現時点で特効薬的なものがないとされ
長時間かけて回復していかなければならないアダルトチルドレン。
精神医やカウンセラーに通ったことのない自分は
ネットや他人の体験談から自己流に治療法を確立した気がします。
自分がACだと知ったのは22歳くらいのときです。
ちょうどその頃大学にも行かずに引きこもってネットばかりしていたので
ACを知ることができました。
今まで生き辛かった原因はそれだったのか、と納得できました。
それから、ACをなんとかしようとする人生がはじまりました。
ちなみに私のスペックを書くと
26歳♂
両親はどちらも先生
父親は小学生時代に家を追い出された
5歳違いの妹がいる
大学に入学してから一人暮らし
現在求職中
こんな感じです。
ちなみに生き辛いと感じた具体的な現象としては
他人の目が怖かった。他人の目を見てしゃべれなかった。
電車の中や街中で、自分がどういう視線で見られているのか不安だった。
他人に受け入れられないと思い込んでいるので、何かの役割を演じなければ他人と接することができなかった。
極端に自分の価値が低いと思い込んでいた。
自分の価値を高めようとすること(例えばおしゃれ)などができなかった。
自分が変わってしまうのがとても不安で怖かった。(散髪するのすら怖かった)
自分の成し遂げたことに十分満足できなかった。
他人の賞賛は素直に受け入れなかった。
他人の批判はそれがたとえ冗談でも必要以上に受け入れようとした。
常に完璧を求めていたので、少しの失敗でものすごく挫折感があった。
基本的に自信がないのだが、狭い分野で異常な自信を見せる。(例えば、計算だけは誰にも負けないはずだ。とか)
思い出していくとキリがないけど、辛かった主な現象です。
そしてこれらは、すべて回復していきました。
ACという言葉を知り、生き辛さの原因がわかったとき
親を憎むようになりました。
これまでの人生、親のためにものすごく無理をしてきたし
当時も自分の幸せのために生きることができなくなっていました。
今までの辛さの積み重ねと、当時の苦しみの裏返しとして
毎日毎日親を憎みました。
当時の一番の悩みは進路のことでした
思い返せば自分の進路は自分で決めたことがありません。
親の指示する有名進学校を受験し、大学も親の勧める学部、学科を選びました。
進学以外の選択肢はありません。
自分が働いて生きていけるなんて、当時は考えられなかったのです。
今思えば、親が巧妙に選択肢を消すような教育をしていたと思います。
「あんたは勉強以外のことは何もできない。」ということを、長い間刷り込まれて生きてきました。
実際にそのセリフを何回も聞かされました。「だから勉強しなさい」と。
中学時代、勉強は自分のために自分の意思でしているつもりでしたが
実感としては親のためにやっている感じでした。
いい成績や点数を取ると、「それくらいはできて当然」
ほんの少し悪い点数だと「何やってるの!」
心から誉められた記憶はありません。
親は積極的に私の勉強の成果を調べようとするので
親の怒りに触れないために勉強しているような感じになっていました。
高校に入ってからは、親のリアクションがいちいち癇に障ったので
テスト結果などはすべて「まあまあ」と言うことで済ませました。
依然親の刷り込みは続きましたが、相手にしないようになりました。
親というのは馬鹿な存在なんだと思って。
相手にしないようになっても、自分の行動をすぐに変えることはできません。
自分には勉強をすることしか価値がないという思い込みはしばらく続きます。
大学に入学して、自分の進路を決める際に壁にぶつかります。
大学を卒業して、何をして生きていくのか
それを考えようとしても何も思いつきませんでした。
どういう人生が幸せなのか、まったくわかりませんでした。
親は一流企業に勤めてくれるのを望んでいます。
おそらく普通に卒業して普通に就職すれば、一流か二流の企業には入れたでしょう。
でも、それではかつての自分がそうしたように
他に選択肢がないから仕方なくそれをすることになってしまいます。
自分は全く満足していないのに、親を喜ばせるために生きているような人生になってしまいます。
それだけはどうしても避けたかったので、しばらく考える時間を作りました。
進路についての悩み。
そのきっかけになったのが、バイトの挫折でした。
当時、塾の講師やファミレスのキッチンなんかをやっていました。
やっていくうちに、あることに気付きます。
自分には、たくさん「できないこと」があるのではないかということです。
