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マジに聞きたい。

「読書感想文」って必要なくない?

あれで読書が憂鬱になるし、いちいち本読んだ後に普通、感想文とか書かないでしょ?

日本人の読書嫌いと作文嫌いを助長していると思うのよ。

国語の教員なのにこういうこと言うのはどうかと思われるかもしれませんが、ぜひ意見ください。
(続く
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まだ言いたい。
作文って自分の言いたいことが言える自己表現活動で本来キモチいいものだと思うの。それが鯱張った鹿爪らしい形式的指導のせいでメッチャ堅苦しい、つまらないものになっていると思うの。
「原稿用紙はこう使いなさい」
「作文はこう書きなさい」っつって。
(まだ続くよ)
読書だって強制されるもんじゃないでしょ。知りたいから本を読む。自分が好きだから読む。自分が興味のあることしか読まない。大人ってみんなそんなもんじゃないの?
本来、娯楽でしょ?

それを夏休みだからって「本を読め、作文を書け」って。
そりゃ、アンタ(*´Д`)みんな嫌いになるさ。
(まだある
なんだって「第66回青少年読書感想文全国コンクール」とかあるわけ???
しかも内閣府、文科省の後援よ。
暴露しちゃうけど、このコンクールの感想文集の売上が図書館担当の先生たちの研究会の出張費用とかになっているの。

ちょっと、なんなん?って思うよね(; ・`д・´)
読書感想文、大学に入ってからのレポートを書くにはほぼ役立たないので(むしろ感想文でついた変なクセを直さないといけないので手間がかかる)、中等教育まででは正確なあらすじをまとめるとかをやってほしい。感動とか教訓とか、大学でのレポートには一切、不要。
読書感想文に限らず作文教育で、
1. 先生を持ち上げて気持ち良くする
2. なにか教訓を引っ張り出す
3. 自分を反省し「がんばる」感を出す
を文章を書くときの必須条件だと思ってる学生がかなりいるのが全くぐったりさせられる。
とくにいまどきの学生は「先生を気持ちよくさせる」という渡世術を芸術的なセンスで無意識レベルでもできるくらい調教されているので、レポートの採点でも私は気味が悪くなる。

君たちは本当に何がしたいのか、何を求めているのか。それをはっきり示してもらえれば、どうにか道筋はつけられる。
真剣な目で「先生。私は世界を滅ぼして無に帰したいのです」と言ってくる学生がいたら、むしろそのタイプの学生を歓迎するよ。なぜそう思うのか、何が問題なのか、ほかの解決法がないのか、滅ぼしてどうなるのか、無とは何なのか。そんなことを考えるのが大学だと中学二年生のころに思ってた。

読書感想文必要派のみなさん

「読書感想文なんか面倒くせえよ!将来なんの役に立つんだよ!」
「コラ!そんな事言ってると!本当に感動してもSNSでエモいとか尊いしか書けない大人になっちゃうぞ!」
読書感想文、確かにクソ面倒なんですけど無理矢理でも感じた物を言葉にする行為は本当に有意義ですよ
掴み所の無い想いや感情は言葉にする事で漸く形と血肉を得て人に届くので…何とか文章に認めて出来た物がどれだけ拙かろうが自分にしか書けない自分だけの文章は自分にとって大きなプラスになるはず
読書感想文は「例え嫌であっても、中身が虚無であっても与えられた期日内に課題をやって提出する」という八割の人類が社会で必要になる能力のテストなのでこれが嫌なのは当たり前である。
「読書感想文は必要ない」構文、「〇〇は必要ない、大人は(社会では)〇〇なんかしない、〇〇が〇〇嫌いな子供を増やしてる。」を使えば運動会も文化祭も学校行事の全部を否定できるんだ。
授業や課題での読書感想文についての私見です。
・「本に書いてある事実関連描写」と「作者の感想」と「読者(読書感想文の書き手)の感想」を、それぞれ別のものだとして切り離して考えるためには訓練が必要
・またその「読者の感想」は、対象書籍内のどこを読んでそう感じたか捉えることも訓練が必要
・上記をある程度論理立てて書くため(「AであるからBである」、「BであるとすればCの可能性が高い」というような文章に誤謬がないか)の訓練として、読書感想文という手法は比較的有効だと考えている
・またそもそも「参考資料の要点を別の未読者に紹介する」という技術は社会的に非常に汎用性が高い
楽器を使った演奏や道具を使うスポーツ、身体を使うダンスの場合、それを上手く使うためには「日常的で規範的な訓練」を必要とするのと同じように、文章を使った心理表現にも訓練が必要であり、「読書感想文は訓練の結果ではなく過程である」ということを広く認知させることが第一歩だと考えています。
読書感想文は「資料を読む→自分の言葉でアウトプットする」という訓練になるから必ずあった方がいい

