asperger




松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
そうだな。
私が興味があるのは、 発達障害じゃなくて「発達」なんだな。
読んでる本もそういうのばっかりだし。加えていうなら、発達の違いが個人と社会にどのような影響をあたえるのか、ということなんだ。

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松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
愛着障害もそうだし、今話題のアドラー心理学もそうだし、多分発達障害もそうなんですが、概念にしろ言葉にしろ、客観的に観察不可能なものを取り扱っていると、どうしても恣意的に解釈して使われてしまう傾向がありますね。

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
そういう恣意的な解釈に対し「それは誤解で、本来の意味はこうなんだ」といっても中々なくなりません。
これはその「誤解された」意味のほうが社会的文脈の中で一定の機能を果たしているからですね。

良い悪いは別にして「本来の意味」よりそっちのほうが最新の社会状況の説明にフィットしてたりする

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
発達障害のある人が苦手だとされる「空気が読めない」とか「相手の気持ちがわからない」といったコミュニケーション上の困難は、障害特性だけが原因で現れるのではない。
「障害特性」
「社会的経験のなさ」
「人と関わることへの不安」

この三つの掛け合わせででてくる。

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
逆に言えば、コミュニケーションを困難にさせるような障害特性があったとしても、社会的経験を積み直し、人と関わる不安感を除くことができれば、それなりに困難は解消されてくる。

「障害があるからコミュニケーションは苦手」と即断するのは改善の可能性を見失うことに繋る。

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
発達障害のある人のコミュニケーション上の困難は、障害特性に加え人と関わることへの不安と社会的経験のなさが理由だが、その困難の形成過程をたどると、幼少期に障害特性ゆえ人間関係や集団活動に失敗して人との関わりが不安になり社会的経験を積まないまま大人になっているという構図がある。

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
こうした経緯を経てきたご本人が「自分は障害があるからコミュニケーションできないのだ」と考えるのは当然である。

しかし、こうした人がサポートを得ながらどこまでがどうにもならない障害特性で、どこからは練習や気持ちの持ちようで改善できるのかを知ることは重要である。

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
とにかく、発達障害に興味がなくなってきている。

本もあらかた処分してしまった。
発達障害のある子どもや大人のことはますます興味をもっている。

しかし、それは

社会的環境や知的能力を含めての複雑な状態像を見せる人たちのことであり、発達障害なる概念で彼らについて語れることは極めて少ない。

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
しかし、「一人ひとり違って当たり前」といった類の、文字通り当たり前の事実の追認にはさらに興味がない。

私が興味があるのは

一人一人が違うとしたらどう違うのか、その違いはどうして生まれるのか、その違いによって互いの紛争が生じるならそれは以下にして解決されうるのか

ということだ。

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
そうだな。

私が興味があるのは、発達障害じゃなくて「発達」なんだな。

読んでる本もそういうのばっかりだし。
加えていうなら、

発達の違いが個人と社会にどのような影響をあたえるのか


ということなんだ。

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
本屋で何気なく医療書の棚を見てみると、「本当はコワイ不妊治療」という風なタイトルの新書が眼に入る。

ふと嫌な予感がして裏表紙を見ると「◯◯不妊治療をした結果生まれた子の自閉症発症率は2倍」との文字。

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
かたや多様性だインクルーシブだと言われながら、かたや「本当はコワイ」という文脈で発達障害が語られる。
どちらも社会の一側面だ、様々な考えがあるんだと言ってしまえばそれまでだが、例えば親としてこうした断絶に向き合ったならば如何に聡明な人でも混乱を感じずにいられないだろう。

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
孫氏に
「兵は詭道也、故に能にして之に不能を示し、用にして之に不用を示す」
という一説がある。

軍事の基本は敵を欺くことだ。だから能力があっても無いふりをし、勇気があっても無いふりをし、近くても遠いように見せ、敵にとって利益があるように見せて誘いこむ。
敵情によって作戦を変えること

そこで私も言いたいのである。

「療育もまた詭道なり」と。

普通なら機能するやり方が機能しなかったり、役に立つ方法が役に立たなかったりする。
ではどうするか、というのが療育である。

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
あるいはまた孫子曰く「正を持って合し、奇を持って勝つ」と。

これを療育に当てはめるならば、まず人間の発達についての広く深い理解があり、然るのちにその中のイレギュラーたる発達障害児への柔軟な対応が考えられるのである。

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
ところが、正道であるところの子どもの発達観がおろそかなままイレギュラーである発達障害児への「理解」ばかりが先行しているので、本来通常のセオリーが通用しないというところに存立する発達障害児に対し、さも「正攻法」が存在するかのような幻想に多くの人が囚われている。

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
本当に問題なのは、「あなた」が「あなたの周りにいる人」とどう向き合うか、なのだ。

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
定型発達者と発達障害者を並列に置き互いの「違い」を理解しあえば問題は解決するという考えはナイーブすぎる。
なぜならこの話は定型発達者は発達障害者に合わせる力があるという前提に立つが、他方で発達障害者が定型発達者に合わせる力があるという前提に立たないからだ。両者は非対等である

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
健常者も発達障害者も発達の道筋は同じであるが、発達障害者の場合はその発達に凸凹があると考えるのか、それとも発達障害者は健常とは「別の」発達の道筋があると考えるのか。

これが本質的な問いである。

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
多様性を追求するということは、「多様化する断絶」を受け入れることまでも含むのだろうか?

松本太一@アナログゲーム療育‏ @gameryouiku
発達障害という概念の脱構築。

アナログゲーム療育アドバイザー 松本 太一
フリーランスの療育アドバイザー。カードゲームやボードゲームを用いて発達障害のある人のコミュニケーション能力を伸ばす「アナログゲーム療育」を開発。療育機関や就労支援機関などで実践するほか、各地で講演会や研修会を開催している。
http://www.gameryouiku.com/
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