仕事というのは、勉強と違って人と関わってしなければなりません。
勉強というのは孤独なものです。
孤独な環境しか知らない私は、人と仕事をするのがどういうことなのか全然わかっていなかったのです。
人と仕事をするには、報告、連絡、相談、怒る怒られる、といったことをする必要があります。
働いていくうちにその重要性が分かっていったのですが
そのどれもが、当時の私には「できません」でした。
重要なのはよくわかるのですが、不安や恐怖が先行してしまって「できない」のです。
人に怒られるということに至っては、自分の全人格を否定されたような気分になってしまい、感情的にならざるを得ませんでした。
自分に「できない」ことが多い。
自分には働くことが「できない」と気付いてしまった。
その事実があまりにもショックで、ものすごい挫折感で
私はアルバイトを辞めて、引きこもってしまいました。
そして進路について真剣に考えました。
仕事が「できない」挫折感は相当なものでした。
親の「あんたは勉強しかできない」という刷り込みに対して
そんなことはない、と思いたかったのに
実際働いてみると、「できない」のです。
私はどうやって生きていったらいいか路頭に迷いました。
とりあえず、誰とも関わらずに生きていける方法を考えよう、と思いました。
誰とも関わらずにお金を稼ぐことができたら。。。
そんなとき、私が趣味でやっていたネットゲームでお金を稼ぐことができることに気付きました。
もしかして壮大なネットゲームの勧誘広告なら俺つられまくりかも。
ネットゲームというのは、仮想の世界で冒険するゲームです。
仮想の世界で稼いだお金を現実世界のお金と換金できる仕組みがあったのです。
もちろん表向きは禁止されていましたが、仮想世界のお金を欲しがる人はたくさんいました。
私は、仮想世界でお金を稼ぎ、現実世界の人にそのお金を売ることにしました。
ゲームや勉強といった一人ですることに関しては異常な自信があったので
自分にはそれができると思いました。
仮想のお金をどうすれば効率よく稼げるか、よく考えて実行しました。
一日中ゲームばかりしていました。
半年ほどで100万円以上儲けることができました。
私は、その100万円で少し楽になりました。
誰とも関わらなくても生きていけるぞ、と。
1年半ほどひきこもっていました。
色んなことを考えながら過ごしていたと思います。
自分はどうして「できない」ことがあるのか。
他人と自分はどこが違うのか。
答えはわかりませんでした。
自分は、一人でも生きていける。
でも、もう一度アルバイトをして稼ぎたいと思いました。
ゲームが好きだったので、ゲーセンで働こうと思い
街まで出てゲーセンを巡りました。
軽い気持ちでゲーセンを巡っていたのですが
「9:00~17:00 スタッフ募集」などの張り紙を実際に見て
私は、やはり「できない」と思いました。
できるはずがないと思うと、目の前が真っ暗になってしまいました。
あと半年ひきこもることになります。
ひきこもっている間、私は自己暗示をかけていたと思います。
「自分は人と関わって生きていくことができる。」
「短い時間ならきっと働ける」
「私にできないはずがない」
異常な自信を持った自分から、自信のない自分に向けてのメッセージです。
こんなことを半年繰り返しました。
私は合計2年かけて、とりあえず学校に行くことと、働くことの決心をしました。
4月というのは、新生活にはとてもいいタイミングです。
4月から、学校とバイトの両立をはじめました。
バイトは、簡単なことからはじめようと思ったので
コンビニで3時間程度働くことにしました。
初バイトは、ものすごく緊張しましたし、不安や恐れでいっぱいでした。
先輩に仕事を教えてもらっている間、びくびくしていました。
初めてレジをやったときは、手が震えました。
しかし、先輩やマネージャーはとても優しく、安心して仕事ができました。
2日目からは仕事に対する緊張も、不安や恐れも軽くなっていきました。
2日目までは研修で、3日目からは店長と一緒に仕事です。
店長は60近くのおじさんでした。
仕事をきっちりやりたい人だったので、求められる仕事もそれなりでした。
もちろん怒られることもありました。
その怒られるということに関して、私はどうしても感情的になってしまいます。
怒られるということが、全人格を否定されているように感じてしまいます。
それだけでもかなり辛かったのですが
