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「気配りをする係」を引き受けがちな人、善意の搾取構造に気づく
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反応&感想

「気配りをする係」をずっとやっていると
「こいつは気配りする係だからこいつには気配りをしなくていい」と考える人間が1人か2人は出るんですよね。

それはダメでしょと言える人がいる集団ならいいけれど、そうでない場合は…という。
お互いにお互いを尊重し合う世であってほしいですよね…。
私は気配りしない方なんですが、

「気配りする」発想がない人は、マジで「好きでやってんだろう」と思ってたり、何なら気がつかなかったりします。

黙っていても気遣ってもらえないことが多いと思います。
「嫌なことを我慢してやる」ということをしない人は、
「他人も我慢してまで嫌なことはやらないだろう」と思うんですよね。
自分がそうだから。
だから「やっている=嫌ではない」という発想になるんですよ。
あるなぁ
すごく感じることある
あるぅ
結局普段からわがまま言ったもん勝ち
挙げ句すげーたまにこちらが要求しても
ちゃんと言わない方が悪い扱いw
いや今言うとりまんがな…?
何かこう無意識のうちにお母さんとか小間使い扱いして甘えてるんじゃないかと思います。嫌ですね、こういうの。
気遣いを上下関係のように受取る人っているのよね。
関係性も曖昧だから謙って対応してたらコイツは下だと判断して高圧的になるヤツ出てくるんだよな。
気配りが出来るからこそ「あ、この人、自分に対する扱いがテキトーだな」と気づいてしまうのですよね

平等をとやかく語るつもりはないけど、あからさまな不平等はすごくモヤる
単に、
"世の中には「気が利く人」と「気が利かない人」がいる"
というだけの話にも聞こえる。
気がついていないか、好きでやってると思われてるかって感じでそんな悪意はないような気がするんだよな。
逆にそれが問題で、悪意あるやつなら友達やめようなんだけどそうでないと基本悪いやつじゃないから自然と搾取構造になっちゃうというか。
私、気配りできなくて、"気配り"が分からないので自分が気配りしていないことにすら気付いてなくて、なので気配りされていてもたぶん気付いていなくて、「こいつには」とかじゃなくて誰にたいしても気配りできてない人間である、ということに大人になってから気付いた
こういうので難しいの、気を使って世話していると思いこんでいる側の自己満足(余計なお世話)になってるケースもないではないのよね。 夫が裏のまま出す洗濯靴下を必死に表に返してた話とか。
気配りするに値するかどうかの見極めも残念ながら必要なのよなぁ、じゃないと辛いだけ
幹事気質な気配り人はその気配りを自分にもして貰いたい事が多い様に見える。
だからこう言う状況の時にこれはヤバいな、いつも世話になってるのに周り無神経過ぎんかと思って「気配り」してケアする。
結果幹事が満足する事にホッとしつつも、仲介疲れるし正直幹事側も面倒だなと思ってしまう。
幹事をすることに見返りや感謝を求めても詮無いことだと悟ったのは10年程前だが、幹事全般に言えることか、自分の人徳の問題かの見極めが未だにできずにいる。いずれにせよ、お互いを尊重しあえない集団にいても疲弊するだけなので、集団を選べる状態にすることが大事なのかも。
相手を立てたり尊重したりするけど働き蟻8:2の法則でもあるのか何故かこの手の人が一定数出るのよね。

ので幹事もよくやったけどこの手のが出るとチベスナフェードアウト。

FOすると漏れなくその会自体が瓦解してゆく。
楽しい事には乗っかりたいけど手間暇面倒はゴメンだという人間は多いよぅ。
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