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いじめをする人ほど”絆”や”友情”が好き

いじめられてた時、

人をいじめる人ほど絆やら友情やらを言葉に出すし
体育祭で結束力を求めるし
大人数で腕に×印描いて拳突き上げたり浜辺でジャンプしたりして写真撮るし
いじめで命を落とした中学生のニュースを引用リツイートして哀れんだりするの
不思議って思ってた。


なんで?自覚症状ないの?
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自分がルフィだと思ってるからでしょうね…
相手を悪者扱いして集団で攻撃するのがイジメの本質ですからね
体育祭で結束力を求めるタイプのいじめっ子は、運動音痴な子がスポーツ行事でミスしたり自分より下手だとキレたり舌打ちする
昔いじめっ子がいじめについて考える作文で表彰された時は身震いがした。
いじめられている側はそんな作文綺麗に書けるわけがない。
いじめをしてる人間はいじめられてる方が悪者で自分達は悪者を懲らしめてるくらいに思ってる人が多いと思います…
例えば、無口だとか無愛想だとか運動が極端に苦手とか、少し周りの人と異なった特徴を持つ人を異物と見なし、寄ってたかって差別することを善としている節があると思います
そしてそういう奴等に限って

幸せな結婚をして周囲に祝福され
子供に恵まれ家庭を築けている

という現実までがセットで。

「加害に対する無自覚性」について

インターネットにはいじめ被害者の声が溢れてるのに加害側の声が一切聞こえないのは、
みんな自分が加害側に回ったことをすっかり忘れてるからなんだよな
おそらく「迷惑なやつを撃退してやった」「みんなの邪魔するやつに注意した」などの記憶に変換されてる。
まぁメタ認知の精度が上がることで幸福になることは少ないですから、みんないじめ加害の記憶なんて武勇伝に変換して、今日も笑顔で生きていくんだと思うラジよ。
これをみると、なぜ多くの大人がいじめを止められないかって話の要因のひとつが、「いじめ加害者の人柄やそのいじめ行為を、普通あるいは当然のものとして見過ごしている」って可能性があるかもですね。

そう思うと私の記憶にないため息や軽口ひとつで深く傷つく人達もいた、いや、今もいるかも……。
いじめに関する親の意識(アンケート調査)

我が子がいじめられた事がある 40%
我が子がいじめをした事がある 4%

いじめって、基本的に多数対1人なので、いじめた経験の方が圧倒的に高い数字になると思うのですが・・・。

いじめ被害を心配する親はいても、加害の側は意外と気にしていない
人間がいかに自身や身内の加害性を認識できないかがよくわかりますね…。
要するに「いじめっ子」とは心なきモンスターなどではなく我々自身に過ぎないのだから、あんまり加害者を悪魔化しても問題解決には繋がらなくて、我々が当然のように内包している悪について向き合わないと意味がないんじゃないかと思う。
まぁヤバいひとは「我々は完全な被害者で一切の責任はない」みたいに考えてることが多いんで、こういう話しても届かないんですけどね…。
テレビや小説や挙句の果てには社会運動家まで、「いじめや差別をするのは性格の悪い悪人だ」とか「○○という思想があればいじめや差別をしない」という迷信を抱えてる気がするが、いじめや差別は「善良な善人もやる」ということをそろそろ認めないとまずい気がする。

進化心理学「いじめは”社会性”」

本当のことを言うと、

イジメは「異質性の排除」というサピエンスの習性からきている(J.Haidt 2014)。
みんなと同じになってイジメる側に回る連中は、社会性が得てして高い。

それは社会性ではない!と憤る連中は「社会性」の定義を生物学的に捉えきれていない
(これをポジティビティバイアスという)。
ハーバード大の進化人類学者ポール=ビンガムによると、

サピエンスは規範(norm)からの逸脱者に対して、ゴシップで悪評を広めたり、連合を組んで集団制裁を加えるように進化している(Bingham 2000)。

つまり「みんなで仲良くしましょう」がクラスのルール=規範になると、仲間はずれの子はイジメられます。
いうまでもなく、仲間はずれの子がイジメられるのは、誰とも “仲良く” しようとしないため、「みんなで仲良くしましょう」という規範に反した存在だからです。
十字架って映画でエキストラの中学生を集めてスタンフォード監獄実験みたいな「いじめのワークショップ」をやった時、
いじめられて三回転校した女子にいじめっ子役をやらせたら「いじめるのがこんなに楽しいと思わなかった、いじめるとみんなが寄って来てくれて嬉しかった」って言った話生々しくて好き
残念なことですが集団でいじめや差別をするのは人間が生き残るために獲得した能力としか思えません
canary_09 生き残るため、というか、個人のセキュリティであるというのもある。それほどEEAの社会淘汰圧は凄まじかった。
「自然状態」はそんなもので(差別にも同様の「正当性」はある)、しかしそれではいけないと考えるのが「文明人」だったのではないのか?
つまり、「社会性が有るのが正義だと勘違いすんなよ」って言えば良いのね
そこを『本能だから』といって肯定するならば理性の存在価値が消滅するので、それを踏まえた上でどないすんねんという議論と対策が必要。

理由の如何によらず犯罪なので許される行動じゃないですよ。
感情的に良いとか悪いとかではなくて、そもそもそれがなんであるのか把握する事は大事だよな。
「社会性」の定義が20「万」年前の水準で止まっている人間もいるということでしょう
懸命な諸君には、「現代社会における社会性」に照らし合わせた行動をお勧めしていきたい
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