10代、20代の学生や若い社会人と話していて、「ああ、そうか」と気づいたことがあった。彼らは、生まれて以来日本が「調子がよかった」ことがない。バブルが崩壊して以来、経済が絶好調だった、という経験がない。
そのこともあって、日本の現状が否定的に語られることに対して、ある種の「拒否反応」のような心理を抱いている。日本の現状をやたらと否定する人のことを、論の当否は別として「クレーマー」のように感じている。このような「感性」を前提にしないといろいろなことが理解できないと気づいたのである。
考えてみれば、子どもの頃から「おまえはダメだ、よくない」と言われ続けたら、やる気をなくしてしまう。そんなことを言う大人に対して、「もういい加減にしてくれ」「聞き飽きた」という気持ちになるのは当然のことだろう。
日本の肯定から始めたいという気分が、10代、20代の若者の間にあるように思う。日本の問題点を指摘するよりも、何かもっと前向きで、建設的な提案を待望するという思いが強いようなのである。
私自身は1962年生まれで、子どもの頃、日本経済は高度成長が続いて基本的に元気だった。明日は今日よりもよくなる、という根拠のない自信が国中にあふれていた。
その頃、いわゆる「知識人」は、基本的に日本の現状を批判することが仕事だったように思う。また、日本という国自体にも、そのような批判を受け入れ、自らをさらに高めるための「薬」にするだけの余裕があった。外国に比べて日本がいかに遅れているか、というような論が歓迎されたのである。
時が流れ、日本についての論説も、異なる工夫が必要な状況になってきているように思う。たとえ日本の現状を批判するにしても、日本という国を基本的には肯定している、というメッセージが裏にないと、特に10代、20代には響かないという気がする。
もちろん、日本の現状をさらによいものにするために、批判的思考が必要なことは間違いない。諸外国との比較も冷静で客観的な評価のためには欠かせないだろうし、時には、厳しい言葉を使うこともやむをえないかもしれない。
それでも、批判の背後に、日本を肯定的にとらえる心情があるのだということをきちんと伝えないと、建設的な批判でさえもなかなか届かない時代になっているように思う。さまざまな機会に、10代、20代と対話を重ねてきた私の、1つの結論である。
結局、必要なのは挑戦するための心の「安全基地」だと思う。自己肯定感がなければ、成長もできない。まずはお互いの安全基地を確認することから始めることだろう。
http://president.jp/articles/-/23103
あほな記事ww
ゆとりであろうとなかろうと
自己肯定を求めるもんだwww
そういう育てられ方をしてきたから
バカな東京一極集中と人口減少で
しぼんでいく日本しか見てないからな
若い連中に成長をみせてやれよ
自己否定が身の保全になっている
また
『近頃の若者は……』
かよ
親を見て育ったからだろうな
この世代の親が社会に出るあたりから
失われた20年が始まった
おれ自身の話なんだけどやる気に何より大切なのは自信
逆に何より痛いのは罪悪感
善良で誰かのために役に立ってると思える間は頑張れるけど迷惑かけたり無駄なことしたりしてるなと自覚すると凹む
問題は他の人に迷惑かかってでも自分の仕事に打ち込んで何かをブレイクスルー出来るようなチャレンジがしにくい事
団塊の世代も自己肯定でいそがしそうなんだが
自己肯定つうか
ジジババは文句しか言わない
現実無視して昔話ばかりしてるんだからしょうがない
で、昔の方が糞だって事にも気づいてない
要はアホなんだよ
他人に自己肯定を求めるのは、自分に自信が無いから。自信が付くような努力、行動をしてこなかったから。
