結論から言うと考えたところで台風や地震、川の氾濫には何も対抗できないから
日本は昔から住みにくい土地だった
だから人が誕生して以来考える暇もなく働きまくってきた それで飢餓なども含む災害から逃れようと必死だった
一方日本が縄文時代の頃西洋では暇な奴が多かった
世界で一番古く西洋文明に一番影響を及ぼしたのはユダヤ教だった
ユダヤ教からキリスト教が生まれたんだが、ユダヤ教は土曜日、キリスト今日は日曜日休む文化があった
そんなユダヤ人の王国が滅んだ理由はバビロニアやアッシリア、エジプト、ローマ帝国にやられてきたから
日本人が天災で死ぬ間、西の奴らは戦争で死んでいた
ここに差異が生まれる 天災はいつ起こるか分からず、身分に関係なく降り注ぎ強い者だけを生かす
それに対し戦争はそうじゃない 常に原因が存在した
だから原因のある戦争から身を守ろうとギリシャ人達は戦間期の間、考えた ついでに愚民どもの質問にも答えてた
これが哲学の始まり
一方原因のない天災と対峙する日本人は考えるだけ無駄と早々に悟り、その対策のみに心血を注いだ
ローマなんかと同じく弥生時代には戦争があったんやけどな……
はいベスビオ火山
そうして暫くすると、日本に新たな死を呼び起こすモノがやってきた
大陸人である あいつらは人格を持った災害だった しかし暫くすると大陸人もこちらと同じ人間であり、彼等の方が天災に強かった
「あいつらの真似してりゃ災害から身を守れる」
日本は大陸から学び始めた
災害に負けないモノ=強さ
これが正義になった日本
災害から守れりゃなんでもよかった なんにでもすがった でなきゃ死ぬから
やがて武士が台頭し天皇の強さ(=災害に耐える力)が衰えてきた 結果力を持つ武士側が勝ったが庶民からしたら強ければなんでもよかった
渡来人の登場から一気に平安後期まで飛んでて草
家康は色々な災害(治水、武力)に強かった為天下をとって幕府作った
イエヤスは災害の対策に幕府の力を全振りしてたので200年嵐から日本を守る家として機能した
しかし日本の外ではまた違った台風が急速に勢力を拡大していた 国家である
まあ結構いるべき言葉が抜けてるんやが
暇→文化の発達→哲学やね
古代ギリシャみりゃ分かるわ
強いものに(政府等)頼るようになった結果、自分で考える事をやめた国民性になった。
このことをイッチは言いたいんやろ
西洋にさも災害が無かったかのように書くから違和感があるんや
>>78
日本に比べればマシだし、多少はね?
列強という災害を防げなかった幕府は倒され対列強に特化した新しい防波堤が作られた
震度6に耐えられねー家なんていらねーよとばかりに旧来の文化が壊され新しい家が建っていった
この辺は大体大陸にやられた頃と同じ
言い忘れたけど武士が台頭したのは元という災害に対抗できたのが武士ぐらいしかいなかったからだね
そして西洋と戦うことになった日本
清とロシアという台風に難なく耐えちょっと天狗
しかし前述の通り西洋列強は戦争の為に何百年も考えてきた奴らだった それに対し清とロシアはどちらかと言えば日本と似た立場だったのだ
故に日本は真の西洋列強に勝った訳ではなかったのだ
赤い嵐が北の方からやってくるらしい
日本の陸軍の偉い人はそれに日本は耐えられないと察し、
対ソの為に日本古来のヒステリー災害対策を行なっていく
着々と土台を固めていく ここまではいつも通りの日本だった
問題は軍人にとっての家とは日本ではなくて軍隊だったこと
陸軍がソ連対抗の為にやったことはまぁ日本の為にもなった
しかし別の軍人はそうじゃなかった
それは海軍である
海軍「ちょっとうちの家やばいんで真珠とりに海行ってきます」
海軍は自分から台風を呼び込んでしまった
陸軍も陸軍で赤い嵐に備えるために中国で家の為の資材を調達してるとこだった
そんなこんなで日本崩壊
仮に西洋風の完全な「戦争のため」の考え方を日本が持ってたらここまで無様な死に方はしなかったかもしれない
所詮戦争も日本にとっては災害と同じであった 故に戦争の原因が掴めなかったのである
「強ければ災害に負けない」
戦中の日本は強ければどうにかなると思っていた
問題はここから
アメリカという災害に耐えられなかった日本は次はこうならんと「強く」なろうとした
そして見習ったのがむかしの日本を吹き飛ばしたアメリカ 強さの証明としてこれ以上わかりやすいものはなかった
災害に耐えられない家を作った陸軍は戦犯になった
一方その嵐を呼び込んだ張本人の海軍は何故か許された
台風に悠然と立ち向かい死んだ者に対しては日本人は優しかった
今北
仏教は哲学要素強いしこれが哲学でええやん
>>186
儒学もあるで
なお答えをつきつめると古の聖代はそうだったの一点張りがベースだが
>>197
儒学は倫理じゃね? まあ倫理と哲学の違いなんて説明できんけど
まあ単に哲学者の言うことを理解できないってのもあるやろ
アインシュタインみたいに数学を用いて他人に理解されるわけでもないからな
体系化出来ないとなにいってんだこいつってなる
>>191
やから教科書に名前載ってるような哲学者はそれまでの哲学の概念使って説明した上で自分の定義説明してるんやろなあ
>>198
体系化してないとどうしようもないからな
過去に文明があっても手掛かりが少ないとどうしようもないのと同じ
哲学者は理解されるためには数学みたいなものを用意することを考えるべき
そして最近はまた新しい災害が顕著になってきた 不況である
日本人はこの嵐マッパで一人でいたらすぐ野垂れ死ぬことを悟った 遺伝子がそうさせるのである
そして、不況という嵐から自分を守るため、新しい家を探すのである つまり会社
過去の遺伝子により日本人は家からでて嵐の中に飛び込むなんて怖くてできない たとえその家の中で殺されるとしても
西洋人の議論はよりよい意見を出すため そのよりよい意見で戦争に勝てるから
日本人の議論は意思確認のため それのおかげで災害時どうするかすぐ対応できるため
故に哲学がどうたらと言う人間に対し日本人は思う「こいつ災害起きた時役に立たないどころか裏切りそう てか怖い」
哲学=意味わからない=怖い=災害
哲学をどーたらぬかす奴は日本人にとって災害なのである
>>220
養老孟司とか結構地位高いやんけ
>>224
医学博士なんだよなぁ・・・
>>245
よう哲学本出して認められてるって意味でいったんや 医学博士ってのは知らんかったわ サンガツ
つまり言いたいことはこれ
嫌なもの、怖いもの=災害
災害の原因考えても仕方ないから思考停止
物事の本質や原因に迫る哲学とは対極の考え方なのだ
そして災害から身を守ってくれる「強く」「わかりやすい」ものは
神になるのである
「力こそ全て」
これはつまり「弱い奴はゴミ」
日本軍の捕虜の扱いや生きて虜囚のうんたらはこの「よわさの哲学」からくる
そして死刑についてもそうだ
死刑になるような奴は人々にとってはまず「災害」認定される
故に人権などこの国に根付く訳がないのである
結局強いものに巻かれる特性が日本人にはあるって認識で正しいん?