理不尽なことで怒られることもあるので(習っていないことができないだけなのに怒られるとか)
感情をなんとかするのに必死でした。
私は、働くという決心をしていたので、このバイトは辞めるという発想にはなりませんでした。
ここで辞めてしまったら、また暗くみじめな生活に戻るからです。
それだけは嫌なので、なんとか耐えて働きました。
半年ほど働いて、一通り仕事もできるようになりました。
少しずつ自信もついてきました。
以前自分は仕事が「できない」と思っていたけど、そうじゃない。
仕事はできる。けど、人とのコミュニケーションがうまく「できない」だけなんだと気付きました。
仕事も学校も、ある程度順調だったそのころ
私は偶然ネットでアダルトチルドレンという言葉を知ります。
ネットでのアダルトチルドレンの解説は、衝撃的でした。
今まで生き辛かったことの原因がわかった気がしました。
自分を理解するために、その手のサイトを読み漁りました。
サイトを読んで、自分がヒーローや道化師の役割を演じていたこと
家族との関係が原因で、今まで自分には「できなかった」ことがあることを理解しました。
そして親を憎みました。
毎日毎日憎みました。
アダルトチルドレンの主なタイプ
マスコット(ピエロ、クラウン、道化師)
おどけた仮面を被って不安を隠してきたタイプ
特徴
外面 - 過度にかわいく子どもっぽい、家族の笑いと関心の対象、か弱くて保護を必要とする
内面 - 自己評価が低い、恐れ、孤独、無力感 言動 - ふざけ、ユーモア
弱点 - ひょうきん、ストレス処理が下手、いつもヒステリー寸前
長所 - 人あたりがいい、良き友人となる、頭の回転が速い、ユーモアのセンスがある、有能
ケア・テイカー(世話役)
親や周囲の面倒を見てきたタイプ
特徴
外面 - 優しい子、思いやりのある子、聞き上手
内面 - 自信のなさ、責められてると感じやすい 、正当な欲求を押し殺す
言動 - 周囲の役に立つように頑張る、困っている人を放っておけない
弱点 - 自分がない、一線を引けない、依存されることを追い求める
長所 - 努力家、責任感、道徳感に秀でる、世話見がよい
ヒーロー
家族の期待を一身に背負ったタイプ
特徴
外面 - 小さな親、小さな大人、生真面目、努力家
内面 - 心の傷、不適応感、罪悪感、過剰な自尊心
言動 - 他者に自分の評価を押し付け尊敬を得ようとする
弱点 - 仕事依存、依存的な人と結婚、人を支配し操作、完全主義
長所 - 自身の失敗を許容、自己に厳しく他者に寛大、管理職の適性
自分への言葉 - いつも完璧でいるために必死だった自分へ
スケープ・ゴート(身代わり)
家族の問題を行動化するタイプ
特徴
外面 - 反抗的、陰気、反感を買う行動、張り合わない
内面 - 心の傷、見捨てられ感、怒り、拒絶、不適応感、低い自己評価
言動 - 問題を起こし注目を集める、自虐自傷自罰行為、自暴自棄
弱点 - アルコール等依存傾向、問題児、年少妊娠や犯罪の傾向
長所 - 現実の直視、立ち直る勇気、人を助ける力
自分への言葉 - 親や家族が自分に十分注目してくれないことに傷ついてきた自分へ
ロスト・ワン(ロスト・チャイルド、迷子、いなくなった子)
存在しないふりをして生きのびたタイプ
特徴
外面 - 顔を見なくても誰も気にしない、無口で陰気
内面 - 孤独、傷つき、見捨てられ、恐れ、あきらめ、挫折感
言動 - 少なくとも手がかからない、心配させないという意味では良い子
弱点 - 優柔不断、孤独、「NO」と言えない、行き当たりばったり
長所 - 自立している、才能豊かで創造的、はっきりしていて決断力に富む
自分への言葉 - 「自分はどうでもよい存在だ」と感じ、目立たないことで自分に問題が降りかからないようにしてきた自分へ
(wikiより)
私は「できなかった」ことを理解したので
一つづつ「できる」ようになろうと思いました。
まずは、言いたいことを言えるようになろうと思いました。
苦しいことは苦しい、辛いことは辛い、嫌なものは嫌だと。
コンビニの店長に怒られたとき
理不尽なことに対しては「それは理不尽だと思います。理由は〇〇で~」
言い方がきついときは「言い方をなんとかして下さい。俺は普通の言い方でわかります」
などと、自分の思っていることを伝えるように努力しました。
また、認知の歪みについても理解したのでそれも意識して直そうとしました。
怒られたときに全人格を否定された感覚になる、ということも
まず、マネージャーにそれを伝えました。
