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※長い文章読めないよ〜って人は赤文字だけ拾って読んでね
車いすの方の件でにわかに騒がしくなった「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(通称:障害者差別解消法)ですが、これは

国に施策推進の責務を課し、
行政機関に施策実施の責務を課し、
事業者(個人事業主)に差別の禁止と合理的配慮の提供努力義務を課す、


という内容です。
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これを全26条に詰め込んでいるので、解釈が必要な条文も多いですし、
多くは今後の運用に委ねられています。
ところで法4条は

「国民は、第一条に規定する社会を実現する上で障害を理由とする差別の解消が重要であることに鑑み、障害を理由とする差別の解消の推進に寄与するよう努めなければならない
→」と規定し、国民に努力義務を課しています。

第一条は、

「この法律は・・・全ての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有することを踏まえ、障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本的な事項→
行政機関等及び事業者における障害を理由とする差別を解消するための措置等を定めることにより、障害を理由とする差別の解消を推進し、もって全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを目的とする」

と規定します。
指導理念は

⑴平等、
⑵個人の尊厳、
⑶ノーマライゼーション、
⑷幸福追求権

となります。

それ自体は実は珍しいものでも、先進的なものでもなく、いわば当たり前のことです(先鋭的と感じるならば、それは差別に染まっていたからだと思います)。
そして、目的は

【全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現】

にあります。
ノーマライゼーション、平等に加え、「共生社会」が掲げられています。
この点は最近の流れをくんでいると言えるでしょう。
さて、法では国及び地方公共団体と国民に向けては、「差別の解消」という抽象的な規範を提示しています。

他方、行政機関等及び事業者に対しては
「社会的障壁の除去の実施についての必要かつ合理的な配慮」
という一段具体的な規範を提示しています(法5条)。
このことは弁護士会、法律事務所、弁護士も当然強く関係しています。
三者は「事業者」に含まれますから、

「差別禁止」は法的義務であり、「合理的配慮提供」は努力義務になるからです。

仮に障害を理由とした差別的取扱をした場合、それ自体独立で懲戒事由に該当すると、私は考えます。
例えば、「貴方は統合失調症だから、貴方の事件を私は受けません」という対応は、
差別的取扱ですから法的義務違反です
(これは受任の自由があるとしても、結論は変わりません)。
さすがに、このような対応をする人は、、、当業界には居そうですね。
他方、例えば委任契約をする際に字が見えない人に対しては、合理的な配慮が必要になります。
点字の契約書を準備するのが最善ですが、それが過重な場合は契約書を読み上げて、
内容を把握してもらうなどの「合理的配慮」が必要になります。
このように「不当な差別的取扱い」と「合理的配慮の不提供」の区別は重要なのですが、
他方で「不当な差別的取扱い」は定義されていないという問題はあります。
「合理的配慮」について、
法は「社会的障壁」との関連で提供義務が課せられます
(その意味では、何でもかんでもじゃないのです)。
何が「必要かつ合理的な配慮」かは定義がありません。
ということで法の一つの課題としては、

「差別的取扱とは何か」
「必要かつ合理的な配慮とは何か」
という解釈問題が残されているということになります。


ただし、法律家がこの部分についてあまり興味を向けていないので、この解釈が進んでいくのだろうか、という疑念を私は持っています。
もう一つ、解釈問題としての課題は

「社会的障壁の除去」と
「必要かつ合理的な配慮」の関係です。


例えば「A駅が階段があり、私はそれを降りられない」という社会的障壁についての除去を求められた場合、

「何が合理的配慮で何が合理的配慮ではないか」

という問題です。
例えば、

「B駅から歩いて行けますよ」
「B駅からタクシーを使えば行けますよ」
は合理的な配慮なのか。



私個人の解釈は、

それは障害者が表明した社会的障壁と関連していないので、
合理的配慮の提供には当たらないと考えています。

これは本人の意思の実現には向けられていないので、配慮にはならない。
なお、B駅から○○できる、という客観的事情に関しては、
客観的な「社会的障壁」についての判断事情になることは、私は否定しません。


なお、「社会的障壁」も一つの大きな問題です。
「何を基準に判断するのか。判断の際に取り込まれる事情は何か」は今のところ検討されていません。
客観的に捉える立場は「当事者である障害者」を疎外することにも繋がりかねません。

当事者が感じている社会的障壁を第三者が判断していたことが、
これまで差別を作り上げてきた一因であると私は感じています。
純客観的に社会的障壁を判断することは、私は与しません。
この点についての私の考えは決定されていませんが、
現時点では、

社会的障壁は
「当事者を基準・判断基底におくのを基本に、客観的事情も加味する」
という折衷説という立場を採っています

(そりゃなんだという批判はありそうですが)。
もう一つは、「社会的障壁」と「自己決定」の関係です。
この点については法も沈黙をしています。

この「自己決定」を何処まで抽象化出来るのか、何処まで具体化して把握されるべきか。
これは非常に大きな問題ですし、かの事案においても、実はクリティカルな問題だったのではないかと思います。
法は「障害がある者にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁」と定義します。
その中には自己決定そのものは入りません(日常生活・社会生活の大きな要素に自己決定は入ると思いますが)。

