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「きみがものの見方を少し変えるだけで、世界を変えることができるんだなあ」てな感じの、ほぼ日的なやんわりとしたお説教は、
この世界の構造と体制を、現状のまま保持したいと願っている勢力を、
おおいにアシストしていると思うんだなあ
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イトイ村の人たちのものの言い方は、あれはオレの神経にさわるのだなあ
「塩昆布をにぎっただけのおにぎりだって、大好きなた人たちと一緒に食べれば、ほら、こんなにおいしいんだよ」式の論点のズラし方というのか、そういう微妙なインチキくささが横溢しているわけだね。
引用元
山下清やみつを的な・・・
ほんとにな。ひらがな多めでほっこり語りかけるやつ。
置かれた場所で咲きなさい。も、嫌いです。
我慢して我慢して、上に従えって言うみたいで。
絆という言葉も勘弁です。
「考えを変えろ、さすれば変われん」みたいな言葉は上級国民達が言ってることで、問題の起源を制度やら法やらではなく「弱者のお気持ち」に依拠させることで、自分達に都合の良いもを改定することから議論を遠ざけ、全てを現状維持にできるわけですよね。。
よく言われるセリフだけど、違和感を感じていました。
見方を変えても、ごはんがなくてお腹が空いたり、殴られて痛かったり、大切なひとが死んでしまったりした事実は変わらないじゃないか、と思ってました。
殴られても平気になろうと頑張ったけど、痛いものは痛かった。
これ、本来、嫉妬や被害者だと勘違いして拗ねてる人に言う言葉。
加害する人や、踏み出せない人に言う言葉なのに。
我慢する方に使うなんて使い方が反対。
考え方でどうにもならないものを飲み込ませようとしてるんだなあ
それでもって現実から目をそらしてるんじゃないかなあ
まぁ結局、見方や考え方を変えるだけで既存の体制に上手く順応出来るよ(しろよ)って事なんだよなぁ。
浄土真宗はそれで戦争に加担してしまった。
私は宗教系大学卒だが「自分を変えろ」という宗教的説教はただの保守主義であって、そういう現状を変革しようとしない宗教は欺瞞だ、とレポートに書いて「不可」をもらったことがある。それ以来「自分を変えろ」という言説は信用しないことにしている。自己変革という魅力的な言葉に騙されてはいけない
ええ、相手をただ「被害的認知を持っている」とだけ断じる事は、相手の怒りに寄り添う姿勢から最も遠く、そして相手に対して最も抑圧的な態度と言う事になりますよね。
いわゆるポリアンナ主義の正体もこれだと思います。
あれは大人や責任ある立場の人間が、解決すべき課題から目を背けるために、子供や弱い立場の人間を「良かった探し」に誘導する物語。
良かった探しに興じた子供に与えられる報酬は不幸な環境にめげない健気な子という名誉だけ
ほぼ日には「幸せの受信アンテナを磨けば、ほら、あなたの毎日は幸せに溢れてる」的な多幸感煽りもまた通奏低音に流れているよう…「ガストのアプリで50円引きゲット!こんな時代に感謝」とか言わせてる場合じゃないと思うんですけど。
幸せに至る道がそれしか残されてない、現実と格闘しても無間地獄が待ってるだけよ?何処かで妥協しないと。って言うのは昔からある処世術として目新しくもない話。
そしてごく少数天才以外、その処世術が適当だったりする。
ある種の唯心論やね。
全く同じフレーズでもストイシズムの思想はこういうことにはならない。
自分のものの見方を変える、というのは、
自分のものの見方のフィルターが何か、を真に認識する事であって、
体制側の意見に迎合しなさい、相手の言うことを聞きなさい、という意味ではないことは指摘しておきます。

この区別がないとアシスト勢はおろか、無意識の穿った善意も見抜けなくなります。
それとこれとは別に考えるって出来ないのかな?
変えられるところは変える。
変えなきゃいけないところは変えていく。
変えられないところは見方を変えていく。

政治は変えられるし、人が死ぬって事実は変えられない。

そこまで考えない人が多いのかな?
なんでもかんでも変えりゃいいわけじゃないだろうに。
世の中に
全く変えないべきと言う人と
全てを変えるべきと言う人の
2種類しかいないとでも思っていそうなこのシンプルすぎる世界観、何とかならんかw
行き過ぎの解釈主義の陥穽にきづいてからは
そういうこと言わないようになりました