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車椅子で乗車拒否の記事、駅側は業務内で精一杯対応したのにも関わらず「乗車拒否」の一言で片付ける記事主にも疑問を抱いたし、それに対して来ている「感謝が足りない」みたいな批判もだいぶトンチンカンだと思った。

肝腎要である「バリアフリーへの問題提起」が明後日の方向に飛んでしまってる印象。
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実際難しい問題で、
駅や建物などでバリアフリーが進んでないものはまだまだ沢山あるのは紛れもなく事実だし、
これが不便だよ、こういうところ変えてくれ!と声を挙げること自体は、大事なことだと思う。

それはその人だけでなく、いつか自分や自分の家族を助けることにだって繋がる。

ただ今回の場合、
駅側は限られたリソースの中で精一杯の対応をしていると私は読み取った。
駅員はそう簡単に持ち場を離れられないし、鉄道会社間の制限等もある中で、何とか四人かき集めて無人駅で利用者を降ろすという対応をしたのだ。

それを「乗車拒否されました」でまとめるのは、ちょっとあんまりじゃないかと思う。
ここで「感謝の気持ちが足りない」と指摘するのはちょっと違う。
ここの問題点はそういうお気持ちの話ではなく、
実際は補助を受けて目的地まで到達しているのに、「乗れなくて目的地に辿り着けませんでした」と受け取られるようなタイトルで記事を書き、事実と異なることを喧伝していることだ。
こういうことをしてしまうと、本来記事主が行いたかったであろう、

「車椅子で遠出しようとするとこのような不便がある」
「もっと問題意識を持って改善に取り組んで欲しい」

という問題提起そのものが、虚偽を指摘する声に埋もれてボヤけてしまうのだ。


それは結果的に、誰も何も得をしない結末を生む。
ただ、こういう改善要求をすると必ず「そのリソースは誰が割くんだ」みたいな謎の代弁者が飛んできてやんや言う現象は本当に謎。

ベビーカーの利用範囲を広げて欲しいという人に対して「子連れ様」と叩いたりするのもそうだけど。
「お前が我慢すれば済むんだよ」論者は議論の邪魔なので黙ってて欲しい。
何かへの改善を要求したい場合、一番大事なことは「現状がどうであるか」を把握することだ。
そうでなければ、「ここが足りない」と指摘した時に、「いや、うちはこういう対応してますよ」と反論されて終わるからだ。
そういう意味では、記事主はその把握が足りていなかったと言える。

しかしその上で、
実際に障害を抱えてる人でなければ指摘できないものも存在する。
「現状では、こういうところが足りないよ」という改善を要求することも、また当然必要なプロセスだ。
昔の駅にはそもそもエレベーターすら無いところがほとんどだったわけで、バリアフリーが進んだのはそういう人達の声があったからだ。
寄せられた批判を見ると「(障碍者を)助けたのにお礼も言われなかった」という体験を語っている人が散見される。
それ自体はお気の毒だが、それは個人の礼儀がなっていないという話なので、今回の件と混ぜて語るべきではないし、それは本当に必要なものを求める声まで塞ぐことになりかねない危険なものだ
その人個人が礼儀を欠いていたり、
事前準備を怠るなどの不手際があったりすることと、
障碍者が実際に生活していく上でどういう不便があり、
どこに改善を求められるという話は、
本来分けて語られないといけないのだけど、
人が発する意見である以上、どうしてもその意見はその人個人に内包されてしまう。
今回の記事も、問題提起そのものは重要なものであるのに、記事の記載方法に問題があるために、個人批判に終始してしまっているのが非常に勿体無いという印象。
とはいえ、記事主に対して「助けてやってんだからもっと感謝しろ」と声高にぶつけてくる人が沢山いることは、もっとグロテスクだなと感じた。
どんなに折り目正しく正論を述べたとしても、日本語が読めても読めない、何ならとんでもないことを読み取るような人間は必ず発生してしまうので、それを完全に防ぐのは難しい。

が、明後日の方向からの批判を極力避けるためにも、何かを求める時ほどより慎重に言葉を選ばなければいけない、という教訓。
引用元

反応&感想

これに尽きるなあ。責められるべきは、限られた人員で精一杯の対応をした現場ではなく、それを強いるような労働環境にした経営陣だ  https://twitter.com/kusikurage/status/1378924030900629505 
"問題提起そのものが虚偽を指摘する声に埋もれてボヤけてしまう"
確かに。  https://twitter.com/kusikurage/status/1378925977347125253 
自分も「結局乗車拒否はされてないのにタイトルがおかしい」と思った。熱海駅の「なぜか」のくだりも、一旦はタクシーでと言ったものの連絡受けた熱海駅が何とか頑張って駅員4人集めて対応しようとしたと分かるのに、あの皮肉な書き方だと、熱海駅員は頑張らずタクシーでよかったの?と思ってしまう。  https://twitter.com/kusikurage/status/1378924030900629505 
「ちょっとあんまり」くらいにしないと、「駅員さんの好意で助けてもらえて良い話だったね。善良な駅員さんのお気遣いに心から感謝しないとね。今後も駅員さんの負担にならない範囲で助けてもらえるよう努力してね。」と、権利をお気持ちに矮小化する障害者ポルノの文脈でしか受け取られないからでは。  https://twitter.com/kusikurage/status/1378924030900629505 
「乗車拒否されました」という車椅子ユーザーVSJR、の対立構造ではなく「駅員のご協力で目的地にたどり着けました、でも不便なので考えて行きたい」というみんなが同じ方向の構造を作らないとベクトルの反作用でものごとが前に進まないよね(院内で既視感ある風景)  https://twitter.com/kusikurage/status/1378923085236031488 
なんにでも問題があるなぁと思った時は、いろんな意見をかき集めて整理し、どうするか。って流れになるよね。

いろんな思惑や利益誘導なんかで、めちゃくちゃになってきたように思う。

時代も感覚も変わってきているので、スパッとどういう考えでいこうかと言う基準を大きな声で言うべき時かもね。  https://twitter.com/kusikurage/status/1378923085236031488 
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