ただ、読書感想文のクソなところは
「そもそも書き方を指導しない」
「課題図書とかいう興味のない本を読まされる」
「感想が『感動した』等のポジディブなものしか認められない」
の三点に尽きる

「賛同」「教訓」を見出そうとする圧力

読書感想文、感想だけを書かせるのじゃなく、登場人物表・あらすじ・感想または批評を書かせるほうがいいのでは。わたしは文章を書くのが苦にならない子どもだったけれど、面白くなかった本の感想文は書きづらかった。感想文=感動文だという無言の圧力というか、お約束があったように思う。
読書感想文課題、物語の内容から得た教訓や抱負を書かせる所もあるって聞いて絶句した。フィクションから何がなんでも教訓を見いだそうとする行為自体、実利主義的で浅ましく大嫌いだし、現実から切り離されて自由になれる、逃避(そして回復)としてのフィクションの摂取理由は保証されるべきでしょ。
@nanngin 内容を誉めなきゃいけないようで大嫌いでしたが、あるとき酷評したら愉しかった、批判もOK ならばいいです。
読書感想文は分析する能力を養うという点では必要だと思う。ただ、感想文が本に対する賛同ありきの指導になっているような気はする(今はどうかは知らんけども)
つまんないならなぜつまらなかったのか、自分の感じたことを言語化するっていうことを重点において、書き方の指導をした方がいいのではと

課題図書が指定されているのが問題

読書感想文があるから本読むのが嫌いになるんじゃなくて読書感想文の為に興味ない本読まされるから本読むの嫌いになるんだと思うね
読書感想文の課題図書というのは、何かのコンクール出品が前提になっていることが多いと想像するけれど、その制限を撤廃して自分の好きな本を読んでもよいことにすれば、もう少し取り組みやすくなるはず。
読書感想文の弊害、読書嫌いになることよりは評論を書こうとして読書感想文になる人が湧いてくるのがアレだし感想文よりか簡単に小説書く練習あっても良いのにな、書く側に回るとそれこそ「作者の気持ち」というか手の内がわかる

そもそも「書き方」を教えない

読書感想文がちょっと流行だけど,とりあえず僕は学校の先生から読書感想文の書き方というか,読書感想文とは何かを教えてもらった記憶がない。現在もそういう状況ならば,学校で書かせる必要はない。
読書感想文ってまず「どういう風に書く物なのか」っていうのを一度も教えて貰ってないような気がするんだよな。そして教師も提出した読書感想文に対して何のアドバイスもなければ採点もしてくれなかったので、最後まで何するべきなのかわからず毎年あらすじ解説で終わってた。
読書感想文の是非が話題だが、その難しさは、日本語学的にある程度説明ができる。まず「感想」は「気持ち」と置き変えることができる。つまり、感想文とは、文章を読んだ「気持ち」を書くことが要求されるのだが、これが難しさの主因である。
実は日本語の「気持ち」の述語として結びつく、状態を示す言葉は非常に少ない。「良い/悪い」「ある/ない」ぐらいで他の用例は少ない。だから「どういう気持ちか?」と問われて、「感想は特にありません」「気持ちが悪かったです」程度になるのは、訓練されていない場合に、ごく当然なのだ。

「感想」ではなく「紹介」なら書ける

大人になってからは本でも映画でも食い物でも感想をいちいちSNSに投稿するような人間になってしまったので、もし小学校当時に「自分が面白そうだと思う本を読んで、それをまだ読んでない人にオススメする文章を書きなさい」とか言われてたらそこそこ張り切って書いてたかも知んない。
読書感想文っていう名称がミスだよねえ。
「問1 対象の本等を要約せよ
問2 問1から、主題は何と考えられるか
問3 問1、2から主題に対する著者の考えはどういったものか
問4 主題に対してあなたはどう考えるか」
っていう4問なんだよ。学校はまず問1のやり方を教えるべきよ。