いつつまだなんか納得しきれてないというか、他を諦めきれてないんだろうなー。いやだってお金欲しいもんなあ。
「心の平静」が無いと色んなデバフがかかりまくって捗らないからそれが最優先になるだけで、
他がどうでもよくなるわけではなかった
あたしは逆だな。
一番下まで落ちたから、その時に失ったものを手に入れていた場合の自分を越えてやろうと変なスイッチ入ったよ。
ここまで回復して結果出したんだ、神様はとてつもない試練を与えてくれたんだろうけど、与える人間を間違えたな、神様ざまあみろと言える日まで止まらず進もうと決めてる
ほんまにこれ。
熱意がなくなったとかではないが、区切りが生まれる。
わかるなぁ。これの感覚が根底にドーンとある。その上で気運を逃さずキャッチできれば自然な変化の波に乗れる。なので今は人と関わらないことが心の平静であっても今後変わる可能性があるのだと感じています。
自分の足元が常に崖っぷちな事に気がついてしまった。
大丈夫 な事は ないと。

それは
絶望ではなく。
希望でもなく。
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