
ワイ氏「ドッジボールは人にボールをぶつけることに喜びを見出す野蛮なスポーツ」
ワイ氏「(ドッジボールは)恒久的に禁じる」
やったぜ
>>2 一定の支持は得たようだな
はい鬼ごっこ
>>3
鬼ごっこはタッチするだけ。ドッジボールはボールを相手にぶつけるという傷害行為
>>11
申し訳ないが子供を鬼と称して阻害しながら逃げ惑う遊びを肯定するのはNG
>>14
それもそうだな。鬼ごっこも禁止。鬼と呼称するものは人を侮辱することに繋がる。警察ごっこも背景に犯罪者役もあることから禁止することを明言
>>24
かくれんぼも神隠しや誘拐を連想させるからアウトやぞ
>>27
かくれんぼは社会からの孤立からの解放という1種のストーリー性、孤立してる人を探し出す精神を育てるからセーフ
神隠しは神という宗教観念的理由から対立が生まれる危険あり、よって禁止
おままごとは近代的家父長制を助長し、権威主義に繋がるとして禁止とする
無能
小学生にとっては晴天時は外でサッカー、雨天時は体育館でドッジボールというのが黄金のサイクルやぞ
>>4
ワイ氏「体育館では球技としてバスケ、バレーボール等を推奨する模様」
体育の時は先生いるからセーフやろ
>>5
一人だけ残されて集中狙い(集団暴行)に発展するケースも少なくないと指摘が
やっぱりやきうがナンバーワン
>>7
ワイ氏「やきうを日本の国技にすることを提案」
もしかして、いじめもスポーツにすればええんやないの?
ケイドロ無しは流石に酷いわ
Sケンとかまたしたいンゴねぇ…
無理やろなぁ…
>>25
いじめのない社会を目指すためやで
マッマ「外で遊びなさい」
老害「ガッキのけやグランドゴルフの邪魔や」
公園「ボール遊びも大声も走り回るのもダメ」
彡(゚)(゚) 公園ってなんなんやろ
>>34
これの結果外でゲームするキッズ増えたんだよなぁ
>>35
老害「外でもゲームとは、ワシらの時代はもっと元気やったぞ最近のクソガキは」
>>34
普通に子供が外ではしゃいでるワイの地元は珍しい方やったか
>>36
都会特有やで
田舎の方が子供達の育成には向いてるわ
ちゃうぞ
ルール上仕方なく攻撃させられている人が投げたボールを避けることに喜びを見出すヘソ曲がりなスポーツやぞ
ドッジボールおもろいと思ってやっとるやつおるんか
>>40
(ドッジボール好きでは)いかんのか?
>>40
大人になってやってみ。熱いで。
ドッジボールおもしろいだろ
小学校以降やった記憶がないが
ボール避けるのは楽しかったんご
陰キャが最後まで残る唯一のスポーツやぞ
元外野VS元外野とかいう
陽キャ同士のラストバトル
運動音痴小学生ワイ、ガチで人権がない
バスケやバレーは技術の習熟差でいじめに繋がるからそれもそれでアウトやろ
>>56
サッカーもやぞ
なお水泳はできても評価されん模様
ボール当たる→痛い
ボールキャッチする→痛い
避ける→避け続けるのは無理→痛い
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1509059492/


























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コメント一覧 (90)
パパンのセイシの中で勝ち抜いて生まれたのがおまえらやし、生まれてからも他者が存在する事でずっと競争競争や。
生きてる以上、競争に参加していることになってる。
そして、闘争心が備わってるのがデフォルト。
なのでいじめは無くならない。
個人を晒し者にするのが目的としか思えん
団体競技での揉め事や嘲笑は他に比べ
何故か教師も止めないことが多い
勉強の成績よりもいじめに発展しやすいのに
部活動以外は個人競技だけにしろ