>>281
うん
>>283
強いものって言っても日本で強いとされるのは実力ではないよな
実力で勝ち残ったものに対しては平気で冷遇するから
日本で強さというのは実力ではなく伝統
>>288
それもあるね 伝統通りにやったほうが混乱なく物事に対処できるし考えなくて済むからだと思う
マイケル・サンデルすき
正解がない学問って永遠考えられるから好きや
>>296
あのおっさんコミュニタリアンやからああいう授業スタイルとって自分の正当性示してる伝道師やぞ
>>307
答えの出ない問いで伝道しようとする手段は逆解釈に使われるパターンあるし
その結果本人の意思とは別に問いが価値を持つこともあるからな
>>313
サンデル「な? みんなの意見はコミュニティで尊重された」
これでだいたい自己弁護してる
まぁ今更だけど哲学がないからと言って日本をディスる訳じゃない
哲学の代償に得た災害への免疫もメリットになりうる 例えば自衛隊の救援技術は世界一といっても過言ではない 組織でも確固たるリーダーがいれば、命令に対し着実に行動を起こせる
ただなんでも災害扱いしてメガネを曇らせる位なら哲学でそれを払えるようにした方がいいと思う それくらいだな
哲学用語に因果律というものがある
結果には必ず原因があるというものだ そして原因を考えるのが哲学だ
日本で哲学が嫌われる一方、自己啓発本はやたら人気がある これは一切原因について考えず、ただやればいいだの、前向きにいこうなどばかりだ
これから導かれる結論はただ「強くなればいい」というものでしかない 要は精神論だ
実際哲学をやってもいいことなどありはしない 哲学をやっても災害を防ぐことはできない
哲学の大家キルケゴールですら哲学をやっても不幸になると言い放っている
しかし待ってほしい なら日本人は何の為に生きるのか ただ災害から生き延びることが目的か?
西洋人の深層の目的は勝つことにある その為に哲学が生まれたのだから 勝つことにより生の安寧を得られる 故に考える
しかし日本人は勝てない 何故なら日本人が相手にするのは異民族や敵ではなく天災だからだ
何の目的で日本人は生まれる?ただ災害からの防波堤になるため?それではむなしすぎるし、それが100%だったら出生などしない
日本人は人から尊敬されることを是としている 故にその逆に不快を覚える 西洋人よりも強く
これは何故?敵は実態がないのに?戦っても被害しかないのに?
日本人はある目的のため、天災にあがらう 天災から同胞を守る為に努力する そして尊敬を得られ、快感を得る
日本人のDNAが求めることーーそれは絶対的な存在になることだ
人から認められ、異論も言われぬ「最強」の天災からの防波堤
ならば絶対なる者とは何か 神である
つまり日本人は神になる為に生まれて来たんだよ!
