あおり運転の件とか過去の接客業経験から、

世の中には「ナメられる」ことを人生最悪に「あってはならないこと」としてる方々がいて、
それを覆すためなら相手を○してもいいと思ってる


というホラーな現実があるんですよね。

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これの怖いところは

客観的に見ても「今のどこがナメた態度だったの??」
なナメた覚えがないケースでも

「ナメられた!」と理不尽にキレられるケースが多いことです。

バイトする前のワシだったら信じてなかった話だけど
実際にいるという事実

しかも、自分には実害が全く存在しない事でも気に入らないからという理由で匿名という安全圏からクレーム入れるやつとかもいる

ゲーセン店員時代にゲームやらずにゲームの台で食事してる若い男性がいたので
「すみません、食事は休憩スペースでお願いします」って言ったらキレられました。
キレた理由は 「こいつはオレがこぼすと決めてかかったから」 でした。

もうどこで「ナメられたらキレる」が発動するのかわかりません…。

殺すは極端にしても、

「俺はナメられている」という感覚って、男の怒りのトリガーになることがすっごく多い。

自分は最近なぜか、それがむしろ愉快に感じられるようになってきたのだが…。

男の殺人の動機は世界的に見てもプライドに関わることが最上位らしいです。

「弱気を見せた側が一方的に叩かれる」そういう事例が多々ありますから。

バイオレンスな環境に身を置くと、ナメられるは序列の降下とイコールで、名声と権力を失う結果に。死活問題ですからね。

ほんとうです。困ったことに、小学校とか子供が学習してしまうのですよね。 ナメられる=イジメの対象になる、と。

昨今の「マウントとる」とかそんな心理もありますよねぇ。

最もマウントとりやすい相手が「店員」。

自分が知らないことを店員に質問して、店員がそれに答えると「それは知ってるのよ」みたいなことを言う人も、同じような心理ですかね。

絶対に相手より上に立とうとする、恥をかくまいとする。

「信頼を侮辱するとはその人物の名誉を傷つけるだけでなく、人生や生活を抜きさしならない状況に追いこんでしまう事だ。争いは実にくだらん。バカのすることだ。だが、『侮辱する』という行為に対してだけは命を賭ける。殺人も神は許してくれると思っている」

(イタリアのギャングの幹部)

平安、鎌倉の古武士って大体こんな価値観だったから、あながち不自然な習性とは言い難い。

日本の歴史全体から見れば身分を問わず「舐められたら殺す」がスタンダードだった時代の方が長い気がする。

室町時代の日本人はみんなそんな感じで、
それを経て「礼儀というプロトコル」が出来上がったんぢゃよー

ジャレド・ダイアモンドの「昨日までの世界」という著作で、

世界中の様々な部族社会が生存戦略の為に
『「ナメられる」ことを人生最悪に「あってはならないこと」』としていたそうです。

結果、終わらない報復の連鎖が延々と続き、現在のアフリカの部族紛争、ルワンダの虐殺などに繋がってます。
昨日までの世界(上) 文明の源流と人類の未来 (日経ビジネス人文庫)
ジャレド・ダイアモンド
日本経済新聞出版社
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万人が万人に対する闘争をしていた時は生存に有利に働いた習性なんだろうな。

社会性の高い集団が長く続けばそういった習性の生存率は相対的に下がるだろうけど、その集団自体が舐められて淘汰されるリスクがある。

多分この先数百年ずっと付き合っていかなければならない特性の個体なんだろう。

ナメられたと感じて烈火の如く怒る奴は、
怒る相手を結構 選んでいて
全く根拠なくナメている。

なめられる。

がなんで人生最悪になるかと言うと、守るべきものを持ってないから。なんですね。

守るべきものがないから、プライドというものを守るしかなくなるわけです。
そもそもプライドを看板にしてる職業は仕方ないんですが、一般人でそれは寂しすぎる人生なんですよねw

僕は舐められるの好きですし、

舐めるのも好きです


実は私もあるんですよ。
そういう気持ち。

「軽く扱われた」と思うと、切れたりはしないけど、静かに相手のことを憎むし、なかなか忘れられない。

尊重された経験に欠けてるんですよ。


自分で自分を尊重できている人は、そんなことでいちいち反応しない。
自分で自分を尊重できてない人が多すぎる。

ナメられたら面倒なこのヒトの習性って、動物的だよね。
「順位づけ」って、餌のとれ具合とか、メスとの遭遇率に直結するし、名誉や地位で収入も変わるしで、代々強化されてきたのかな。 ただ、人間(理性的に平和的に生きる人間化したヒト)が増えて欲しいと思う。

こういう手合いと関わるのを極力避けるためには、ある程度は外見にハッタリを効かせることも必要。割れ窓理論は個人の外見にも適用される。

ナメられてはならないというルールの戦い、
本当に不毛でウンザリするんだけど、
どうも本当の底辺育ちで社会的リソースのバッファが本当に無いと、
ナメられない事は飽和攻撃を防ぐ最良の手段らしいんだよねぇ。

まあでもナメられていいことなんて世の中一個もないからねぇ…
てかそもそも相手を見下す態度を取る人が悪いんじゃないの?
そう言うことしてるからツケが回ってきたんでしょ。

よくナメられる立場からの意見としては、
ナメられることがあってはならないと思う人がいるのと同様に、
ナメた相手なら際限なくナメ腐っても構わないと思ってる人が
社会には一定数存在しているっていう、
ホラーな現実が背景にあるんすよね。

引用元
軽く扱われない話し方 (だいわ文庫)
内藤 誼人
大和書房
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