3次元空間の肉体ではそれは圧倒的な真実。世界の共通言語は英語ではなく中国語でもなく”痛み”なのかもしれない。でも、ならば命は最初から勝てない戦いを強いられている。死亡率は100%だからだ。エゴ、肉体のこれが限界。これのみなら、何一つどこにも救いは無い。
顔面に当たったらセーフで外野行かなくていいとかどんな拷問だよと思ったわ。
個の目線で見るなら100%の致死率で救いは無いが、種として見るならその限りではない。
(存続を良しとする価値観がある事が前提、って話になるけどね)
試合中ボール回ってこなくて棒立ちしてたわ…
バレーサッカーバスケは相手に弱い人がいたらそこを攻め続けるだけで勝てるから、自分の責任が重すぎる 特にバレー
体育の授業で相手チームが延々と自分に向かってサーブを打ち続けてきて、自分が全く返せずに負けたことがある
楽しくなさそうなチームメンバーの表情を見るのがつらかった バレーは一番やりたくなかった
そこが物質と命の圧倒的な違いだね。命を生もうとするポテンシャル。自分の命を大切にするのもこのポテンシャルだし、その大切な個を時に犠牲にしても種を残そうとするエネルギー。なら、この命のバトンリレーの流れの中に救いがあるのかもしれない。永遠不滅を願う自我は納得しないだろうけどね。イジメが発生するメカニズムもそれを憎む気持ちも同じくこの流れの中に含まれているのかもしれない。
とてもいいね、この話題。大変興味深い。
>>この命のバトンリレーの流れの中に救いがあるのかもしれない。永遠不滅を願う自我は納得しないだろうけどね。
老齢になると小さな子供が愛おしくて仕方なくなる理由は、バトンリレーの中の救いや希望を見出すからから、と自分は思ってるよ。
永遠不滅を願う自我は、歳をとるにつれて「諦め」になって受け入れるしかなくなるんだ。
>>イジメが発生するメカニズムもそれを憎む気持ちも同じくこの流れの中に含まれているのかもしれない。
俺もそう思う。
生物としての闘争心、安全な群を築くために異質を排除する本能的なもの。
それらを憎む気持ちは…なんだろうね。
必ず共働きで家事も分担する家庭、シングルペアレント家庭、
子どもを持たない夫婦、同性愛家庭の役を作り、
さらにそれぞれに障がいあり家庭、障がいなし家庭を作ることとする
イジメの被害者が当人にとっては意味なくいじめられており集団から一段下に見られ軽蔑されており、イジメの加害者=場の権力者が意味なくあがめられて、かつ潜在的に全体に嫌われ憎まれ恐れられており、その最底辺と権力の頂点の間に目に見えない緊張感のあるロープが張られており、そのロープによって集団の秩序が維持されているようなイメージがわく。自分も被害者だった時代がほとんどなので決して認めることは感情的にできないが、それでも客観的な視点で見れば、集団の歪みを支えるような役割があったと思われる。
集団心理力学・遺伝子的アプローチ、などから見てみるとさらに興味深い。検証すればするほど、個としてのエゴなどは吹っ飛ぶ話だ。個人的にはスピリチャル的なアプローチも信じている。
友達と恋愛も
エホバも統一教会も創価学会も嫌いですww
ほとんどの宗教は悪魔崇拝に近いと感じています
(教祖は別かも、大衆が自分達に理解できない教えを貶めて社会秩序としての倫理にしてしまう。倫理にはイケニエによる秩序維持さえ含まれる。)
「構造と力」、「利己的な遺伝子」を読むことをオススメする
ロープの例えは大変わかりやすいし、とても共感できるな。
色々なジャンルの学問もバラバラと点在しているが、この世を検証するという目的からしたら全て繋がる、というのもとてもよくわかる。
全体として種の保存という目的があるとして、なぜ個での自我があるのか。個の自我は、全体にある種の保存を意識・把握できてないものだと思われるが…それはなぜだろう…
自我が無い方がもっと繁栄すると思うのだけど、なにか意味があるのだろうか?