故に日本人は他の宗教の一神教を認めない それは本来、自分が目指すものであるからだ
そして、それを信奉する者は堕落した、天災の一部でしかない
自分のこころと体に聞いて見てほしい
あの白人達が膝をつき、乞い願う神のように自分はなりたくないか?と
西洋人が目指すものは「最大の神の下僕」だ 時にはその代用として皇帝が生まれそれに従うものがもてはやされてきた
そしてそれに必須なのが戦争での勝利ーー異民族の排斥である
日本もこれを真似た が、致命的にもその根本的メカニズムまでは真似ることが出来なかった
そもそも日本人自体が神になりたいのである 神の下僕になる西洋人とは違う
西洋的思考にどっぷり嵌った日本人はこれにより苦しまされる
精神は下僕を目指しつつも体は神を目指しているのである
現代の西洋を形作ったのはキリスト教を採用した後のローマ帝国である しかし、それ以前の共和政ローマやキリスト教採用以前のローマ帝国は日本に近いと言える
それはローマ人の祖先崇拝からも見て取れることである
>故に日本人は他の宗教の一神教を認めない それは本来、自分が目指すものであるからだ
これは妄言もいいところだわ
西洋人は「絶対的な存在」「自分達の次元を超越した存在」を規定しないと論理を構築できない
でも日本人はそもそも論理性に拘らないし八百万の神や風土的な信仰が物語るように相対的な関係で生きていける民族
「絶対」が無くても生きていける民族
だから西洋人は近代になって神が解体された時おおきな不安に陥るんだけど
それが無くても普通に生きている東洋人に憧れを見出したんだよ(オリエンタリズム)
>>354
「あなたがいなければ不安だ!」
そういう風に周りから思われる存在になることが日本人の目的だろう
だから災害から自分を守れる人物以外の他人を認めたくないのだ
>>355
いや、ステレオタイプな解釈になるけど
日本人は傑出した何かを求める傾向が無いと思う
例えば西洋人の絶対神的な考えは明らかに「傑出した存在を求めている」ことの証左でしょ
だから波風立てず周りと和を保ちながら生きていく
日本人はそもそも絶対神を必要としないし、また自分がそれになろうとも思わない
むしろ神になりたいのは西洋人の方で
デューラーなんかが典型だけど西洋画家の自画像というのは
一見して写実的に自分の顔を描いたように見えて実はキリストをモチーフにしている
これは「自分がキリストになりたい」というナルシズム
「周りが私を神にしてくれるだろう なぜなら私はこれだけ努力して周りを天災から守ってあげたんだから」
これのお互いにやるパターンで生まれるのが「和」というのがワイの解釈や そして同時に「甘え」という文化にもなる
>>362
いや、だからその「神」という概念を西洋的な意味で捉えるなら間違っていふと思うし
そうでないならワード選びが文脈からして適当じゃないと思う
>>364
別に雲の上に住む訳じゃなく神のように扱われて崇拝されることが重要なことであってだな……
そうだな 364の言う通り別に日本人にとって西洋の絶対神は問題じゃない なぜなら目に見えて現れる天災とならないから 問題は天災として現れる絶対神の下僕やな
>>367
天災を起点にした解釈は面白いけど
別に天災に強い人間が崇拝されてきたかというと違うと思うし
ましてや現代でそんなのはナンセンスの極みでは
日本の風土的な信仰も自分を超えた信仰というより
日常生活の中に神秘が溢れているという感覚の方が近い
しかし西洋の神は観念的で自分の次元を超えた存在だから日常に潜んでいるはずもない
しかも日本の神は絶対的な一つの存在ではなく神々同士すら相互に関係しあいながら存在している
つまり誰が最初の起点になってすべてが始まっているような考えが無い
言語的にも非論理的でコンテクストによる意味決定が多い
つまり日本人は本質的に相対主義の民族としか言えない
イッチが出だしから勘違いしてる
本質としての哲学と学問という形としての哲学を別けて考えてない
学問という形としての哲学は西欧で生まれたものだから日本ではその形をとらなかったのは事実だが
それが本質としての哲学が無かったことにはならん
イッチが論じたいのどっちなんだ?
>>366
哲学の始まりは天気やらがなんであるんや?って神話からやろ?それが
ギリシア
太陽あんのはアポロンが~(神話フェイズ)→そもそもなんで世界はあるんや?なんで見えるんや?(哲学への入り口)→延々と続く
日本
太陽あんのは天照が~(神話フェイズ)→おわり
神話が神話の状態で終わってる
>>375
単にリーダーになりたいだけでしょ
それで「神」って言葉使うのは間違ってると思う
>>376
神になりたいからリーダーを目指すんやで
神になりたいというが、それならば神とは何か、って哲学的な考察でもあればまだマシなんだが
そんなものはカケラもなく、単にみんな触れ伏すイッチャンエライ存在って意味で神って言ってるだけだろう
つまり物凄く低次元な自意識を満足させて欲しいって願望以外は持ってないんだろう
5歳くらいの子供が、ボクに構って!ってダダこねてる状態だな
>>381
神=自分を天災から守ってくれる人って言ってるじゃん
>>383
じゃあ高台に作られた津波シェルターが神か?防波堤になりたいの?
>>384
津波シェルター自身は怖くないから神じゃない でもその例えはいかがか
仮に津波防げる人間いたらすごい奴だとおもうだろ
>>386
まず災害に強い奴が「絶対的な存在」では無いから矛盾してる
全て置いて短絡的
リーダー目指すなら災害云々より経済で勝つ方が遥かに効果あるよ
>>389
ワイは古代のDNAをもとにそうなってるっていいたいんやで
1からワイのレス見て見てくれや
そしてその経済の問題も日本人は古代の災害の歴史から、災害であると認定してしまうんや
そもそも現に日本人は東郷神社とか乃木神社とか作って人を神にしてんじゃん そういう風な英雄になりたいんだよ日本人は
ローマでもシーザーを神格化したりしてる
キリスト公認以前のローマも日本と同じ多神教で祖先崇拝してる
それを踏まえてもう一度言うぞ?
日本人は神になりたいんだよ
合ってるか合ってないか抜きにして一言言わせていただきたい
乃木は神になるために日露戦争で兵隊を死地にいかせたのでなければ自分の息子を死なせた訳でもない 戦争に勝つためやぞ
>>399
まぁそうだな
でもそれなら逆に乃木は神にならなかったはずだろ?
みんな神になりたいからこそ、自分が認めた人物に神という自分にとって最上の称号を与えたいんだ
神?ねーよ と思う人に想像してもらいたい
あなたの親戚が宝くじ3億当てました するとその親戚が「半分あげるよ」といってあなたに1億五千万くれました
その時あなたはその親戚をどう思うでしょう?
どうしても「神」ってワードが浮かんできませんか?