吐き出したうえで、それは実は違うんだと自分に言い聞かせました。
仕事で怒られたときは、仕事を直せばよいのだと。
私の人格は何も怒られていないし、感情的になる必要はないと。
そういった自己暗示と、実際に怒られることに慣れることで
だんだんと、怒られる恐怖というのは減っていきました。
「できなかった」ことを「できる」ようにすることや
認知の歪みを直すとき、私の力になったのは理屈でした。
私は私の感覚を信じることをやめ、理屈を信じるようになりました。
言いたいことを言うのは、何か悪いことだろうか
仕事なのだから、理不尽であることや効率が悪いことは伝えるのは悪いことではないはずだ。
私は今全人格を否定されたように感じているが、店長は本当にそういうつもりで私を怒ったのだろうか
仕事のことで怒るのは当然であるし、怒り方がキツかったとしてもそれは店長の性格だから仕方ないのではないか
理不尽なことで怒ることもあるが、それは店長がわかっていなかっただけだろう。店長だって完璧ではないのだ。
店長が私の人格を否定する理由なんて、どこにもないはずだ。
こんな感じで、理屈で自己暗示をかける日々を続けました。
アダルトチルドレンというものを知って半年ほど経ちました。
他人との関係は、少しずつ良くなっている感じがしました。
再び進路の話に戻ります。
私は3年生のとき、2年間ひきこもっていたので2留しています。
コンビニで働きだした年に学校にも再び通い始めたので
4月から4年生になる予定でした。
しかし、私は今までの人生も進路も親のためのものだったということを理解しました。
すんなり卒業して、就職して、親が満足する姿を想像すると、虫唾が走りました。
私は私の人生を生きたいと思ったので、今までの積み重ねを一回リセットしようと思いました。
大学はしばらく休学して、様々なところで働こうと決意しました。
もっと「できる」ことを増やしたいと思いました。
私は休学の書類に親の認印をもらうために実家に帰らなければなりませんでした。
実家に帰るのは苦痛です。「情けない」などの否定的な言葉を聞かされるからです。
今回はこれに加えて、自分の意見を言って、親に逆らわないといけません。
電車の中で、なんともいえない不安と恐怖に襲われました。
私は休学のことを説明しました。
「僕は休学して働くので、判子を押してください」ということは伝えました。
他は何を喋ったかあまり覚えていませんが、とにかく口が震えてうまく喋れませんでした。
真剣に話したので、決意の固さは伝わったと思います。
親は「考える」と言って、休学届けを残して私を帰らせました。
親の「考える」という反応は意外でした。
いつもは私を否定する言葉を並べて、自分の意見を通してしまう人なのに。
一週間後、郵便物が届きました。
中身は休学の書類に親が認印を押したものでした。
私はなんともいえない達成感を感じました。
私の意見を通して、親に認印を押してもらえた。
私は私の人生を生きる宣言ができたのだと思いました。
それ以降、自分で自分の人生を決めることに自信が持てるようになりました。
親に、自分の人生は自分で決めると宣言できた私は
やっと将来について考えられるようになります。
自分の幸せを求めるにはどうすれば良いのか。
この普通の人にとっては当たり前の考え方が
当時はできなかったのです。
友達にもたくさん相談しました。
自分でもよく考えました。
その結果、やはり大学だけは卒業しておこうと決めました。
あと1年頑張れば肩書きが手に入るわけですから。
結局大学を卒業するという方向に決まるのですが
今度は親のために卒業するという感覚はありません。
気持ち良く自分で選択できました。
たった一回逆らっただけですが、まったく感じ方が変わった気がしました。
大学とバイトの両立があと1年続きます。
このころ、認知の歪みを直しながら自己肯定感の低さもなんとかするようになります。
私の場合は、自信を持った部分を伸ばしていこうと思いました。
私はゲームや勉強ができるということに何故か自信を持っていましたので
その感覚を伸ばしていこうと、自然に行動していました。
仕事を通して、自分が「できる」ことを感じていこうとしました。
小さな目標を立てて、それを達成することで「できる」ことを実感しました。
それができたら次の目標を立てます。
できるたびに「俺すげー」「やっぱできるやんな」
などと、心の中で自画自賛します。
目標は自分で作ることが大事だと思います。
小さな目標をクリアしていく方法は効果抜群でした。
