傘よりも、一緒に濡れてくれる方が、うれしい。

「統合失調症のひろば」NO.12より
統合失調症のひろば 12 逃げていい (こころの科学)

日本評論社 (2018-09-28)
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これめちゃめちゃ怖いんだが……


一緒に苦しめってこと?

 共依存ってやつですね

アドバイスより寄り添いがほしいみたいな事を言いたいのかなとも思いますが、この例えだと「同じ境遇になってほしい」としか……

「もしも病を雨に例えるなら」
と書いた上で
「一緒に濡れてくれる方が嬉しい」ということは、
「同じ病を病んでほしい」って意味だよね。いやです。

メンヘラで発達障害で生きづらさを感じる1人としては、共感できないなあという感想。
そういう人もいるかもしれないけど、
「苦しみの沼にいる私に手を差しのべてほしい」じゃなくて「一緒に苦しみの沼にハマってほしい」みたいな不健全さを感じる。まあ、メンヘラなんだけど

キモになるのは「孤独感」ってところで、どういう形で自分に寄り添ってほしいのかって話だと思う。
「わたしと一緒に苦しみましょう」って言ってるみたいで、苦手だなあ。

これ、一種の「呪い」だと思うのよ。
こういう人に手を差し伸べた人諸共、不幸になる。
負担を「分かちあう」んじゃなく、「自分と同じ苦しみを共有してほしい」
だから、不幸の沼に引きずり込むみたいなもんよ。

これ、僕の知る限りで一番古い出典は、細野晴臣の「恋は桃色」の歌詞
「お前の中で雨が降れば、僕は傘を閉じて濡れていけるかな」
だと思うんだけど、この歌詞と決定的に違うのは「濡れるべき」になっちゃってるところなんだと思う。

この気持ちが「わかる」
私にも、この要素があるのは認めるところ。
だから、わからない人はわからなくていいんじゃないかな。
ただ、こうした感じ方は確実にあるだけです。

わかりん、これ気持ちはわかるんだけど「一番やっちゃいけないこと」だと思うよ俺…。

むしろ一番大事なのは「絶対に一緒に濡れない」ことだよ。

吹雪の中で凍えてる人に余ってる服を差し出して身を寄せ合うのは大事だけど、一緒に凍えたら死ぬぞ。

精神の病、「雨」ではなく「吹雪」だし、それは致死的なものだからね?

目の前にメシが食えない奴がいたとして、助けたいと思う人間がやるべきことは一緒に飢えることじゃないよ。
食うことだ。
食わなきゃ助けられねえよ。

世界にエベレストじゃない場所はないので、
自分の命を助けられたら+1
共倒れなら-2
+1のラインを絶対に守ることが最も大事だよ。

死にたい人と一緒に死ぬのは優しさじゃないぞ

死にたい人と一緒に死ぬのは暴力ですよ。

病んだ人とともに吹雪に凍え、一緒に死ぬの
ガキの自己陶酔がもたらすクソ以下の暴力なので、絶対にやめましょうね。

これなー。
たしかに「うれしい」かもしれないけど、それ以上の意味はないよね。

共倒れするより正常な立場からのアドバイスの方が嬉しくない??

「傘は持ってなくても一緒に濡れてくれる人がいる、うれしい」
という話ならわかるんだが「傘を持っててもそんなのより一緒に濡れて欲しい」というのは…それは…oh…って感じ

この暴風豪雨でおめーの傘程度じゃ役に立たねーんだよ!!
というのならわかる。
クソバイスというのもあるからな。

雨に濡れないように建物を建てて2人で暮らすのが福祉でしょー
一緒に濡れちゃあただの同情

これって違和感や批判もちらほらあるけど、人の機微に関わる文学の領域だと思うから、均一化した“正解”で括るお話じゃないと思う

「様々なトラブルについて、それを雨に例えたら同じように雨に濡れてる人にあうとちょっと救われた気になる」
みたいなのはわかるんだけど、
「雨に濡れてくれる人がいい」って言っちゃうと
単に「濡れる人」が増えただけっぽいんだよなあ…

精一杯寄り添った解釈をすると
「問題の渦中にいる人には共感と解決の両方のニーズがあることを理解するべき」
ということなのかな

なぜ人間はたとえ話をしてしまうのか

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