何かに打ち込んだ事が無いと自信は生まれない。
ゲームやアニメに没頭するのを何かに打ち込んでると勘違いしてる奴に自信なんて生まれない。
>なぜ「ゆとり世代」は自己肯定を求めるか
そもそもゆとり世代とくくっているのになぜ10代まで持ち出すのか
>>26
ゆとり世代の種類
87~90 準ゆとり 旧カリキュラム年数>ゆとり教育年数
91~99 真性ゆとり ゆとり教育年数>旧新カリキュラム年数
00~03 準脱ゆとり 新カリキュラム年数>ゆとり教育年数
04~ 脱ゆとり 新カリキュラム
小中学校授業時間(8200+50×■)(切り捨て)
1984 5785+3150 8935 ■■■■■■■■■■■■■■ ←非ゆとり授業数
1985 5785+3150 8935 ■■■■■■■■■■■■■■
1986 5785+3150 8935 ■■■■■■■■■■■■■■
1987 5785+3080 8865 ■■■■■■■■■■■■■
1988 5785+3010 8795 ■■■■■■■■■■■
1989 5785+2940 8725 ■■■■■■■■■■
1990 5715+2940 8655 ■■■■■■■■■
1991 5645+2940 8585 ■■■■■■■
1992 5575+2940 8515 ■■■■■■
1993 5505+2940 8445 ■■■■
1994 5367+2940 8307 ■■
1995 5367+2940 8307 ■■
1996 5367+2940 8307 ■■
1997 5402+2975 8377 ■■■
1998 5437+3010 8447 ■■■■
1999 5472+3045 8517 ■■■■■■
2000 5507+3045 8552 ■■■■■■■
2001 5542+3045 8587 ■■■■■■■
2002 5576+3045 8621 ■■■■■■■■
2003 5611+3045 8656 ■■■■■■■■■
2004 5645+3045 8690 ■■■■■■■■■ ←ここから脱ゆとり
ゆとりに限らず、自己肯定求めない人間の方が珍しいんじゃね。
自己肯定しない人は自殺もしやすいらしいぞ
>>1
いや、ゆとりはゆとりだからゆとりなんだよ
経済がどうこうではなくて、な
むしろ小型情報端末にデジカメが当たり前でとても良い時代に生きているだろ
高校生がひと夏のバイトでパソコン買えるなんて価格破壊にもほどがある
そんな時代にクレームを付けるのはゆとりだからとしか言い様がない
昔に比べたらとんでもなく豊かな時代だとしてそもそも昔を体験してないんだから今が基準なんだよ
相変わらず「そういう世代を作り出した」事に何も思ってない論調。
評価・考察するのは結構だが、摺り合わせるにはどうすればと述べるだけで、改善しようとはしない。
そんなだから、ゆとり世代なんてのが出来上がるのも必然。蛙の子は蛙と。
古代エジプトの時代から「最近の若者は」と言われ続けてる
世代間で価値観が違うのは当たり前
ゆとり教育叩きのついでにゆとり世代まで叩かれて、自己肯定感が無いまま育ったからじゃね?
これも、ゆとり教育の害だよ。
ネット見てても批判的な意見には耳を貸さずにとにかく肯定要素を探し続けているように見える。
違った意見に興味を持たないというか、好奇心が無いのかな。
>>111
多分違います
ネットで批判に耳を貸さないのは恐らくいい年こいたおっさん達です
茂木さんだって控えめに言って自身への批判に耳を貸すタイプではない
今回だって自分達が考えを変える必要性の認識はあるものの
認めきれないのがにじみ出ている
何故自己肯定を求めるのか?