色々突っ込みたいが一言に集約すると学問で人間を考察すること自体不毛なんだよなぁ
内集団バイアスだの黒い羊効果だのはそれっぽい説明のための理論に過ぎないし、集団力学そのものもそうだから
自我(意識 )が無いと、自然淘汰の結果、種全体が絶滅してしまう恐れがあるから
仮に、動物に自我がなく、あるプログラムに基づいているとしよう
a,b,c という三つの食物があるとして、この順に栄養価が高いとする
また、プログラムは常にaを選択するとする
このとき、仮にaが消滅してしまった場合、動物はaを選択するプログラムしか持たないため、b、cを選択することができず餓死する
ここで、動物に選択性(自我、意識)があるならば、緩やかに状況を判断することができ、b,cを選択することで生き残れる
特に人間に関しては
ひょっとすると将来は自我の境界があいまいになる時代が来るのかもしれない。脳内にネットワーク端末が入ることはほぼ想定されている。VRも。脳内にネットワーク空間が広がる感じかな。今までの自我は肉体に縛られたものだが、それが一部、感覚的にはだが解除されるのかもしれない。
何の作品かはっきり覚えていないが、森に入った主人公が木の妖精と会話すると言うのがあった。木の妖精が「ちょっとまってみんなに聞いてみる」ってのがあった。私達も友人と食事しながら出てきた不明点はスマホで調べて情報を共有している。これは不特定多数のみんなに聞いてみるって事だね。AI常備なら知恵袋の答えのストックがその時なくても新規でAIが考えて答えてくれるようになるかもしれない。
今までの時代は分離と闘争、戦争の時代だった。それがいつの間にか先進国では激減した。人間が大切なのではなく、整備されたインフラ・文化が大切でとそれを維持する人間が必要なのだろう。この先、時代が激変するかもしれない。発達の隠れた能力が発見されたりとか。ワクワクする。
11ではないけれど、学問で人間を考察する事自体が不毛な理由が知りたい。教えろくださいw
※19
自我=多様性 ということか。
それでも多様性の要素を持った少数を排除しようとする動きは、何のためにあるんだろう。
20に書いた
18=20ね、了承。
人間は未知数だね。
個人単位で利になる行いが集団単位では損失を生むこともあるし、だからこそ集団は出る杭を打ち凝集性高めようとするが
更にその集団より広い視点で見た場合、集団的排斥が逆に種としては損失を生んでたりするしな
何のためにあるのかはわからないが、具体的に「いじめ」の場面を想像してみるとよいかもしれない
階層化された「クラス」の中で起こる「いじめ」は、歴史的に見れば士・農・工・商という階層の外部に置かれた「えた・ひにん」や、インドのカースト社会の外部に置かれ差別されている「untouchable」の問題と構造的ににている
要すに、階層化された社会(カースト、「クラス」)が安定的に持続するには、その外部(被差別民、「いじめられっ子」)が必要
個の意識をLANか何かで共有しよう、なんて開発者も出てくるんじゃないかな。
人間の持つ不安が一気に解消されそう。
健常者は団体スポーツ系もやって
障害者は希望者のみで、希望しない人は別のスポーツ取り組むようにしたらええやん
情緒教室の発達障害はそんな感じやし
=29さんでok?