私は、働くということに自信を持ち始めます。
自信を持った私は、ファミレスのバイトにもう一回挑戦してみることにしました。
過去挫折した経験があったので、ものすごく怖かったですが。
いざ働いてみると、思った以上に通用しました。
通用したというか、主戦力になって働けました。
もう自分は、過去の自分ではないのだな、と
はっきりと自覚しました。
私は、過去にいじめられた経験もあり
対人恐怖症みたいになっていたのですが
大学4年生ごろから、それも回復に向かいました。
バイトの同僚と本音で話せるようになっていきました。
親との関係がうまくいっていないこと、ものすごく辛い経験をしたことなど
理解者が欲しかった私は、身近な人に話すようになりました。
まあ、大抵はそんな話は聞きたくなさそうだったり
全然理解されなかったりすることのほうが多かったのですが
それでも中には、「辛かったんやなー」と理解を示してくれる人もいました。
自分の話をするうちに私は、理解をしてもらうことの難しさを知ります。
〇〇があって、△△になって、今■■です。
と話しても理解なんてされません。
〇〇があって、私は~~と感じました。
それで△△になってしまって、私は~~と思いました。
なので今■■です。今は~~と感じています。
という具合に細かく話してやっと理解されるかどうか。
でもその難しさを知ったことは私にとってプラスでした。
人に理解してもらうのは、なんて難しいのだろう。
どうすれば理解してもらえるだろう。
また、私自信も人を理解するにはどうすればよいだろう。
そういったことを考えながら、人と接するようになっていきました。
私は人と接するうちに
理解してもらえないあなた、を理解できるようになっていきました。
あなたは私とはまったく違うのだから、理解できなくて当然なのです。
私が理解してもらえるように工夫するしかないのです。
本音で人と接することができるようになった私は
あることに気付きます。
親に本音を話していない、親に理解されようとしていない。
親は私が休学しようとした理由もよくわかっていないだろうし、
私の本音もまったくわかっていないだろう。ということです。
私は、もうすぐ卒業という時期に実家に帰って
全部話そうと決意しました。
あなたの一言で、辛い思いをしているということ
私が仕事で挫折したこと
自分の人生を決められなくて路頭に迷ったこと
休学をしようとした理由
これらを理解してもらおうと思いました。
話さなければならない、と思いました。
私は、実家に帰ってこれらを話しました。
子供としてではなく、一人の人間の本音として。
話している最中に、否定的な言葉を言われることもありましたが
「その言葉が僕は辛いんです」とちゃんと伝えました。
話している最中は冷静さを保つつもりでしたが
お互い少し感情的になってしまったと思います。
進路のことについても、私は就職活動をしていなかったので
「情けない」「あんたを産んでも何もいいことなかったわ」
などと言われたりしました。
その日、とりあえず自分の本音は伝えることはできました。
私は卒業してからも、度々実家に帰ることにしました。
母親は、私が帰ってくると一時的に喜びます。
しかし、話をしているうちに自分の思い通りにいかないことがあると
「情けない」などと、否定的な言葉を浴びせてきます。
それで機嫌が悪くなって手がつけられなくなるのです。
私は、否定的な言葉を言われたときに
いちいち「そういうことは言わないでください。辛いです。」と返すことにしました。
高校までは「はいはい、わかったわかった」「うるさいな」などと反抗していたのですが
きっちり辛いということを言葉にして伝えることにしました。
そうやって理解してもらおうと思ったからです。
実家に帰るたびに、母親はあまり酷いことは言わなくなるようになりました。
私は今まで母の要求に答え続けてきたこと
母に要求があるように、私にも要求があること
それらのバランスが取れると良い関係が築けるということ
そういったことなども諭すようになりました。
ちなみにこういった真面目な話をするときは
直接言うのではなく、メールでのやりとりが効果的です。
お互い冷静でいられるからです。
酷いことを言わなくなった母親は、憎める存在ではなくなりました。
ただ、今までの苦しみや今現在の苦しみが消えたわけではありません。
過去を許すことが私にはできませんでした。
過去を許すことができるまで、あと1年ほどかかります。
卒業して1年間は、フリーターをして「できる」ことを増やしていきました。
