「自分がされて嫌なことを相手にしてしてはいけません」は
「自分は嫌じゃないからしてもいい」につながる可能性の面で、やっぱりアップデートが必要な考え方だと思っていて
子ども達に教えるべきは
「嫌だと思うことは人によって違う」だし
「相手が嫌なことをしない」だと思っています。
「自分は嫌じゃないからしてもいい」につながる可能性の面で、やっぱりアップデートが必要な考え方だと思っていて
子ども達に教えるべきは
「嫌だと思うことは人によって違う」だし
「相手が嫌なことをしない」だと思っています。
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もっと言えば
「自分以外の誰も嫌だと思っていないことでも、あなたが嫌だと思うなら嫌だと言っていいんだよ」
「そしてそれはみんなが同じことだから、誰かの「嫌だ」に敏感でいようね」
多様性が尊重されるって、そういうことなのではないかと思っています
「自分以外の誰も嫌だと思っていないことでも、あなたが嫌だと思うなら嫌だと言っていいんだよ」
「そしてそれはみんなが同じことだから、誰かの「嫌だ」に敏感でいようね」
多様性が尊重されるって、そういうことなのではないかと思っています
そうそう
「自分がされて嫌なことはしない」という発想は「人がされて嫌なことは共通してる」ということが前提になるから、その弊害も大きいよね
自分が嫌だと思うことを人にされた時に「こんなことをしたら人が嫌に思うのは当然だ!」「わざと嫌がらせした!」って責める気持ちになりやすくなるもの
「自分がされて嫌なことはしない」という発想は「人がされて嫌なことは共通してる」ということが前提になるから、その弊害も大きいよね
自分が嫌だと思うことを人にされた時に「こんなことをしたら人が嫌に思うのは当然だ!」「わざと嫌がらせした!」って責める気持ちになりやすくなるもの
引用元
こちらのツリーに多くの反響を頂いておりますので、宣伝で私のブログ貼らせて頂きますね。
— 村中直人 (@naoto_muranaka) June 5, 2020
このツリーに興味を持ってもらえた方には、おもしろく読んでもらえる記事が多いかと思いますので、お好みの記事を探して読んでみてくださいませ。
村中直人の雑記帳https://t.co/5RsjXkiZAR
@naoto_muranaka @nico2_maruko 全くの同意です。これいつも思います。
反対にやられたら嫌な気持ちにならない?って聞いた時に、ならない。って答える人いるんですよ。
なんでそんなに傷つくの?自分なら全く傷つかないから理解出来ないって言われた事あります。
反対にやられたら嫌な気持ちにならない?って聞いた時に、ならない。って答える人いるんですよ。
なんでそんなに傷つくの?自分なら全く傷つかないから理解出来ないって言われた事あります。
@naoto_muranaka 私も常々思っていたことですが、これは「相手が何が嫌なのか(完全には)わからない(想像するしかない)から、せめて最低限自分がされて嫌なことはしないようにしよう」という意味での教えになるのではという意見を聞きなるほどと思いました。
「自分がされて嫌なことは〜」っ自分と相手が同じ価値観を持っている前提の「思いやり」の押し付けのようなものだものなぁ。
価値観の多様性が認められる世の中ではたしかにその理屈が通用しなくなってきてるしアップデートが必要なのも頷ける。 https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
価値観の多様性が認められる世の中ではたしかにその理屈が通用しなくなってきてるしアップデートが必要なのも頷ける。 https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
@naoto_muranaka 親に「自分がされて嫌なことを相手にしてしてはいけません」と教えられましたが同時にこれは最低限であって全てではないと教えてもらいました
教育が進歩するのは素晴らしい事ですが
大事なのは教えられた事が全てではないと言うことを教えてもらえばそこで思考が止まる事はなく成長できると思います
教育が進歩するのは素晴らしい事ですが
大事なのは教えられた事が全てではないと言うことを教えてもらえばそこで思考が止まる事はなく成長できると思います
「自分がされて嫌なことを相手にしてはいけません」
これって「まだ相手の嫌なことを想像するのがむつかしい子供」に教えるための仮の言葉であって、
大人になれば当然それだけではいけないのですよね💤 https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
これって「まだ相手の嫌なことを想像するのがむつかしい子供」に教えるための仮の言葉であって、
大人になれば当然それだけではいけないのですよね💤 https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
最近は「私が嫌だからあたなの主義主張をやめろ」理論がよく散見されるので、学校から飛び出して多様な世界で生きるには更にアプデが必要だね。 https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
@naoto_muranaka されて嫌なことの種類が極端に少ない人ってのもいて、そういう人は知らずに人の嫌なことをやらかしてパターンを覚えていくしかないけど、そうする間にたくさんの人が傷ついていくから先回りして人が何をされて傷つくかを知る方法を見つけないといけない。
