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「ウィークネス・フォビア」という観念があります。

「弱い」と判定されてはならないという強迫観念から、「弱い」ものに対する嫌悪と敵意をもつ心理傾向です。
戦前日本において唱えられた理想的「日本男児」像にも、それが現れているといわれます。  https://twitter.com/Myoritomo1192/status/1173915462444314624 
こういう心理が「ウィークネス・フォビア」です。

この「弱くあってはならない、弱く見られてはならない」という強迫が、
「弱者」への嫌悪、特に自らの存在を主張する弱者への恐慌的敵意に繋がります。


その根底は、社会が作り出した「弱さ」へのスティグマの恐怖です。
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「弱者」への嫌悪や敵意が生じるのは、ウィークネスフォビアを持つ人が否認している自らの弱さを、鏡像的に見せつけることになるためです。
「自分も同じ」を認められずに攻撃するのです。逆に「自分との同一性を感じさせない、安心して見下せる弱者」に対しては敵意は生じず、憐憫や同情さえ生じます。
ウィークネスフォビアの価値観を内包したカルチャーには、しばしばこうした「安心して見下せる弱者」の存在が描写されます。それは一種の逃避であるとともに固定観念を増幅させる危険なものですが、そこに感じたわずかな違和感が自分のウィークネスフォビアの歪みに気づく契機だったという人も居ます。
引用元
初めて聞いた言葉ではあったけれど、すごくよく分かるというかすんなり受け入れられる概念だった。  https://twitter.com/muka_jcptakada/status/1273033660703309826 
あー、なるほど。ウィークネスフォビアか。色々と納得で勉強になる。  https://twitter.com/muka_jcptakada/status/1273033660703309826 
親が良く言っていた
「馬鹿になどされてはいけない(実際は山形弁ですけど)」
を思い出す  https://twitter.com/muka_jcptakada/status/1273033660703309826 
男性の自殺率が女性より高いのは、これなんだろうなと思う https://twitter.com/muka_jcptakada/status/1273033660703309826 
「(男は)弱みを見せてはいけない」みたいなことは、子供の頃から様々な人に延々と言われてきたので、私もこのウィークネスフォビアの呪いに今でもかかっている自覚はある。とはいえ、「弱く見られてもよい」と言われても一体どう振る舞えばいいのかよくわからず… RT
この強迫観念や弱さへの嫌悪が行き過ぎた自己責任論に繋がって来るんだろうな。  https://twitter.com/muka_jcptakada/status/1273033660703309826 
弱肉強食って言葉、嫌い。
ライオンはサバンナにいたから王になれたんだよ。  https://twitter.com/muka_jcptakada/status/1273033660703309826 
ウィークネスフォビアなんて実在するのか、と疑問に思う人も多いのだろうけど世の中には「自分が病気だと診断されるのが嫌だ」という理由で病院へ行く事を拒絶する人間がゴマンといたりする。彼らにとっては「病人=弱者」であるとレッテルを貼られるのはまさに「死ぬより辛いこと」な訳だ。
こんな言葉があるんだ。
「もっと頼っていいんだよ」系のメンタルアドバイスはとてもよく見かけるけど、社会にはびこる心理状況の裏返しなのかな  https://twitter.com/muka_jcptakada/status/1273033660703309826 
そうかもしれないけど、
実際は、逆に自分を弱者と表現して防衛する姿勢を見せたりするからかなり倒錯してると思う。

自分たちがヘイトしている弱者によって
むしろ自分たちが被害に遭っているというポーズを作ろうとするのは、
外国人に対しても生活保護者に対しても女性に対しても少数派に対しても同じ。  https://twitter.com/muka_jcptakada/status/1273033660703309826 

発達障害者の「自覚なき同族嫌悪」について

ウィークネス・フォビア…

私よく思うんだけど、

発達障害をやたら馬鹿にして攻撃する人の中には、
その人自身にも実は発達障害傾向が色濃くあるんだけど
本人自身それを認めない・認めたくない・自覚がない、
そしてそのことを意識的にも無意識的にも強く否定してるタイプの人が少なからずいる。
あと、はっきりと発達障害かもしれないと感じているんだけど、
たまたまそれなりに本人に合った環境にいてたまたまそこに何とか付いて行け(時には強く自分を抑えて)る為に『自分は発達障害なんかじゃない健常者だ』と繰り返し思い、その【不安を払拭する為に】発達障害者を積極的に攻撃するタイプ。
要は怖れなんだな。
社会的に負とされている要素が自分にも割と色濃く当てはまるかもしれない、「そうかもしれない」と認めるのは実は勇気のいることで、それが出来る人は勇気のある人なのだろう。それは別にカミングアウトなんかしなくても内面的に意識して認めるだけでもそうなんじゃないだろうか。
発達障害の傾向が見当たらず要素もまるで思い当たる事がない、いわゆる健常の人は「発達障害の困り事」の話をしても、

『そうなんですか。それはお困りですねぇ…』とか『そうか、大変だねー』『そうなんだなぁ』などの反応が多い。

これは多分、自然に自分自身と切り離して考えるからなんじゃないか。
自分は「自覚なき同族嫌悪」もあると思っている。

自分は認めたくない。自分より顕著に悪い例を確認しできれば他人を交えて叩き、「ほら自分はこいつらとは違う」と確認する。

それぐらい強い動機でもなければ、障害者叩きに熱を持ち続けるなんて、
どだいおかしくて無理な気がするんだよな。  https://twitter.com/poppocafepopo/status/1273107386698477568 
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