人と関わっていくうちに、人の気持ちも少しずつ理解できるようになっていきました。
こういうときは人はこういうことを思うんだなあ
こういう場面で人は傷つくんだなあ
こういう風に言われたときは額面通りに受け取ってはいけないんだなあ
人と関わるということを、たくさん勉強できたと思います。
特に私が気付きにくかったのが
人が気を使ってくれていることと
人を傷つけてしまっていることでした。
傷つけられるということに慣れてしまっている私は
人が私を傷つけないように気を使ってくれていることにまったく気付けませんでした。
また、深く傷つけられることに慣れてしまっていたので
人が簡単に傷つくものだということを知るのに時間がかかりました。
私は今までの人生で、人の気遣いや優しさに気付かずに生きてきたのでしょう。
また、たくさんの人を知らないうちに傷つけてきたかもしれません。
そういうことを、人と関わるうちに学んでいきました。
このころの私は、深く付き合える友達ができていたので
飲みに行って本音で語り合う機会が増えました。
私には年上の友達のほうがしっくりきます。
私は同年代の人に対して劣等感があったので、
対等に喋るということが難しかったのです。
年上の友達はその点楽です。
劣等感を感じずに話しを聞いてもらうことができました。
私は年上の友達に、自分の過去のことを繰り返し繰り返し聞いてもらっていました。
いかにうちの親に愛情というものがなかったかを理解してもらいたかったのです。
なかなか理解してもらえなかったので、何回も表現をや事例を変えて繰り返したと思います。
「たしかに、おまえは辛い思いをしたのかもしれんけど、それは親の愛情やってん」
という風に言われるのですが、私はまったく納得できません。
そもそも愛情って、納得するものじゃなくて感じるものじゃないのだろうか。
私は愛情がなかったことを証明したくて、それにこだわり続けました。
何回も飲みに行って、何回も話を聞いてもらっているうちにその人は言いました。
「お前の考え方は、俺らが反抗期のときと一緒やわ」
なるほど、そうなのかもしれない、と私は思いました。
「俺らも反抗期のときは、親のすごさがわかってなかったし。
けど、もうちょい成長したら親のすごさがわかると思うで」
私は素直に聞けてしまいました。
親のすごさってなんなんだろうか。
友達の話を聞いているうちに少しずつわかってきました。
少し、友達の親の話になります。
「俺の親父は、仕事人間で土日も暇なら会社に行くような人で
趣味らしい趣味もなくて、オシャレの一つもしないような人やってん。
こないだ、俺が就職して最初のお盆に帰ったときに、久しぶりに親父と飲みに行ってん、
そしたら、なんか親父がオシャレな服着て来てんのw
俺が就職して安心したんやろうなー。
今まで服なんて我慢して買わなかったけど、
息子も就職したし、もうそろそろ自分のためにお金を使ってもいいと思ったんやろうなー」
そういった話を聞いて、私は親というものを少し理解できた気がしました。
子供を育てるには、相当覚悟がいること
少なからず自分の生活が犠牲になること
一人前になるまでは、途中で逃げ出すなんてことは許されないこと
私は自分が親になったことを想像したりして
親っていうのは、実はすごい存在なんだなあと思いました。
今の私が親という「立場」になることなんてできそうにありません。
途中で辛いことがあったら逃げ出してしまいそうです。
私は私の親も、すごいのかもしれないと思いはじめました。
私の母は、父に裏切られたので一人で子供2人を育てなければなりませんでした。
昼間は働いて、夜は炊事洗濯。ついでに子供とのいざこざもあります。
こんな生活を何年間も、自分がおばあちゃんになるまで続けなければならなかったのです。
私や妹は、そういう生活を見ていて、何が幸せで生きているのか不思議がっていました。
でも今ならわかる気がします。
私は、素直に母親はすごいんだなあと思えるようになりました。
あるとき実家に帰ったとき
アルバムを見ていて私は、昔の写真を見つけます。
まだ母親が20歳くらいのときの写真や、
父親との結婚式の写真なんかもありました。
私はそのとき、母親にも子供の時代があったこと
一人の人間として成長してきたことを理解します。
母が私を満面の笑みで抱いている写真や
一緒に散歩してる写真なんかもありました。
私は幼いころ母親が大好きだったことを思い出しました。
今まで長い間忘れていましたが、私は母が大好きだったのです。
