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幼いころに正当な欲求が満たされなかった場合、
人は生涯その飢えを抱えて生きていくことさえある。


愛されたい、保護されたい、自分をきちんと扱ってほしい

──とりわけ最後、「きちんと尊重してほしい」という願い。

それは人間としての尊厳の原点。

子どもたちが幼いころ、からかったりおちょくったりなど絶対しなかった。

他の大人や中高生が我が子にそんなことをしたら激怒した。

激怒する姿を見せることが大事だった。


幼ければ幼いほど、子どもは自己を確立できていない。

「君を馬鹿にする奴は許さない」

──幼い我が子に何より伝えたいことだった。

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あとはそう、幼い子を絶対におびえさせないこと。

むろん生きている以上、怖い目にはどうしても遭ってしまう。
それは仕方ないとして、それ以上の怖い思いは決してさせない。

少なくとも幼い間は。親といる間、君はとにかく安心していていい。
安心して、思うままのことをすればいい。それも伝えたかった。

幼い子を、

人として尊重する、
おびえさせない、
安心させる、
そして馬鹿にしない(馬鹿にする奴を許さない)

──結局のところそれは、「君は尊厳を持って生きていいんだ」という人生最初のメッセージだと信じているのですね。

それを得られずに生きてきた自分の過去を「悼んで」いる私は。

幼い子どもの自尊心は確実にあるのだけれど、大
人がわかっていないことが多くて、だからこそ危ういんです。

「確実にある」理由は、
軽んじられたとき、子どもは泣き、怒るから。
尊厳を守る本能です。

でも大人はそれに気づきにくい。軽んじられ続けると、子どもは尊厳を自覚できなくなる。それが怖い。

恐ろしいのが、子どもの「尊厳を守る行動」を嘲笑い、小突き回す大人ですね。

子どもが何かを欲しがった時、渡すように見せて取り上げる。
子どもは泣き、怒る。

「わかったよ」と言いながら、同じことを繰り返す。
子どもはさらに泣く。

「見ろよ、こんなことで泣いてるよ」と、周囲の大人と一緒に嘲笑う。

あえて型にはめると、たぶんこの大人は無意識に「自分自身の幼児期への復讐」をしているのですね。

幼いころ、周囲の大人に敬意をもって扱われなかったことへの復讐を。

子どもを生け贄にして。
嘲笑う方が悪いことは、自我が確立された大人は理解できるけれど、子どもの心には大人が寄り添う必要がある。

ただこれは「自分の幼児期への復讐」と同時に「自分の幼児期の再現」でもあって、
そこに重要な糸口がある。

自分がそうだったことを白状します。自分の目下の人間、敵とみなした人間に、過剰きわまりない嘲笑や罵倒を浴びせる。

その心的な仕組みを自己分析することが、自分の回復の決定的一歩だった。

強烈な憎悪に駆られたら、許すことなど考えられない。

自分より弱い立場の相手が思うようにならなければ、とことん嘲笑して恥のどん底に突き落とす

──全身の毛が逆立つようなその衝動を、何かおかしいと気づいてから、
それがかつての親と自分たちの関係の再現だったと発見するまで、何年かかったろう。

あのまま何も気づかず社会に出ていたら、とんでもない権力亡者になっていた可能性がありますね。
想像するだに恐ろしい。
いま「私かわいい」とか「エロゲおもしれえ」とかやっている自分こそが本来の自分で、
それを回復できたことに心底感謝しています。

何より自分の子に負債を受け継がず済んだことに。

ツイートしながら泣くってのも珍しいですね。
久々に、あの悪夢のような日々と、憑き物が落ちたような解放の瞬間を思い出した。

フロイトはさんざん批判されているけれど、彼が「悲しみの仕事」という概念を提唱したことに、自分は救われている。

対象は、子どもらしく生きることができなかった幼いころの自分。
その子どもの姿を思い浮かべ、悲しんでやれるのは自分しかいない。

その「悲しみの仕事」が自分を支えてくれた。

飽くことなく権力を振るい、力を誇示し、他人を意のままに動かす衝動に駆られてやまない
──そんな人の心の奥底には、忍び泣いている子どもがいる。

かつて記事に書いた言葉から。

「十分に愛された経験のない人に、愛することを強いるのは残酷なこと」

(子どもの虐待防止センター相談員・広岡智子さん、朝日新聞1994年4月2日付朝刊)

本当に思う。

いい歳した大人なのにって感じることを誰かに繰り返す人は
きっと親からの愛情不足(僕をもっと見ててとか)や安心感の欠落など、
何か幼少時の体験からの「飢え」起因なんだろうな。

「三つ子の魂百まで」とは、この事ですネ…。
確かに、「人格を形成」する過程の中で、とりわけ、母親の社会的分業は、大きい…。

すごくわかる。
うちの母親は、私が病気になってもまず悪いところ(例えば風邪引いても「薄着してたから、夜遅くまで起きてたから」などと)を言い、例え高熱になっても絶対心配とかしてくれなかった。
言われたくないことも平気で言ったりデリカシーもなく、自分が正義だと思ってる。酷い人。

これちゃんとしとかないと、軽々他人の人権を侵害しちゃうし、
自分も、家族すら大事にできないし、

よく考えると昭和の人間みんな、これだったんじゃないかな?って思う案件。

パワハラの元もこう言うメンタリティだよ。

あぁ、確かに…。
居丈高な振る舞いや、異様なほどの執着の背景には、この「尊重して」の叫びがあるのかも。

これって別に、愛して、とか保護して、とか私をきちんと扱って、と口に出すことができるわけじゃないから困るんだよな

私の中の壊れてしまって治らない部分とは このことに近いようにも思える

私は自分の身体的特徴のことで毎日のように親にからかわれていたなあ。
この方のような親だったら良かったのに。

引用元
児童虐待<br />父・母・子へのケアマニュアル<br />~東京方式
犬塚 峰子 田村 毅 広岡 智子
弘文堂
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