話したね、俺的にもあなたは印象的。
とても頭がいいなと感心しているよ。物事をよく知ってるし、無知な俺からしたら読んでて楽しい。
※さんユングのヒトだよね
29は私じゃないや
多少なりとも学問を収めた人間なら気付いていても、タブー・洗脳がきつく中々口に出せず、検証できない理論ですね。倫理的に良いか悪いかは別として置いておいて、勇気ある一言、感銘をうけます。この穢れたものと優れたものと言う対立及びそれによってできる秩序。これは我々の自我構造そのものではないか。つまり許された自画像としての自分が意識であり、その中核が自我であり、許されない人格は無意識化に抑圧される。生物は生きるために判断する必要があるが、その際に判断基準そのものが自我構造とも言える。イジメや差別の原点には自我構造が絡んでいるのかもしれない。
静じゃなくて動として捉えるとよくわかる
集団は止まったら衰退する以上、真の安定はなく、動き続けないと持続は不可能
その活動の原動力が敵、よそ者、弱者なんだろうな
あら、間違えたか、ごめんw
えと、ユングからのラップの時のねwwその節はどうも。
こういうコメ欄みると、名無しだがにじみ出る個性ってあるよね。色々な発想があって楽しいw
せやね〜
これはわかる気がする。
それが生物に備わっている「闘争心」というものじゃなかろうか。
…いじめはなくならんなw
やったこと無いけど
無くならんと思うyo
少数ながらも一定数、「集団のトップに立ちたい」という欲求を持っている人間がいるが、無意識に、ごく自然に、その集団における「敵」を作っているから、とても興味深い。
皆さんに様々な憶測を抱かせてしまい申し訳ない
>34
自我/超自我という枠組みはフロイト理論の骨子ですね。
この精神分析の理論を社会に援用するならば、フロイト理論を一般化したジャック・ラカンや、ラカン派哲学者のスラヴォイ・ジジェクについて勉強するとよいと思います
この視点から29の内容を雑ぱくに言い換えると、「被差別民」、「いじめられっ子」は、言語のプログラム(象徴界=「クラス」社会)のバグ、裂け目(現実界)として存在している、と言えます
>35
その通り。この「動的な安定性」という構想の元ネタは、グレゴリー・ベイトソンです
また、フランスには「変われば変わるほど、変わらない」ということわざがあります
程度の強弱こそあれ、集団で社会生活を送る以上は避けられない事象なのだから
「どう対処するか」という思考、判断力を伸ばせるように教育すべきだろう
「人間精神が進歩すれば撲滅できるはず!それに反対する奴は村八分!火焙り!拷問!!」
だが、感情は無くす事は出来ないから、せめてコントロールできればかなり最強ではなかろうか。
この問題はスローガンとしていじめは許さないっていうのと、具体的にどうするのが「ベター」(ベストは無いだろ)かって話だよな
社会に出てからのイジメに対応するための練習場みたいなもんだ
フロイトに言わせれば、精神病でない全ての人間は神経症ですから、神経症的な社会の構造、つまり抑圧と差別の構造から逃れることはできないでしょうね
前述したように、歴史的にはそのような構造が変奏されてきたし、近代国家の成立以後もそのように整理してよいと思います
しかし、当然、倫理的に「いじめ」「差別」を認めるわけにはいきません
「いじめ」をなくすためには、学校を非階層化すること、具体的には「クラス」をなくせばよいのではないかと思います。大学のように、毎授業別の顔ぶれで臨むことが望ましい
当人が成長しない限りは、結局のところ中年になっても同じ様にいじめられる
そして、いい年したオッサンがいじめを受けていても、子供ほど助けたくはならない
「いじめはよくない」
そんな軽いイメージだけで思考を進めても、問題を先送りにしてるだけ
これからどんどん「変わった人」で生きてきた人も障害名がつくようになるし
個性から障害に認知も変わり、接し方も変わる
発達障害の理解が得やすくなる反面、「個性ではなく、障害」という認知で結婚、出産には大きな弊害になる
今はまだ障害者だと自覚していない人たちが結婚出産してるけど
今後はどうなるか
学内におけるイジメ減少に限定すれば、多少の効果はありそうだが
卒業後は「クラス」の様な面子の固定された集団に関わる可能性が高い以上
はっきり言ってほぼ無価値な発想
「学校で面倒起こさなければ後はどうでもいい」これは教師達の本音かもしれんが
社会に出る為の準備機関である施設において、これほど本末転倒な考えもない
外様の立場からいじめ撲滅を謳う全ての人たちは
一体なんの為にいじめをなくしたいのか?ということを自問してみてほしい
