20160521125513
発達支援は元来
「発達促進モデル」と「社会モデル」の両方をバランスよく取り入れて
当事者と家族が「生きやすく」なることが目的のはず。

支援者が「多様性の受容」を強調することに違和感を持つという本記事の趣旨に
皆様のご意見はいかがでしょう?

発達障害「多様性の受容」では終わらない~障害理解のその先へ~

NHKでは、発達障害プロジェクトが企画され、子供向けから大人向けまで、今月は実に多くの発達障害特集が放送されているので、目にされた方も多いのではないでしょうか。

「NHKが本気を出すとすごい」と業界ではかなり話題です。

それでも分かりにくい「発達障害」

(中略)

NHKの粋を集めた素晴らしい企画を、広く一般の人たちが見て、それでも最後にこんな疑問が湧くのではないでしょうか。

「で、どういう人たちなの?」

「で、どう接すればいいの?」

これは、実際本当に難しい問題です。
状態像が多様すぎるのです。


確実なのは「存在する」ということ

ただ、確実に言えることは、端から見て気付きにくいけれど、「普通」しか知らないと想像もつかないような困り感を抱えている子や、想像もつかない大変な根気や労力を必要とする育児に向き合っている人たちが一定数いるということです。


支援現場での「多様性の受容」「障害は個性」におぼえる違和感

発達障害がある子どもたちへの専門的な支援の現場で、

「障害を個性と捉えてのびのび育てましょう」
という側面ばかりが強調されると、あまりに支援が大雑把になるリスクがあり、これにはいつも違和感をおぼえます。


発達障害とは異なりますが、分かりやすい例として、ヘレン・ケラーと、その家庭教師のアン・サリヴァンの話は有名でしょう。

「目が見えない」
「耳が聴こえない」
「話せない」

という三重苦を抱えるヘレン・ケラーは、サリヴァンの根気強い教育によって、指文字を覚え、物に名前があることを覚え、口の中を触って動きを覚えることで言葉を話すことさえ身につけていきます。

二人の感動的な姿を描いた戯曲「奇跡の人」は世界中で上演されています。

ヘレン・ケラーとは異なりますが、

「視力に問題はないが、見ることが苦手」
「聴力に問題はないが、聴くことが苦手」
「呼吸器や口腔に問題はないが、話すことが苦手」

な子供達が、発達障害がある子たちの中には大勢います。
そして、その程度や特徴は実に様々なのです。

ヘレン・ケラーは、潜在的に、指文字を覚えたり、物に名前があることを理解したり、点字を読んで深い知識を身につける力がありました。

しかし、マジョリティー(「定型発達」といわれる人たち)が作り上げた子育てと教育制度の中で、
その障害を「多様性」「個性」と捉えて理解されただけでは、そのような素晴らしい力を発揮するのは難しかったのではないでしょうか。

家族や教師、療育を担当する人を含め、発達障害がある子供達と密に関わり、発達支援や教育を行う立場の人に本当に求められるのは、
緻密な発達状況の見立てと、その子が本来持っている力を発揮するために必要なことを学べる専門的でパーソナライズされた具体的な支援なのです。

続きはソースにて
https://news.yahoo.co.jp/byline/takeuchiyuno/20181124-00105343/
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おおよそ私の意見を代弁している記事
多様性の受容ってなんか変な言い回しに感じます。
多様性の受容ではなく、尊厳の回復と言った方が適切なのかもしれない。
みんなが多様っていうのはみんなが同じって言うのとたいして変わらない面があるんですよね
そう、多様性を受容するだけでなく、その「多様」個々に応じた接し方が必要。
今のマスプロダクトされた教育体制では、困難というのが現実。
「"障害”の捉え方」と「支援が大雑把になるリスク」は別の問題だと思います。

「多様性の受容」への違和感はこの著者自身の問題かと。

著者の団体のHPではロヴァ―スの研究成果を『「定型発達機能」を獲得』と紹介してます。
自閉症観や支援観がやや偏っているのではと思います
集団療育が雑っていうのは私はなんか違うと思うんだ。

個別で丁寧にやることが療育の正義ではない。
人を育てる上で正解のように何かを言い切ることって難しいはず。
フラットに立てないことこそ受容へ遠のく気がするんだよな。
「…本当に求められるのは、緻密な発達状況の見立てと、その子が本来持っている力を発揮するために必要なことを学べる専門的でパーソナライズされた具体的な支援」

に違和感が。
実際に現場でどんな支援がなされているかを調べずに決めつけていないか?と。
筆者の法人主催イベントへの集客のために書かれた宣伝文であり

法人の療育目標が
マジョリティーが作り上げた子育て論と教育制度内での適応能力の獲得
だから、筆者は、支援者が「多様性の受容」を強調することに違和感を持つと、語るのでしょう。→
発達凸凹の子の保護者としては、「発達促進モデル」と「社会モデル」の両方をバランスよく取り入れて当事者と家族が「生きやすく」なりたいのですが、
そのためにクライアントに寄り添うということが、臨床心理士さんや支援職にとっては自分の仕事ではないと、線引きしている方が多いと感じています。→
我が子の発達がマジョリティ側ではないと気付いた親が子の特性を受容して行くにはいくつかの段階があって、
初期には、マジョリティの社会で苦しまないように適応能力を伸ばしてやりたいと考える時期があるでしょう。

その段階を取り込む療育法人が活況な現在、法人は法人維持が第一目標になりがちです→
当事者や家族が成長するにつれ「発達促進モデル」と「社会モデル」の両方をバランスよく取り入れて「生きやすく」なりたいという気持ちに変化していったとき、よくある療育法人の考えかたに疑問を感じ離れて行きます。

発達凸凹の子は毎年万単位で産まれますから、去るものなど眼中にないようです。→
単一アプローチが売りの法人は、クライアント更新で法人規模を大きくし公的療育として食い込むことが目的化しがちなので
「発達促進モデル」と「社会モデル」の両方をバランスよく取り入れて当事者と家族が「生きやすく」なりたいという気持ちに寄り添うことには、労力を向けられないのかと思います。
「多様性の受容」か「早期療育」かの二択でも組み合わせでもない。

「その子どもと家族」がどんな人生・どんな社会を望んでいるかという視点を加えてこそのエビデンスベーストプラクティス。
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