単純に自己否定したりされるより肯定して生きた方が幸せになれるから
訳の分からない根性論でプレッシャーかけてくるバカとか「ゆとりwww」とか言ってる無能の相手するより
友達とメシ食ってた方が楽しいだろ
>>136
俺の同年代もそうだが否定されると顔真っ赤にするんだよなぁ・・・
何故か自分よりも下だと思い込んだ人間に指摘されるだけで当たり散らすんだからどうにもならん
これ全世代共通だと思うから日本人があかんのかもな
というか、むしろ、何か話をする時に否定から入る癖は、
俺を含めてやめた方が良い。
否定や批判をしないと有意義な議論にならないという感覚は、確かに中高年のもの。
褒めることが悪いことみたいな事みたいにすら言うからなあ
楽をするのは悪いことで我慢は美徳みたいな
目的と手段によってはそうかもしれないが入れ代わってる人多いよね
正直世代を分けて考えるほど単純な物ではないと思うが。
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コメント一覧
コメント一覧 (36)
バカはテケトーな理解してストレスから逃れたいんだよ
と言ってるけどそれって向上心じゃなくて悪口言うのが楽しかっただけだろ
学生運動がその証拠だわ
自らをさらに高める「薬」にしてたとはとても思えん
年寄りほど戦中みたいな思想してる奴が多いし、そういった思想、風習に反するゆとり世代を叩いてるだろ
日本自画自賛番組の主な視聴者層はゆとり世代なのか?
嘘をついてまで自虐する歴史観も、外国に関する情報の少なさも、デマや無知な人間の多さも、様々な差別や強要も昔の方が遥かに深刻だったろ
ずーーーっと人様に間違った価値観を押し受けてきたってのを認める気がないんだろ?責任取りたくないんだろ??
歳上だからってな無条件に尊敬できるわけじゃねえんだよ
ゴリ押しする理由に使ってんじゃねえよksg
という話と
ゆとり世代の自己肯定感
どういう関係があるのかよく分からないんだけど…
どれだけ努力しても否定されて育ってきたからやで
自分に認められた自分はけっこう楽しいし、失敗しても「こんなもんだ」で済むようになった
ゆとり教育を受けているから叩いているのではなくて、
叩く対象をまとめて「ゆとり世代」と呼んでいるだけでしょう。
団塊世代とか氷河期時代とかと同じ。
因果関係も相関関係もない。
子供を望んで生んどいてまともな教育をせずにダメ人間になったら子供を怒鳴り散らす人かよ
まぁ、そういう人たちが毒親だったり周りから嫌われてる人なんだろうけど
つか自己肯定感入らない人間なんて存在し得ないわ
ゆとりがゆとりだからゆとりを産んだ世代もゆとり教育と言う物を作った世代も自身を顧み見ずゆとりを叩くのはまだ分かる
折角悪しきゆとりが終わったのに今の脱ゆとりまでゆとりと言う事にして纏めて叩くのは流石に訳が分からない
多分 こうやって若い子を否定しないと自己肯定感が保てない人が書いたね
俺も91年生まれw
ちょうどバブルはじけたあたりらしいなwwwwwwwww
ただそれは大人が子どもに対して普遍的に感じている感情だとも思うけど。
ただの生存バイアス
自己肯定から逃げた自分みたいな奴はろくでなしが多い
世代問わずね。
欲がないからさとり世代って揶揄されてるほどだし
弱いわけではないが、あるとき一気にポキっと折れる
だから普段から他人に認められておけば何かあったとき精神的に多少は助かるかもと考えているんじゃないか
若者世代以上に親世代の意識の変化もあるのでは?
単に叱らない子育て方ってのがその世代の流行り
子供の顔色を必要以上に伺ってる
親本人が子供の時に怒られた事に対するトラウマ
簡単に思いついた所ではこの辺なんだけど、なんか思い当たる所はある?
25です。裏付けがきちんと取れてないので、あくまでこちらの個人的な意見に留めてほしいんだけど、その中だと『子ども顔色を伺っている』が近いかも?