これでボールが柔らかけりゃ最高なんだがな
おそらく「職場いじめ」についておっしゃりたいのだと思います
「いじめの根本的解決にはつながらない」というご指摘に関しては、極論すればそうかもしれませんが、大人の場合、転職など、ある程度自らの意思で働く場所を選択することができます
これと比較して、特に義務教育の過程にある子ども達のばあい、自らの意思で自分が属する「クラス」を選ぶことができず、「いじめ」から遠ざかれないという事情があります
また、思春期に経験するいじめは時としてその後の人格形成に大きな影響を及ぼし、社会参加を困難にする場合さえあります。なので、私はとくに「学校におけるいじめ」に注目しました
ほんだら学校も会社もビビッてイヂメ必死に起こらんよーにする。コンビニのレジにある年齢確認ボタンみたいなアタマ悪い方法使ってでも起こらんよーにする。 ソレこそガキや社員全員脅してでもそーするわ。ソレか隠すわ。だって会社シぬし(笑)
隠した物は探したくなる。ソワソワするわ。ああソワソワする。ただ見たいダケよ。人間みたく悪用したり誰かに言いふらしたりしないわ。ただ見たい。見たらスッキリするし、危ないモンなら当然埋める(笑)
みんなイヂメできなくなればストレス溜まる。絶対どこかで何かしてガス抜きするわ。次はソレを潰してしまえばいい。どんどん潰してどんどん押さえ付けてどんどん圧迫して、最後は全員シんでしまえばいい(笑)
そんなんでシぬ生き物はシねばいい。悪さするカラ苦しむんだ。悪さするカラ潰されるんだ。悪いヤツラはシねばいいいやコロス(笑)
ポメラニアンが貰う。全部ポメラニアンが貰う。良い人間は全部ポメラニアンのモンだ。日本人はポメ様のモンだ。ポメラニアンが管理する。要らないモンは棄てる。そんでチョッピリ困るケド諦める(笑)
皆が美しくシねる(笑)
ポメラニアンは愛する者のシに方まで管理したがる。ポメラニアンとはそーゆー生物だ。
ポメ様も体はポメラニアンなのだ(笑)щ(゚д゚ )
人間はいじめをやめられないはただの甘えに近い。いじめをすることは恥ずかしいという事を叩き込むべき。もちろんDNAにもだ。
あと、平気でイジメをしてる奴は人間ではなく猿なのでメしても罪にはならない。
というか人間はほんまサイボーグ化すれば改善する。だが猿は絶対にサイボーグ化させるな。
アンパンマンはバイキンマンと時に戦うが決して滅したりはしない
適菜収が言ってたが、正義ってその程度で抑えとくのが精神衛生上いいんじゃねーのかね?
やれ問題があれば規制やら厳罰化やら、粛清やら矯正教育やら、頭が痛くなりますわ
ドッジボールはただイタイダケのゲームで、やれと言われて当てたらソイツ泣き出したとゆーエピソードだって私にはあるんだ。超屈辱なのだ。
どーせ人間はクソ貧弱で泣くカラ嫌だと言うのにムリヤリやらされるガキだっているんだ。
私や管理人のよーに、ただイタイダケのツマランゲームをムリヤリやらされたガキだっているんだ。英霊どもの怨みは晴らしてやらねばならん(笑)
運動に満たん体育やらされる可哀想なガキの気持ちを踏みにじった罪は重い。
釘だ。釘溶接した鉄球でやれ。私ならできる。
普通にキャッチできるし全員コロせる。( ´_ゝ`)
痛みを思い知らせろ。義務化しろ。
痛みとは何かを人間に教えろ(笑)
ドッジ弾平読破に変えて感想文提出に変えろ。
でなければ釘刺さってシね(笑)щ(´_ゝ`)
スポーツも戦争も、自分の所属する集団を勝利させて天下を取る目的。備わっている闘争心を昇華させるモノだ。
イジメも戦争だ。
そこかしこにある諍いも全て戦争。規模が大きいか小さいかだけの違いがあるだけで、原理は変わらない。
イジメられて相手を憎む気持ちも、戦争の種だ。
ヒトは好戦的な生き物である事は動かせない事実だから、ヒトにはどうする事もできない。
本能のままに生きるしか。
犯人探しこそが、全ての現況をそのせいにして抑圧すると言う差別心理・イジメ原理そのものですよね
キサマ解ってるゥ♪(*´ω`*)=○)´3`)∴
アセンション来るのか?ガイアの魂に開放はあるのか?普通に考えたらどこにも救いは無いんだけど、八方塞がりなら上に上がればいいは斎藤一人さんだったか。
あと音楽や図工の発表もイジメを誘発するから無しで良いと思う
「人類の長い戦争の歴史の間には短期間だが平和で安定した期間がある。だけどその短い平和は長い戦乱に勝る価値があると思う。」BY ヤンウエンリー
ガキなんかもっとヒドイ。オトナの思惑を知るまで通知簿の意味を理解できないんダカラ(笑)
アレは不要なんだな。(*´ω`*)
やられて傷ついた戦士たちが、黒い毒を吐きながら渦巻いてるよ。
そこに灯るは闘争心ではないか?