>>404
そういうレベルでの「神」なのか…
>>405
何が言いたいのかと言うとそれだけ日本人の深層心理に「神」が根付いてるってことや
ざっと読み流したけど
イッチなかなかおもろいこと言ってるで
心に留めておくわ
>>407
サンガツ
繰り返すが、天災から守ってくれる強いモノを日本人は神とすがる
最もわかりやすいのは元寇だ
敵は異民族であり、天災ではない しかし日本人は身に降りかかる不幸全てを古来からの伝統により天災と認識してしまう
元に元が日本に攻めてきた時、鎌倉武士もかなり頑張ったが、日本はそれが敵わぬくらい強大であると知ると、石壁をつくりその上で祈りを捧げた
まるで川の氾濫を納めるが如くである
そして、なんと幸いにも偶然居合わせた台風により元軍は壊滅した
それに日本人が付けた名前は「神」風である
日本人の言う「神」は概念やもんな
具体性はまるでない
乃木も東郷も神風の人間版のようなもの 現に203高地前の乃木は国民から無能と侮蔑されていた
が、勝利を収めた後は掌クルーで英雄になった
そんなこんなで時代は過ぎ、アメリカという天災を前にした時も日本は神風に頼った
そして作られたのが神風特攻隊>>413
の通り日本人にとって神は具体性がなく、少なくとも自分達を守らない限り「神」ではない
日本(というかアジア)では自然は一体化するもの、もしくは没入するという自然観があって
一方西洋は神が基礎であって自然は神が想像したものだからその秩序を見つけることで神の知慧を知ると言うのが西洋の自然観
西洋はまず始めに神ありきでその後に人間がつづく
日本ではまず人間ありきでその人間を天災的なものから救ったものが神になる
>>432
西洋の神と日本の神が同じ神だって前提に立ってる訳?
>>437
人間の知覚するという意味での神ね
日本人にとっての神は天災から自分を守ってくれるもの=人でも現象でも神になる
西洋の神はキリストだのヤハウェだので最初から固定されている
だから同じじゃない
救ったものってのが引っかかるな
神という考えの土壌にはアニミズムがあるやろ
んじゃ最後にひとつだけ
日本人は物にも神が宿ると思っている だからこそ物に完璧性を求める 神は絶対でなければならないからだ
故に完璧でないものを見つけたらそれを神に近づけるためにアドバイスをする 重箱の隅を突くようなそのアドバイスは時に人の反感を買う
しかし、だからこそ日本のものづくりは発展した
天災に対抗するための家や着物も、モノである 完璧なモノは神であり素晴らしい
そして、神は常に天災から我々を守ってくれるのである
時にそれは本でもあり便所の落書きでもある こんなワイの便所の落書きにでも神は宿っており、その知識はワイを天災から守ってくれるかもしれないのだ
このイッチとお酒飲みながらこの話ししたい
面白かったよ。
相撲界みたいな日本の体質は好きやないわ。
でもどうしようもないんやろうな。
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1511925013/
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コメント一覧 (99)
異民族への大義名分が家族か否かで終わるんだから、その理屈としての哲学は要らんし、相手に調和の意志があるなら日本ナイズして家族にすればそれで終わりであるし、なにより日本神話と仏教が既に西洋哲学への本質的な解答である。そりゃ要らんわ
対して西洋哲学の、つまり聖書における神話のに神とは、土遊びで人を作った「謎のおっさんA」ただ一人だ
当然、人と神との繋がりはないし、他の神への寛容性も無いから、異民族制圧の大義名分として我々こそが神の子であると言う理由付けが必要になる。要は西洋世界は常に力こそパワーで世紀末で北○の拳なのだ
結局のところ、天地開闢から人の誕生まで神と繋がっている日本と、神話を棄てた民族との差なんやなって
大体、西洋哲学やグローバリズムを声高らかに叫ぶ奴ほど、日本の神話も歴史も良くて表面の文字の読み方あいうえおだけお勉強して全て知った気になって他人に説教するのほんと草生える。これがゆとりなんやなって言われてしまうわけだ
372のように、西洋圏においてはA→B→C...と根拠の根拠を示すために無限に遡るけど、日本人はBを絶対化するからそこに何も疑問が残らない的な
日本において大衆が上記のようなBのような浅い視点だけから述べないと理解しないという傾向が強いことはもちろん、行政の縦割りとか、学問において学際的な考え方が苦手なのも、深く遡らなければ問題領域間の関連も意識されないと考えれば個人的にこれで説明できたりするんじゃないかと思う
言葉選びが適当ではない感じ
考え方とは違うんだろうか?
冒頭から一神教が興るかアニミズム的宗教のまま推移するかって話になってる気がするが、日本以外だってまずはアニミズム的多神教だったろう ギリシャ神話とかローマ神話とかエジプトの神話とかいろいろなかったっけ ケルトや北欧神話もそう
気軽に侵略されるような条件の島国なら話は別だが
ちなみに日本は天皇への一神教的信仰があるかもしれない
対外的に緊張が高まると天皇のもとに結束しやすい
どうにもならないと嘆くより直接批判したほうが効果がある。
どんどん障害者批判など行動に移すべきだ。
発達障害者みたいな頭の固い集団が悪い。
うまく説明できないけど、日本人は限りなく自然な存在だったと思う。
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の中で、"西洋人が水を造形するのに対して日本人は
水の流れの中に自我を見いだす"みたいな文章があったと思うけど(よく覚えて
ない)それが究極の答えだと思う。
障害者意識も同様で、甘えや言い訳や屁理屈となる。
ただそれが他民族の殺戮を肯定する為、聖書に言われる人と繋がりの無い神の存在証明から必要だった西洋と、神話と繋がる神の子であるが故に、同質たる自然との共存共栄こそが哲学だった日本と言う差なだけで
そもそも日本人とは何なんだ
ワイは日本人やけどぜんぜんスレ主の言うことはピンと来ないぞ
夢や希望や努力や根性、勝利や名誉や栄光、家柄や学歴や職歴、年齢や性別や宗教、音楽や絵画や文学、友や恋や愛のような、何の価値も無いゴミのような哲学。
無いと言われても何と言われてもなじられたとは限らないし憤慨しなくてもいい。
妹から「私には夢がある。私はしっかり勉強しているから夢を持てる。しっかり勉強していないから、お兄ちゃんには夢が無いよね。」などと言われ木刀で殴り絞殺しノコギリでバラバラに切断した武藤勇貴は15分に一度は手を洗う潔癖性でもあったという。
このスレは哲学に執着する一部のアスペルガーなど精神障害者を釣ってアフィリエイトで搾取しようとする罠であり餌。
講義内容とは関係ない与太話の一つだが妙に記憶に残っている。以下こんな感じ
・自分は血液型A型の人間が嫌い
・A型は農耕民族
・農耕民族は死に対し深く考えようとしない
・土(自然)に還るだけと思っているから
・哲学は生や死について追求する学問
・日本人の大多数(4割)がA型
→だから日本に哲学が根付かないんだッッ!!