「私は○○したい」ということと、社会的障壁の関係は、
今後の大きな課題だと思っています。
引用元

反応&感想

※争点…障害者側が「Aをしたい」と申し出た際、「Bならできる」と異なる選択肢を提供するのは【社会的障壁の除去】【合理的配慮の提供】に適うのだろうか?
@tomo_law_ ごめんなさい。詳しくないので、少し質問させてください。

まず、車椅子ユーザーが鉄道を利用して目的地にたどり着きたいと思っても、そこには社会的障壁が存在しますよね。

車椅子ユーザーの利用に関しては、
乗車時の介助であったり、対応可能な駅の案内等がなされた、というところまでは→
@tomo_law_ その対応を合理的配慮の提供と解釈しうるのではないか、と思うのですが、それは間違っていないでしょうか?
@blance_neige7 乗車時の介助は合理的配慮ですね。
対応可能な駅の案内は、解釈は分かれるかなと。
ぼくは合理的配慮ではないとは思います。

仮に本人が「では対応可能な駅はどこですか?」と尋ねて、
それに答えたのであれば合理的配慮になると思います。
@blance_neige7 なお、対応可能な駅の案内が合理的配慮でないとしても、
それ自体は望ましい対応の一つだと思いますし、
案内したことは非難されるべき事とは思いません。
@tomo_law_ 詳しくありがとうございます。
某件の経過を再度読んで見ましたが、

無人駅での対応は難しいという事情があったら 
対応可能な駅を案内する以上の選択肢は取りづらいかなと思うところではありますが…
@blance_neige7 具体的な当てはめの判断は人それぞれですが、
言われていることは

「A という選択肢において、合理的配慮が尽くされてた」
ことと、
「それとは別にBという選択肢を提示して、本人に情報を与えて、比較検討してもらう」

という事だと思います。

両者とも合理的配慮と考える立場もありうると思います。
@tomo_law_ ええ、状況の解釈は人により判断の幅がとても大きいと思います。
そういう意味で対応可能な駅の案内は合理的配慮とは言えないのではないかというご意見も大いに参考にさせていただきたいと思います。
@tomo_law_ しかし「あくまでもA駅私は利用したいのだ」と強く主張する人がおられますと、サービス提供側もそれに対して合理的な配慮を提供することが難しくなりますね。
@tomo_law_ おっしゃったことの解釈を考えたのですが、
駅員の方から「○○駅までなら大丈夫です」と言ったのだから、合理的な配慮とは言いがたいというニュアンスもありますか?
某件ではあくまでもA駅での対応をお願いしていた。
だのにB駅までと駅員の方から告げたから、合理的配慮とは言いがたい、と?
@blance_neige7合理的配慮は、本人が現に直面して、排除を求める社会的障壁との関連で把握されるもの、
というのが私の現在の解釈です。
なので本人の求めと対応しないものを含めるのは、私は慎重な立場と言えます。
@tomo_law_ ええ、本人の要求がとても高ければ、それに対する合理的な配慮など、とても難しいものになりますね。
車椅子対応可能な駅が増えて欲しいところではありますが。
@tomo_law_ ハンデのある方であっても社会的障壁に阻まれず、
権利を行使できるようになればそれがいちばん理想なのでしょうが、
なぜにかくも騒ぎが大きくなってしまうのか…
不幸なことです。
※争点2…サービスの「本質」を定義することが合理的配慮の判断材料になるんじゃないか (鉄道サービスの本質を「列車に乗った状態でのA地点からB地点への移動」とすると、タクシー利用は合理的配慮の提供になるか?)
@tomo_law_ まずは、当該事業におけるサービス、利益の「本質」は何かを検討し、
その本質を障害のない人が享受しているときにおいて、
一方で障害のある人がそれを享受しえない場合において支障となっている事情を「社会的障壁」とし、その除去を「合理的配慮の提供」と考えています。
@tomo_law_ 例の件でいえば、鉄道サービスの本質は列車に乗っての移動(また時刻どおりの列車にだれでも乗れる)であり、駅の階段が、とか事前連絡必要、というのはその本質を利用することの支障にほかならず、合理的配慮による調整が必要。
@jumpeimu 事業者のサービスとの関連で解釈するのも一つの視点ですね。
ただ、法の定義とは離れるのでどの文言の解釈とするかは課題ですね(社会の事物か慣行でしょうか)。
@tomo_law_ 日本の差別解消法はそこの解釈があいまいですよね。
合理的配慮概念の生みの親であるアメリカのADAなどを見ると、かなり詳細に定義されていて参考になるかもしれません。
このスレ読んで分かったのは

「障害者の権利と合理的配慮」について理解するのは非常に奥深く複雑で高度な知識が必要だということ。

(自分も含めて)だから多くの人が好き勝手言ってるわけだ。
障害者が直面してる世界は半ば野生の王国だな。

 https://twitter.com/tomo_law_/status/1379987945025728515?s=19 
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