母も私が大好きだったのだと思います。満面の笑みはそれを表していました。
母は、何を幸せと思って生きてきたのか
私はわかったような気がしました。
母と一緒に生活していたとき
たしかに苦しいこともありました。
傷つけられたこともあったかもしれません。
けれど、それは私が人を理解するのが難しいように
人の気持ちを知るのが大変なように
当時の母にはわからなかったのは仕方がないのかもしれません
。
母には母で辛いことがたくさんあったでしょう。
私は、母を理解することで過去を許せるようになりました。
今年3月、私は就職活動をはじめたことを母に伝えました。
母は「やっと就職する気になってくれたんやね」と
電話口で泣いていました。
「辛かったんやで」とも言っていました。
私は母が弱音を吐くのをはじめて聞きました。
そして母に弱音を吐かすのは、これっきりにしようと思いました。
・・・私は幸せな人生を生きられるようになったばかりだと思っています。
これからも色んな困難があることでしょう。
でも自分は、とても難しいことをやり遂げたと思っています。
自信を持って困難に立ち向かっていきたいです。
私の自分語りは、ひとまずこれで終わりにしたいと思います。
こういうパターンもあるんだなあというスタンスで読んでいただければ嬉しいです。
あと、自立できたんだから縁を切ってしまえばいいじゃない、と思われるかもしれませんが
なんかもったいない気がして、決断には至りません。
母を愛せるようになることは、全ての人を愛せるようになるような気がして。
僕の人生に意味があるとすれば、あの人が「母」で僕が「子供」だったことに意味があるとすれば
それはきっと、そういうことだと僕は思います。
僕達は、親からの愛情を諦める代わりに、人に対する愛情を得るのかもしれません。
愛=理解です。理解は許しにつながります。人を許せる奴が一番優しい。
人に優しい奴は人から愛されます。
実は僕達は、知らず知らずのうちに人を愛せるようになっているのではないでしょうか。
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※上記ルールに違反した投稿者を見つけた場合、速やかにメッセージフォームより通報をお願いします。
コメント一覧
コメント一覧 (54)
人間、ピンキリだ。
自分の親は絶対に許さない。
というか、縁を切ってやった。そして、地元からうんと離れたところに越すつもり。そんで、存在事自体を忘れてやるつもり。
家族も親戚も離れていって、ざまみろだ。
バイトどうのこうのの経験なんて
みんな中学の部活とかでみにつけてる
ただの過保護が反抗しただけの体験記
休学も親に認めて貰えたんでしょ?
本当のACは親がまともじゃないから話し合いもできないよ
フラッシュバック躁鬱でくるしんでんだよ
親とまともに話し合いもできないよ普通
AC偉そうに語るな!失せろ!
ただただ迷惑
子供のときこう言われたから辛かった、と伝えた時の母の一言。
\だってそう思ったんだもん!/
えぇそうです。毒親です。
時間が必要よね
毒親だったのは間違いないけど最終的に完全に許しててすごいなって思った
わざわざ自分たちで選んだ苦労なんだから偉いも何もない
本当に良い親ってのはこの世に子供を生み出さない人
俺がA君を殴った後にすかさず消毒して包帯巻いてあげたらA君は俺の事良い人だと思うわけないだろ?
出産は殴るに該当する行為で、生まれた後に素晴らしい教育やらをするのが治療に当たる行為
そもそも最初に出産なんかしなければ痛みは0だよ。本当に考えるべきなのは自分の行いとか周囲の環境じゃなくて出産と言う行為。諸悪の根源は親にある
会社の飲み会などの付き合いは悪いし仕事に対しても受け身、そして少し注意しただけで次の日会社休むとか俺達からしたらありえないようなことを平気でする
こんな奴らが将来の日本を背負うのかと思うと薄ら寒い気持ちになる
ひとくちにACと言っても家庭それぞれに悩みの形があるね
この人の経験談を自分にも活かしていきたい
ACというのは、自分の生きづらさを自覚するための言葉で、診断されて付けられる名称じゃない。
でないと重要なライフイベントごとに
今後も一生否定され続けていくかもね。
愛とか優しさはしばらくは心から追い出して
自分の部屋に閉まっておくといいよ。