最後の方は教卓かホワイトボードを手かテキストでバンバン叩いてたんで皆ドン引き
終了後の講義室がかなりざわついたの覚えてる
ちなみに自分A型
夢や希望や努力や根性、勝利や名誉や栄光、家柄や学歴や職歴、年齢や性別や宗教、音楽や絵画や文学、友や恋や愛には哲学があるから価値が出てくるんじゃないんですかねぇ
まぁ、そういうものに価値を見出すという行動をする人間が見出してるその「価値」っていうのは哲学的な意味での価値と異なる(神経生理学的、生物学的な意味で快を生み出すから価値をみいだし)とも思うが、その「価値」って価値と表現すべきなのかね
一般論にしたいならもっと緻密にかつ、客観的な根拠を大量にもってこないと
1プロット200年でざっくり取った折れ線グラフみたいなもんで
「ん、なんでここをプロットしたの?」ということくらいしか突っ込みようがないから
理論が間違ってないから突っ込めないんじゃなくて、そもそもの定義や意味から確認しないといけないからいちいち付き合ってっていられない
10年近く前の2ch国際ニュース板か何かの、屋台の行列に並んでいた二人がカント哲学に対して討論になり片方がキレて銃ぶっ放したと言うスレのログが残っててだな、まあ予想通りスレ民は面白がってるだけだったが俺は唖然としたよ。何せ口論で手より先に銃出す様などう考えてもDQNな奴ですら、中身はともかくカントに付いて議論できる程の知識を持ち合わせてるんだからね。日本で同じシチュ再現しようとしても、そもそもかなりの数が「カント誰それ?」ってなりかねない、土壌が違う事が痛感できるよ。
それ連赤だけだろw中核派も革マル派も日赤もリンチなんぞ起こしてないし、東アジア反日武装戦線なんてガチアットホームな組織だぞ。ってか追われてる状況で雪山の閉鎖環境なんかに置かれたら、一般人でも刃傷沙汰の一つ二つ起きてもおかしくないぐらいの精神状態になるわw
後、「平和」はともかく「友愛」なんて強調してないし、平和にしたってあくまで個人、国家間の争いのみであって最初っから支配階級に対しての物じゃないと言うのは明示的に示されてるだろ。
議論できる関係や雰囲気を構築するだけの話術も持ち合わせてないんだから無教養で哲学も教養もないバカだと思われてあしらわれてそうなのに「日本人に哲学や教養がない」だって
唖然としたのも面白がってるだけなのと同じなの本気で分かってないのかな
面白がってるところ邪魔して悪いけどそういう話じゃない
一人の時も個人間で平和にやっていくにも、自分が知的障害者レベルの人間だってこと自覚した方がいいぞ
これも別に俺が優れてるとかバカな話じゃない
いや、お前は十分バカだよ。正しい知識を基にした認識が構築できていないから、哲学=左翼=リンチ何て言うテンプレ染みたガキっぽい例えを言える脳ミソになる訳。地球を平らだと言う様な前提はまずそこから共有できない。
前提を共有してもらう気がないように思われたいんだと俺は思ったが、そうでなくても正しい立派な知識があっても意味がない
すぐバカだとか言って中身に興味ある人まで自分で追い払ってたら議論なんかできるわけがない
女々しい男が自分のこと見てほしいとかそういう話ならまず武器も防具も捨てて裸になること
元々俺は>>27程無知で無礼な輩と議論するつもりも無いし、単にバカと言うだけではそれこそただの感想なので、根拠を添えてバカと言う・・・一種の趣向に基づいて殴っただけですが?w何にせよ結論はある程度その前提となる根拠を提示せにゃならん、例えその結論が「貴方はバカです」でもねw
>>25は礼儀を欠いているが主張や論点が不明な感想だから>>27>>30>>33が出た
感想も大いに歓迎だが結論や根拠は必要ないぞ
Tehuさんにでも憧れてんの?
一般的な日本人論について考察する事の何が無礼なのよ?頭大丈夫?
お前はそのまま地を這いずり回ってればいいよw
なにがドジョウだよウナギの方がうまいわ
あまり調子乗ると哲学がガイジのやる学問だと思われるぞ
結局、日本はヨーロッパと違って、島国で単一民族国家だから、他民族など価値観の違う人と接する機会が少ないことが一番大きいんじゃないかな
意義を深く考えなくても協調性全振りでなあなあで合わせてたらなんとかなる社会
空気を読んでなにかと周りと合わせたがる国民性もあるから、自分から「生きる意味とは?」「自分は何がしたいのか?」とか深く掘り下げるというよりは、とりあえず多数派に合わせて「普通」の人生のレールに乗っかかる人が多いし、実際それでなんとかなってしまってたから(もう一億総中流の時代は過ぎたしこれから変わるかもしれないけど)
そういうスタンスなら哲学も宗教も必要無くなるのも分かる
極端な話、宗教を全否定したら、人間も他の動物や物と同じように無意味に生まれて勝手に死んでいくだけの虚しい存在なんだけどね
いわば「人生は死ぬまでの暇つぶし」を地で行くライフスタイル(自分はまさにこれだしそれが悪いこととも思わないけど)
大学行ってた人なら分かると思うけど、留学とか積極的に外の世界に出ていくようなタイプの人はちゃんと自分を持ってる場合が多いよね
哲学も語学と同じで必要に迫られたら嫌でも勉強しだすんじゃないかな
ガイジ君は哲学(笑)にすがるよりもナンパでもして協調性や社会性を身につけるトレーニングをしたら?