一連のコメントに同意しかない。
小さい頃から少し世間一般と感覚がズレている自覚があったので、この言葉は勝手に変換して理解するようにしていた。
自分はこうだ、と普通はこうだろうな、とは分けていた。
でも、そもそも普通なんてないよな、がきちんと感覚として身に付いたのは結構最近かも。 https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
小さい頃から少し世間一般と感覚がズレている自覚があったので、この言葉は勝手に変換して理解するようにしていた。
自分はこうだ、と普通はこうだろうな、とは分けていた。
でも、そもそも普通なんてないよな、がきちんと感覚として身に付いたのは結構最近かも。 https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
「自分がされて嫌なことを相手にしてはいけません」は「相手が嫌なことは当然わかっているはず」っていうプレッシャーが半端ない。他人と感覚が違う自覚のある私には「人への働きかけは全て避ける」しか正解が無くなる。
「嫌なことは嫌だと言おう。」「相手の嫌だを受け入れよう」辺りにしてほしい。 https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
「嫌なことは嫌だと言おう。」「相手の嫌だを受け入れよう」辺りにしてほしい。 https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
察する能力が低いので明言されないと他者の心情が分からないのに加え、家庭での暴言と暴力の多さにより"嫌なこと"判定のハードルが爆上がりしていたので、「人によって嫌なことは異なる」を教わるまで私は本当にヤバい奴だったと思う https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
自分がされてないことについて、もしされたとしたら嫌か、嫌じゃないか、を想像するのって難しい。自分は嫌じゃないと思ってたのに、実際にされたら「こんなに嫌な気分になるものなのか!」てこと多いと思う。想像(自分だったら…)より、事実(相手が今嫌がってる)が大事だよなー。 https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
「されて嫌なことを人にしない」が人生最大の美学だと洗脳された私は、今、「されて嫌なことを人にできない」ダメ人間となっています。
例えば、業務の分担、後輩の叱責、雑用、他部署への要求など、何一つ人に頼めません。
全部抱えきれず自滅します。
そして人は私を「優しいヒトだ」と評価します。 https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
例えば、業務の分担、後輩の叱責、雑用、他部署への要求など、何一つ人に頼めません。
全部抱えきれず自滅します。
そして人は私を「優しいヒトだ」と評価します。 https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
ちょっとズレるけど「嫌」って難しい定義だなーって思う。子供って嫌でも大人の言う通りにしなきゃいけない場面が沢山あるから「嫌な事はやめてって言って良くて、誰かのやめてを尊重する」を習得すると今度は自分から見た親の行動との整合性が取れなくなる。やめて貰えない「嫌」と何が違うのか、と。 https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
例えば注射とか服薬とか、勉強とか早起きとか、保育園幼稚園学校とか、「嫌」だけでやめていいよってなかなかならない。自分の暮らしが「嫌」の我慢で成り立ってる感覚が強いと、誰かの「嫌」も自分の「嫌」も、どれが尊重すべき物なのか区別がつかない…というか、その区別を誰も教えてくれない。
大人になって言語化すると「嫌ならやらなくていい。ただし生じる不利益も自分の物」という身も蓋もない自己責任論という気も…いや決して論の否定ではなくて。自分の場合、そこまでの割り切りがあって初めて、今は無理に「嫌」に立ち向かう事はしてない。だから誰かの「嫌」も尊重出来る様になった。
そこら辺の、不条理さというか、世の中そのものの冷たさ?いや違うな…世の中は自由で大変で楽しくて苦しい物だって前提を隠したままで子供時代に大人から教わる綺麗なアレコレって、私には難しかった。「矛盾があってモヤモヤする物なんだよ」ってハッキリ前置きされずに始まるからな。人生って。
この言葉って何か違和感あると思ってたけど、確かに。
それだけじゃ足りないんだよね。
「最低限、ひとまず自分が嫌なことはしない」ということであり、それ以上に捕捉が必要、そうだよね。 https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
それだけじゃ足りないんだよね。
「最低限、ひとまず自分が嫌なことはしない」ということであり、それ以上に捕捉が必要、そうだよね。 https://twitter.com/naoto_muranaka/status/1268381274466484225 …
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