辛かった量を比べて俺の方がすごいとかやりたいわけではないが、何だか鼻で笑ってしまった。「あの人が弱音を吐くなんて初めて…」の辺りなんて虫酸が走る。俺の母親は自分の立場が悪くなると弱音吐き散らかして被害者の立場をフル活用してたわ、死ぬまで親を恨み抜く自信がある奴はコレ読んでも何にも参考になんねーよ
これはこの人なりに自分に向き合った結果なのであって、ここに書いてある解決法が本質ではない
ただ、似たような境遇にある人にはクリティカルだと思うけどな
いまだ自分の価値が低いとしか思えないわ
こういう人も毒を撒いてる点では同じよね
ってだけの話
知識も経験もない癖にしたり顔で長話する馬鹿がいると患者が死ぬんだわ。
当時と比べ現在のレスの簡素なことよ
を見落としてる人がいるね
このスレ主を否定する構造と
マジョリティがマイノリティを否定する構造は同じ
ここにコメントしてる人もそうされて苦しんできた人だろうに
こういうパターンもあるんだなあというスタンスで〜とか保険掛けてるけど、最後にマクロな視点から愛だの親子関係だの語り出してる時点で、この人が自分の思考イコール宇宙法則だと内心では確信してて、周囲の賛同を期待してるのは明らかじゃないっすか
そういう慇懃無礼さがここの人たちの尺に触ってんだと思うよ
機能不全家庭で育った人間は確実にこの手の馬鹿ガキに糞みてぇな説教くらった経験あるから尚更発狂すんのよ
ましてや彼の体験談を読む限り、ただの遅めの反抗期だし
インテリはわかるが眼鏡は関係ないw
でも、自分以外の人の内面を知れる良い機会と思うと、こういうスレも貴重だと思う。たとえ嘘でも、自身の思考の糧になればそれでいい。
引きこもりやバイト3時間生活やら休学やらの間のお金はお母さんが必死で出してくれてたんだよね
なんかやるせないな
個人の体験談だと注釈をつければ「保険」だとか言ってキレるし
注釈をつけなければ「自分イコール宇宙」とか言ってキレるし
面倒臭いやつだな
親は掃除機で俺をぶん殴ったり(これ結構痛い)、いじめを我慢しててやっとの思いで相談したら「精神力を鍛えるためだ」とかいって壁に向かって○回逆立ちしろ!と言ったこと、全て「覚えてない」って。
わざわざ自分よりマシって言って何がしたいんだよ
まんさん特有の何か
言葉違うだけで予防線なのは同じだよね
意味なし
ただ参考例から少しずつ自分に役立ちそうな仮説を取り入れて、トライ&エラーを繰り返すしかない
恵まれた環境に思えてしまう
父親パチンカス&泥棒、母親アル中の自分からしたら、どこが毒親なのかまったく分からなかった
病院で病気自慢してる老人かよ
「私の方がもっと酷い目に遭ってる!私の方が辛い!あなたなんて私よりも軽いんだから平気でしょ!!」
というまんさん特有のマウンティング
被害報告ですらマウンティングして人を踏みつけないといられないまんさんが
幸せになれる訳が無い
別にマンさん特有じゃないよ
メンヘラやネガティブな発達が集まるといつも始まる
まとめ記事でも
愚痴を吐きだせたり行政や社会を叩かせる傾向の記事があるから、そーゆうのでワーワー言うのはわかるけど
前向きな記事のコメント覧で、自己語りしてネガティブ全開な不幸自慢したがる人は流石に嫌だわ
逆もまた然りだから、記事をきちんと読めと言いたい
編集者なり筆者なりの意図を汲んでやれよと
ここは精神的なゆとりのない人が多いから
健常者以上に、相手に対して理解と配慮が難しい人が多い
現実の日常以上に足の引っ張り合いに巻き込まれる傾向がある
精神的ゆとりなんざガイ、ジ枠労働者になった時にゴミ箱行きだよ
だから同胞が高給取りだと攻撃的になるクズに成り下がったんだ笑っちゃうね
私だったら、「そうだったんだね、辛かったんだね」と言ってあげるのに。
この人は本当に乗り越えられたのだろうか。
また別の仮面を被っただけなんじゃないだろうか。
そうじゃない事を祈る。
ただただ産まれてくれてありがとうしかないよ。本当は。気づいてないだけでね。
作り話乙とまでは思わんが、怒られると人格否定された気持ちになるとか、身内でもないバイト先の人に言って、いい結果になるか?
バカにするかつけ込んでくるか頭おかしいと思って距離置いてくるか、そんなとこだと思うんだけど。
言ってみた結果の相手の反応が書いてないから何もわからんけど。自分はそんな勇気ないわ。普通を装って生きていくのに必死だよ。
私は親が許せないけど、本人の言うとおりこういうパターンもあるんやなって参考にさせてもらったし。自分にとって良い方法を見つけ出していけたのはすごいやん。ありがと
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