日本人とは?国民性とは?国家とは?
おそらく43は日本人で日本国に属し、日本人の国民性を持っているだろうけど、なぜそのように言えて、自分自身、宗教心はあるのか?
ある、無しに関係なくなぜそのような宗教的態度を取るのか。そしてなぜそのような態度を取るようになったのか
そこからじゃない
言われてみれば、自分の身近な人間を見た感想になっていてそこら辺をあまり掘り下げてなかったな…反省
自分は、年中行事としての初詣とかは行ったり、観光でお寺神社教会に行くことはあるけれども、信仰心は持ってない
大学がキリスト教だからお付き合いで礼拝に行く機会も多いけど、正直自分にとって聖書は「教訓の多い意味深な面白い小説」って感じで、聖書の世界観で世界を見てるクリスチャンとは違ってあくまでフィクションとしてしか見れないな、と思う
少なくとも、「宗教を勉強するのは生きるヒントになって面白いけど宗教団体はクソ」って思っているから、特定の宗教に入信することは無いと思う。
団体になって専業の聖職者ができてしまうと、その人達の生活や組織を維持するために会社みたいに金銭的な利益をあげる必要が出てしまうから、本来の目的が二の次になる。新興宗教は言うまでもないけど、昔からある宗教でも葬式仏教みたいになるパターンもあるし。そもそもほとんどの宗教で、信者以外は地獄に落ちるという教義があるのも信者の囲い込みのためだよね。個人的には複数の宗教のいいとこ取りでも構わないと思うけど
もし僕が何かを信じるとしても、本とかで勉強できたら十分かな
そこで学んだ知識だけを元に考えることは当然のことながら、その大学へ行くに至った経緯も、過去の自分が非常に大きな間違いの数々を犯していたと判断できるでしょうか。
現在も近い将来でも、自分自身は他人を批判できるほどには成熟してはいないと考えられることこそが成人や哲学の初歩になるのではないでしょうか。
自分がそう思うようになったのは、一般教養で取った宗教学がきっかけかな
元々、漠然と宗教はうさんくさいと思ってたけど、「なんで世界には信じてる人がたくさんいるんだろ?まだ宗教が現代にも残ってるんだろ?」と疑問に思って宗教学を履修してみた
で、学んだ結論としては、宗教を信じる意味で、一番大きな二つの理由は、「虚しい人生にストーリーを与えること」「価値観の転換」だと考えた
>>43で言ったように、人間の生まれて生きて死んでいく理由なんて宗教無しでは何も無くなるわけで(教授はこれを究極のニヒリズムって言ってた)、無理に例えるならマイクラみたいな自由度の高いゲームに近いかも 何も指針が無ければ何をやればいいのか分からない人も多い
そんな人生に、例えばキリスト教なら天地創造から死後は救われて最後の審判までのストーリーを与えてくれる イスラームだともっと事細かに戒律があるからある意味全部決まってて楽なのかもしれない
RPGみたいにわくわくするストーリーを与えてくれるから、信じると生きがいが見つかる、生きるということに意味付けしてくれるから安心する
もう一つの価値観の転換というのは、もともとどの宗教も始まりは、既存の価値観と対立していたし、当時の世間一般の価値観では底辺とされていた人を救ってるよね
そういう既存の価値観で不幸になりがちな人向けに、教団内で通じる新しい価値観を使って考え方を変えて、その人を「自分は幸せなんだ」って思えるようにしてあげること
例えば、イエスが当時差別されていた徴税人や売春婦も見捨てずに救っていたのも、今でこそ少なくとも建前は職業に貴賎は無いわけだけれども、当時としては画期的な発想だっただろうし
それで、まあ宗教を信じて幸せになる人もいるんだなってのは理解したけれど、自分は今のところそのどちらも必要無い、と思ったから
前者は、まず意識高い人ならわざわざ生きる意味とか小難しいことを考えたがるのかもしれないけれど、自分はぶっちゃけどうでもいいし、何も考えずに「人生は死ぬまでの暇つぶし、どうせなら楽しくすごそう」で何も不都合が無い
後者は、そもそも現状が言うほど不幸じゃないから必要無い 上を見ればキリがないだろうけど、とりあえず平均以上の大学へ行けて生活できるだけのお金があって友達もいてサークルやバイトも充実していてアニメやゲームとか今みたいに2chまとめとか旅行とか楽しいことがいっぱいあるし、自分は今で十分幸せだから、わざわざ宗教の価値観を取り入れる必要性が無い
と、まあこんな理由で今のような考え方になりました
書いてる途中にコメント頂いてた…気づかなくてすみません
言われてみれば、大学の講義でいろいろ知ったつもりだったけど、とても狭い世界で判断してたな…と
もう少し謙虚に見てみようと思います ありがとう
書いてる途中ということは、投稿するにあたって全体を読み返して間違いや失礼がないかを確認もせずに衝動で書き殴って捨てたことを意味するので、誠実な投稿や人物とは見做されにくいでしょう
解説を求められたとでも思ったのか。
そこからの発展も無しに顧みただけで省みもせず歪んだ自閉を強めたか。
どうせ哲学好きなんてこんなものだろう。
一応習ったし、無宗教っぽく見える日本人にもお祓いとかお守りとか、一部では宗教性が残ってるのは知ってますよ
欧米から見たらただの迷信に見えそうですが
>>53
言われてみれば視野が狭かったですね…
また勉強し直してみます
>>54
推敲せずにそのまんま投稿したのは良くなかったですね…以後気をつけます
>>55
そういう意味だったんですね…てっきり根本的な部分の考察が甘いってことかと
宗教学のほうはこんな内容のレポートで内容を肉付けしたらA判定で単位を貰ってしまったので、うぬぼれていたところがあったのかもしれません
まず基本的な考え方からおかしいとは思いもよりませんでした… また機会があったらまた哲学や宗教の講義を取ったりして勉強し直そうと思います すみませんでした
様々な面で根本的な部分の考察も甘い。
俺は>>55だが、>>45ではないので「そういう意味」ではないだろう。
人付き合いの仕方も受身の講義だけでは決して得られない。
それらを学んでこれなかった状態では哲学には興味を持たない方がいいだろう。
一応高校や大学では陰キャながらも友達はいるんですけどね…まだまだやわ
単位のA判定とかってあてにならないんですね
どうやったら考察のしっかりしたまともな文章を書けるようになるのでしょうか?
