「死」について語り合う「Death Cafe」というグループが広まってきているみたい。
べつに死ぬことを推奨するようなヤバイ話ではなく、
「死について考えることで、有限の人生をしっかり考える」
という前向きな取り組みらしい。
日本だと死について話すことがタブー視されやすいので、興味深い取り組みだ。
スポンサーリンク
この取り組みは、誰かに教えたり、支援したりするのではなく、
ただ「他人の死生観に触れる」ということを目的とした取り組みのようです。
このような話は人生の終わりのその時までなかなか話す機会はありません。
出会うはずのなかった、他人の死生観に触れるという無二の経験ができそうです。
ほとんどの人が「自分が死ぬ」ということを認めることは苦手です。
ですが、自分の「死」の恐怖について話すことで、
「死」という避けられない現実に備えることができ、
それは自分の終末期治療の場面でも活かすことができるかもしれません。
引用元
ふつうに参加してみたいです。

本心から「死にたくない」と思っている人がいるのかな、というようなことを一つ一つ話せる場があったら嬉しい。
別名を「死の学び」とも言う哲学っぽくて良いですね。

変に病的にならず、自殺願望とかと適度に距離を置けたなら、面白い試みになるでしょうね。
死んだらどうなるかはわからんのよね。
安直に天国地獄みたいのはないと思う。天国なんて欲望の塊やん?
地球のエネルギーになるってのもなんか違う。
完全に無になるのかどうかはわからんけど、ワイは心霊体験あるので何らかの魂は残ると思う。
死生観の語り合いは喧嘩になりそう
もっと「死」は身近でいい。
私は「死」語りたい
本来の意味での「メメント・モリ」だなあ
死を考えることは生を考えること
行ってみたい
こういうの本当に大事だと思う。
どんな最期にしたいか、自分の家族がもしもの時はどうするのか。
これらを話し合えていないと、いざと言う時価値観のぶつかり合いで何やかんや言ってる間に不本意な最期を遂げることもある。

人の死生観から「こんな死もあるのか!」っていう自己の発見にもなるし。
すごい興味深い。すごい参加してみたい。
死んだことある人に参加してほしい(というのは冗談
これ。日本でも広がらないかな。
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版
シェリー・ケーガン
文響社
売り上げランキング: 765
スポンサーリンク

\他サイト様最新記事/
\新刊ランキング/