やり場のない闘争心に戸惑っているだけだろ?
我々は、理性や倫理を語ろうとも、好戦的で闘争心の塊なんだよ。そこからは絶対に逃げられない。
ヒトはそれを自覚しなければならない。
だって無くならないし無くなっても引っ張り出せばいーんだよ(笑)
最後は闘争心の無い強い個体ダケが残る。
残らんなら全滅した方がマシだわ(笑)
生き延びてみろ人間ン(笑)
シにたくなけりゃ悪さすんなァ(笑)щ(゚д゚ )
責任と注目が他の球技より極端すぎる。上手くプレー出来る奴にはいいが
出来ない奴にはとことん地獄。エラー1つがいじめのきっかけになりかねん。
球数制限をきっちりして欲しいわ
コメの>>1が言うような人類の普遍的な心理機序に基づく話では、今の(いや、近代以降なら昔もだが)日本のいじめの多さとひどさも説明が付かないしな。
闘争心で発生するのは基本的には闘争だよ。いじめってそれとは本質的に違うだろ。
少なくとも戦後の日本社会で言う文脈でのいじめって「表の社会のルールで処理しきれないものを、非合法な暴力で辻褄を合わせる行為」って断面で見た方がちゃんと切り取れると思うんだが。
つまり、正真正銘の私刑が跳梁跋扈しているのが日本の社会なんじゃないんですかね。日本って明治維新後と終戦後にちょっとだけ法の支配による統治を目指そうとした時期があるけど、それ以外はほとんど法による統治を無効化しようとする圧力になすがままになっている社会で、ここ最近はさすがに「社会的制裁」やら「いじめ」やらが法を無視して好き放題やりすぎて、法の支配そのものが崩壊するぞってところまで来ているって状況なんじゃね?
あと、ドッジボールはマジでいらないな。
ドッジボールから学んだ事って、あれは面白くないって事ぐらいだ。
ドッジボールはくにおくんのドッジボールをバーチャルな方向で発展させてくれたら、もうそれで充分なんだが。
>ボールキャッチする→痛い
>避ける→避け続けるのは無理→痛い
痛覚をなくすしかない。
反射神経が鈍い奴はそれでも不可能か。
教室内のイヂメやケンカを一瞬で黙らせたいんならな、生徒全員の声を出せなくしてしまえばよいんだよ(笑)
良いも悪いも擁護派も野次も関係無しに弾圧してしまえばよいんだよ。悪を見定め成敗するのは親の義務よ。
あらゆる人間に有効で簡単な方法があるわ。50デシベル以上の声出したら罰や制裁与えるとゆーやり方だ。どの国でもどんな会議でも使える。喋ったら指を貰う(笑)
そーすれば、人間はちゃんと会議できるよーんなるんだ(笑)
※一部の悪質なユーザーに対処するため、現在広域でのIPアドレス規制を行っています。
コメント禁止処置に該当しない一般ユーザー様にも巻き添えで書き込めない回線があることを予めご了承ください。
※一部の悪質なユーザーに対処するため「通常であればポリシー違反が適用されないいくつかの単語」をNGワードとして登録せざるをえず、問題のない文章でも書き込みできない場合があります。予めご了承ください。
※悪質なユーザーを発見した際はメッセージにてご一報ください。アクセス規制処置を行います。