2chでもたまにおおってなるような文章書く人がいるから憧れます
MARCH関関同立レベルのFランではダメなのかな…
ただ、自分自身が日本人であるという極めて身近で確実で深く分析できる事例があるにも関わらず、なぜそこからやらないかという指摘をした
そういう意味では55は表現は過激やけど間違ってはいない
長文のレスがあったけど、それを自分自身で読み返したら何か発見があるんでない
とりあえず、お前さんには信仰心が必要ないという今の状態があるわけやな
自称学生も人格障害者による嘘の可能性があるわけだが。
文章のいいところは、自分の考えを文字により保存し、客観的に見れること
哲学がどうかはともかく、このトピックに長文を書いたところからも、何かしら強く惹かれるものがあったわけやろから意義はあるんでない
さて、本題ですが哲学や宗教(同列に論じるべきものではないかもしれませんが)などは日々の生活における「生きづらさ」がベースになってるのではないでしょうか?「自然に」うまく生活していけたら、そのような「概念」を思索する必要すらないからです。
もっとゆとりをもって構えたらいいのに、そんなのしてたら考え方も偏って視野も狭くなるでしょ
なんでプレゼンなんて情動にうったえるものが持て囃されたり、古来から演説が重視されてるかを考えてみたらええわ
今の思考と感情は今しかないんやで
冷静でいると、どうしても保守的になるからね
冷静も保守もダメなら覚醒剤でキメて興奮して人でも殺しまくって逮捕されて看守に懲罰房に入れられて中の真に自由な解放された空間で哲学するのがいいね
演説するにも老若男女の思考と感情捉えられないととんでもない逆効果になるし言葉選びや質疑応答の成果も重要になることぐらいわかるよね?
哲学が好きなんじゃなくて、自分の好きなことをするのが好きな自閉ガイジや
後、他の人と勘違いしとるのでは
それに、ワイは演説やプレゼン大嫌いやし、スレ主のような「日本人」論も心底バカにしとる
お前は日本人やないんかい、というw、何他人事見たいにかいとるんやというw
ワイはギリシャ哲学のような感情を追求し、それを満足させる手段を考え実行するのが好きなんや
日本語話者を表す日本人に在日発達障害者が勘違いして怒り狂うことは考えられる。
こうは言っても俺が在日なわけではない。
そういう切り分けが苦手な人が一人で勝手な思い込みの感情で先走ってを繰り返して診断されるのが発達障害者だろう。
これは>>69の投稿に影響を受けた内容だが、ここはIDもないし境界性や自己愛の人格障害者が多そうだから、誰がどの発言者かなんて自分は気にしていない。
なるほど… 身近な存在だしそこを深く考えるのも面白そうですね
文章を見返してみてまた考えてみます
みんなシコるのが大好き過ぎて超忙しいから、思索なんてする暇がない
それだけのこと
それをやった上で同じ疑問を身近な宗教者に聞いてみたらええんやない
彼らには彼らの生い立ちと考えと感情があり、そこには理解や共感があり、同時に「無宗教者」の「日本人」に属する自分との差異も分かり受け入れるのではないか
聞いてみるのが対話じゃなくて、長ったらしくウジウジ小出しにして「ど、どう?」みたいな何を聞きたいのか分からない系とか「どや!俺の意見に全面同意しろ!」系とか無茶な言い方してしまう会話能力の乏しさが問題なんじゃないかと思う
>>「ど、どう?」みたいな何を聞きたいのか分からない系
これは悪くないし、相手の教えたい、分からせたい、考えを共有したい欲を刺激するから有益
>>「どや!俺の意見に全面同意しろ!」系
これはダメ。正にスレ主のやり方。
結局、自分が何をしたいか、何が嫌か、やりたいことをどうやるか、嫌なことはどう避けるか、という知恵の養成やと思う
それもあるけど、ほとんどは知恵じゃない問題だと思う
・したい事をできない時に質問や相談をしない、またはその相手がいないか少ない
・>>63が言うように何かに怖がって攻撃してるイメージがある
・心因性の大きな不具合がずっと未解決で放置したまま
自分にも経験はないし言っても仕方ないけど、中学や高校で運動部に、大学でサークルにでも入ってたら擬似的な親子ができたりしたんじゃないかな
自分が何かに怖がっている、けれど、自由に生きたいしそれを叶えるために、その何かを追求することだ
「哲学」なんてしない方が苦労もないし楽しいんだよ
でも苦労せざるを得ないから哲学のようなことをして苦労なく楽しくできる要求なんだよ
二行目と四行目の日本語が難しいです
どういうことか誰に何を言っているのか分かりません
自問自答だったらすみません。お邪魔しました
さて、西洋で哲学と分類されているものは個人がベースとなっております。日本のように農耕文化、および単一民族(微妙に多民族も含みますが)がいわゆる「空気」という日本独自の統治システムを作ったのではないのだろうか?個を個として主張し、そのパワーバランスの上で権利として人権を勝ち取ってきた、ヨーロッパを根源とする文化とは根本的に違うと思うのです。(フランス革命に代表されるように)つまり、西洋の哲学に対応するのが日本の空気です。
×なじめる空気
×個人的に憎くなくとも
×平気で集団となって
×村八分をすることに何の疑問も感じない
×空気にのることができない
×我々は
×心理学や社会学を勉強したりして
×定型が自然に行ってる
×発言や動作を意識化したり言語化することができる
日本人は自閉症スペクトラムの人とそれ以外に分けられるものではない
