tana1
画像引用:「学校へ行けない僕と9人の先生」
軽度の発達障害。
「軽くて良かったね」ってなりそうですが、
他の疾患との違いは軽度が軽症でない事。

ここは理解するのに大切な点です。

軽い発達障害は本人も周囲も個性と思い、変わってる、空気がよめない人などと言われ徐々に自尊心が低下していきます。
成人になり仕事や結婚で悩む人も増えます。→
ここが一般クリニックで発達外来をやる最も大切な点だと考えています。
いわゆるグレーから軽度発達障害を早期対応し学校社会での悩みを最小限に、困った時の支援開始を早く。診断より本人家族の困りをしっかり傾聴する事が大切です。
困りがあるのにグレーで診断がつかないから受診は終了は可哀想です
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引用元
「軽度が軽症ではない」

その通り。
むしろ、軽度だからこそそこんとこ努力でなんとかなるだろとか、なんで?とかあまつさえなめてんのかとか言われるとね…ほんとに。
知的障害や身体の障害と「軽度」の意味あいが全く違うんですね…
こんな、的確に言葉にしてもらえるのは、なかなかないことです。

わかりにくいからこそ、本人も、周りも、悩む。
周りを困らせている自覚があることには、本人も過敏に神経をつかっています。
日々の生活での困難に疲弊しながら「普通の感じ」を作り続ける…
疲れ切ったとき、二次障害がやってくる…。
軽度だからこそ
『他人と同じように出来ない自分』
を責めてしまい  周りからは
『何でこんな事も出来ないの』
と責められる
生きにくいと思う
傷つけられる事も多いと思う
本当に向いてない仕事についたらズタボロになります。なんで当たり前のことができないの?使えない。って言われて。泣きたくなります。
注意されることが多く、ピンとこないので繰り返し叱られ、なぜ?に答えがなく、自分はダメだと自分を責める。
これが辛いですよね。
わかるのだ。
大人になって苦労し始めているのだ。
発達障害の不気味の谷現象。
こどもたちは違いの大きい子は「そういう子なんだ」と受け入れるんですが、
軽度の子のように一見ふつうなのにところどころに違和感を感じる相手に対しては違いばかりが目についてしまう。
正直成人後も死ぬまで続く地獄の道なので解決法はいっそ擬態を止めることだと思ってる
本当に理解者が少ないです。
本人もその親も疲れています。
支援級も軽度すぎて入れない、でも普通級では体と心がついていけません、毎日学校へ行けません。
どこかに長男のことを相談するたびに、
何度も何度も「できない子はもっと、本当に出来ないですから」という言葉に悩まされてきた。

「そうだとしても軽い方だと思いますよ」とも。

だから何?

家で泣いて荒れ狂う息子の様子を伝えても「学校で頑張っている分お母さんに甘えてるんですね」

だから?
軽度が軽症ではない、これはグレーゾーンと言われている我が子にも本当に当てはまる。
思春期に入り、幼少時とは違う困り事が増えてきた。
居住地の療育センターは年2、3回の10分診療のみで、困り事の相談もできない。どうフォローすれば良いか手探りの毎日です。
ADHDやASDで一番救われないのはボーダーの人なんですよね。
学校や会社でもイジメの標的になりやすいし、理解のない人からは仕方ないで済まされてしまう。さまざまな事情の人を受け入れられる社会でありたいですね。
逆に、外から見てもわからないくらい軽度の方が「生きにくい」。

がっつり車イスの方よりも、ほんの少し片足が動かしにくい人の方がより健常者に見えるのと同じで。
でも、もしかすると同じくらい生活しにくいのかもしれないよ。

そんなことを考えさせられる呟きでした。
これいつも素人として不思議なんだけど、

変わっていたり空気が読めなかったりするいわゆる社会で「非常識な人」と言われがちな人はみんな軽度の発達障害なのかな。
それとも単に非常識なだけで発達障害でも何でもない人っていうのもいるのかな。


後者だとしたらその線引きはどこなんだろう…
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