思い起こしてみるとその子どもたちに共通してたのが、核家族(もしくは大人の人数が少ない家族)だったかな。子どもを叱る&叱られた後のフォローが家庭内でうまくいっていないのかなという印象。
あとは、ハッキリ言って子どもの成績が良くなかったので、成功体験積めてない→自己肯定感低い→うちの子ほめて!ってのもあるかも。
さんきゅーです
やっぱりそれですかー
子供との関係で面倒を起こしたくない、起こした時の対処が判らないんじゃないかなと思う
フォローは大事だよね。
あんまり関係ないけど、今いる会社そういうメンタル面をフォローできる、考えられる人が皆無でどうなのよ状態。自分は発達のポンコツちゃんなのでその役目は荷が重いw
肯定は甘やかしにしかならない
ゆとり世代と言いながらその実ネットネイティブ世代を老人(テレビ新聞)と意見が違う、ギルティと言っているだけ
まあ、自己肯定感は自我の立脚点だからな
大体の普通の人は、主に母親を基軸に他者と交流し、中二病を経て自己肯定感を自我の立脚点として確立し、自立する
なんでも否定するのは一番簡単な自己肯定の手段だからな
ここに来てる奴なら、俺含め片親か、ネグレクトかの理由は知らんが最初の無条件の肯定を得られなかったか、あるいはどこかで誰かに自己肯定感という立脚点を完全に壊されたかしてるだろ
ダブルバインドの、理不尽な、下への甘えによる、洗脳
抱え込んで食わせてるなら、まだ犬は我慢する
が、今は使い捨てて
実力行使で支配してるのに、表面だけは、水平対等な他人さまですよ?尊重してますよ?あなたの自由意志を、だから、自己責任ですよ?と、突き放して、上が最後の責任を取らない
勿論、そのタテマエコミュのプロトコルを憎悪して否定したのは、フェミファシズムのオンナ達だ
オトコを殺し尽くし、雄も雌も全て幼体のままに、抑圧する、幼児の再生産
良い子ちゃんの、しかし、キレたら止まらない、利害交渉が通じない、狂気のイナゴ
それはやりすぎだよね、けど、正論だよね、なら、どこで止めたらいいのかな?
どこで止めれば、止めても、自己否定をせずに済むのかな?
2段階の批判が無ければ、極限の正義は、誰も評価を下せない暴走のアスペ論理になるだけ
自己肯定も自己否定も、それをする、2段階の評価の矛盾の梁を保つ、そのテンションが無くなれば、する自己主体がいなくなるから不可能
アスペに客観視は出来ない、なら、犬の躾か、しかし、流動的な社会で硬直化が即時に負けに繋がるなら、どうすればいいか
文学や劇批評で無意識の社会構造を味わうのは、贅沢な貴族趣味で、殴られる奴隷には無理
それを無力な1個人に求める民主主義が、無理って事
それはつまり他人から承認されてはじめて生きていいと思える、そういう思考が根付いてる。
本来であればそれは大なり小なり自分が自分で承認できるようになっていくものだけど、家でも学校でもそういうものが求められてきたから完全に「他人に合わせる」が出来上がってそれ以外のモチベーションがない。他人にとって非常に都合のいい人間ができる。
しかしそれは「悪いことをしない」という意味のみであって、自分から発信することをしないという意味でもある。出る杭は打たれると言うけど、その出る部分が一切なくなった状態。自分から役に立とうとは思わない。
そしてそれを覇気がない、活力がない、なんなら舐めてる、とすら言われる。
例によって自分からは何も言わないから一方的に叩いて非難する標的としてはぴったり。そういう意味で言えば確かに「他人にとって都合のいい人間」を作るのには成功してる。
またそれに迎合できないはみ出しものは「コミュニケーション能力がない」「社会不適合者」となる。
手のかからない、叱らなくていい子供を求めた結果、叱られ慣れてない大人ができたんだよ。
※一部の悪質なユーザーに対処するため、現在広域でのIPアドレス規制を行っています。
コメント禁止処置に該当しない一般ユーザー様にも巻き添えで書き込めない回線があることを予めご了承ください。
※一部の悪質なユーザーに対処するため「通常であればポリシー違反が適用されないいくつかの単語」をNGワードとして登録せざるをえず、問題のない文章でも書き込みできない場合があります。予めご了承ください。
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