基礎的な分析が間違っている以上、どれだけ心理学や社会学を身に付けても実りはない
西洋において、自然とは無知であり、力と知恵で捩じ伏せ支配するものと言う認識が絶対普遍の価値観としてある
言い換えれば、西洋においては自然とは征服し、支配と言う管理をしなければならない物である。それを踏まえた上で、では無知なる自然を支配し管理する人間のように、人間を支配し管理する超越存在とは何かと言う問いが生まれる。その答えが人を越えた知恵を持つ唯一絶対の神なのである
すなわち、神により近い事が他者を支配する免罪符として機能する社会となる。これが西洋における動物保護団体のイデオロギーの中核であり、ヴィーガンの病的な動物食忌諱の理由であり、AIや人形ロボット拒否の根源でもある
他方、日本において自然とは繁栄の為の恵みを与えてくれると同時に、様々な災害によって人の営みを容易く破壊する災厄をもたらす荒ぶる隣人であった
西洋のように知恵や力で対抗できる生優しいそよ風の様な災害ではなく、常に生きるか死ぬかの大災害が頻発するのが日本列島と言う立地であり、同時に、その災害によって豊かな土壌と綺麗な水(つまり豊富な食料)と言う恵みをもたらす善き隣人でもあった
つまり、日本人にとって、自然とは姿形が異なるだけの隣人であり、彼らといかにして共存するかと言うことが重要になる
そこに絶対的な上下関係はないため、自然とは出地は違えどルーツは同じ(八百万の神々の事、日本では人間は神の直系の子孫なので)と言う日本的感覚が存在する事となる
非常に乱暴に纏めると、ボス猿になるための手段として、自分を神に近いと証明したいから哲学してる西洋と、みんな神の直系子孫だからそんな西洋的ゴミ証明以外でマウント取る必要がある日本という対比に過ぎない
コピペはダメだよ
感動したんだったら自分の形にしてみようよ
そうじゃないと元の書いた人に失礼だよ
コピペじゃなかったらこんなの書いてる自分がダメじゃん!
西洋では自然を支配出来たのだから、自然を支配した人間を支配する上位存在Xが存在し、それの大元こそが神であり人を動かす自我の本質と考えられている
よって自我は神を証明することで成り立つので、神の存在を証明するために哲学が発達した
日本では自然と共に生きているのだから、自我とは自然に帰結する普遍の何かー通常、それは魂と呼ばれているがーは自然に帰り、また人として戻ってくると考えられている
すなわち、日本における自我とは自然と人間の間を行き来する魂であり、魂の高潔さを保つことが自我を保つ事に繋がる
よって、御霊磨きの様な自らを律し、立派な人となる事が自我の証明となるので、言葉遊びの様な神の証明は不要だった(神の証明が不要なのは、西洋ではキリスト教により棄てられた神の直系子孫であるという神話を日本人が持ち続けたというのもある)
結局のところ、猿山のボス猿になるための担保が神の権威と言う西洋か、個人の繋がりの最大公約数である家の高潔さだった日本かの違いと言うだけである
ものごとを認識する時の型のはめかた
わかる
でもお前高卒じゃん
司法試験受かってない人はみんな法律の知識持ってないんですか^^?
(書いた私も、直感的には持ってないと感じちゃうけど)
コピペではないが、87は考えがどつぼったままに送信してしまっただけだな
語られる哲学の行き着く先は、常に、いかにして猿山のボスとしての正統性を証明するか、ただその一点だ
丁度あなたがコピペか、そうでないならクソだと決め付けようとしているように
全ての話が相手の否定か肯定しかない様に、マウントを取るか取られたと認める他に話の切り返し方がない様に
真に哲学足り得るものは言葉にならぬ感覚のみ
言葉を紡いだ時点で猿のマウンティングのそれと本質的に大差ない。この文章、このスレッドの様に、何気なく会話していると言うその行為の全てが哲学を語るにあらず。ただ己の地位の確認と他人を蹴落とす為の競走の道具としての哲学に過ぎぬ。我の有る限り哲学は哲学足り得ず
されどなお敢えて哲学を言葉にするならば、それはまさに空へ、虚無へ、己の全てを投げ棄てた先にある感覚のみぞ理解せしむ夢の欠片ぞ。語るにあらず、知るにあらず、見るにあたわず、ただ量るのみにして常にたがい、たゆたうのみぞ。
言葉に囚われれば神も人も見えぬ、ただ霞の上の幻の誤認にすぎず。全ては望む限り識りえる。されど我により歪み、知により曲がるがゆえに語るのだ。言葉遊びに過ぎぬ哲学を
87は素直によくわかる解釈やで
劣等感と妬みと、歪んだ優越感を持っていて、わざわざ難しい目の単語を用いてこけてるのが一人いる
神について説明するために発達してきたみたいな歴史はいいよ
日本でも平安時代には似たようなものがあった
平安文学には哲学的な随筆がたくさんある
だが鎌倉時代から日本が戦乱の世に入り貴族階級が消えると同時に哲学者も消えた
戦乱が終わった江戸時代も産業が発展して暇人がいなかったので哲学者不在のまま
明治維新を経て学校教育が始まると学問を極めた知識人が西洋式の哲学に傾倒し
昭和が終わるまでの間に哲学的な文芸作品をたくさん書き残した
ただ平成に入るとバブル崩壊と阪神大震災を受けて社会が混乱し
その解決を担う世代に暇がなくなったため哲学は再び消えた
…ということでは?
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※悪質なユーザーを発見した際はメッセージにてご一報ください。アクセス規制処置を行います。