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昨日もワークショップで

「『なんで宿題やってないの!?』と言う時、あなたは宿題をやっていない理由を聞きたいのですか?それとも『宿題をやれ!このボケ!』と伝えたいのですか?」

と参加者に尋ねたら衝撃を受けていた。
間接的な物言いをしている人の多くはそれが間接的な物言いであることに無自覚
間接的物言いをしていることに無自覚な人は、頭の中の思考でも間接的物言いを使っている。
その結果、自分の思考や感情をクリアに把握することができなくなる。

内心の言語化、メンタライズの不全状態といえる。
それを避けるためにも頭の中ではなるべく文字通り、直接的な言葉遣いをしたほうがいい。
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母に叱られるときは、だいたいこの文法でした。

「なんでこんなに遅くなったの?」
「◯◯だったから」
「屁理屈ばかり言うんじゃない!」

この理不尽さ。質問に答えたのに。

出産後にまず、この「疑問形を装った尋問」は絶対に使うまいと心に誓いました。
仕事中、上司に「何でこうなった❓❗️」と言われたので、理由を話したら「言い訳するな❗️❗️」と怒られました。謝罪だけ求めてるならシンプルに「謝れ❗️❗️」って言って欲しいです。日本語は正しく使いましょう(*´꒳`*)
「なんで」、「なぜ」が「Why」ではないのです。
私は心療内科の先生から教わりました。
色々と複雑で曖昧なので不安なら、聞き直していいよ。と教えてもらえてから、自分でも「なんで」という言葉を使う時には、理由を聞きたい「なんで」か、そうではない「なんで」かを前置きして聞いています。
「なんで○○なの!?と詰められたとき、これは怒っているのだなと分かるのがコミュ能力(正)、空気読めず理由を答えてしまうのがアスペ(悪)
みたいな風潮が今は支配的だと感じています
受け取る方だけの問題ではなく発言側の問題でもあるのですね

「歪んだタクト」について

一種独特の「注意のしかた」みたいなのがあって、
例えば入室する時に扉を完全に閉めずに入ってきたら、
「君、ずいぶん尻尾が長いね」と指摘するような事例。
ああいうのは一体どういう「機能」を持っているのだろうか。
gnsi_ismr 行動分析学でいう「ゆがんだタクト」ですね。
「部屋が暑いな」(クーラーをつけろという意味)は「歪んだタクト」だけど
こういう「質問の形をとった命令」には名前はあるのかな。
marxindo それは名前を付けろという命令ですか?
社会心理では間接要請ということが多くて、言語では誰かが指摘してるように、少し広い概念ですけどスピーチアクトというようです。
行為遂行的発話という術語があったかと。

香炉峰の雪は?

とかも。
事実の報告じゃなくて行為をうながす発話ですね。どうしてこんなややこしい言葉を使うんだろう。

怒りや不満の表出としての「なんで」

私は「宿題やってないみたいだけどどうしたの?」と訊く時は、本当に理由が知りたい時なのですが、「なんで宿題やってないの?」になると単に怒りの発散です。

自覚があります。

どんな時も、どの状態でも「なんで…」で怒りを表現してしまいます。

これはどこで学習したのか?と不思議です。
やはり言葉の使い方はそのまま思考や感情に影響を与えるのだよね。屈折した言葉遣いをする人はたいてい内心も屈折していて、難しい。
相手の行動への不満、怒りの表出としての「なんで〜するの!?」という物言いが広く使われる背景に「怒りを持ってはいけない、怒りを表出してはいけない」という世間の規範が影響している。

「なんで」を使えば「私は怒っていない」という建前と
「私の怒りを感じ取れ」という本音を同時発信できる。
「なんで」を使って無自覚に怒りや不満の表明をすれば、他者に対して「怒っていない私」という体面を保つだけでなく、自分自身に対しても「怒らない善人の私」というセルフイメージを守ることができる。
「怒らない冷静で善意溢れる私」というセルフイメージを保つためには、
「なんで」と問い詰める背後にある自分の本当の意図に気づくわけにはいかない。
これが「なんで」が間接的な物言いであることになかなか気づけない理由である。

無意識はとても賢く、このようにして自分の心が傷つかないように守る。

「怒ってはならない」がもたらす「不快感の迷子」について

「毒親」「クソオス」「ビッチ」などある対象への嫌悪感を呼称にあえてのせて語りたがり、そこを控えるように指摘されると烈火のごとく怒る人たちがいる。
彼らは「怒ってはならない」という規範にそれまで縛られ、不快感を怒りや不満を抑圧し、怒りの対象とその感情をうまく結びつけられずに辛い日々を過ごしてきた。
そうやって生きてくると自分の感情や思考をうまく言語化して把握する能力が育たない。
それがある日ようやく、その感情はある対象への怒りや不満であると認識する。
彼らにとっては目が開くような体験だ。
でもまだ感情や思考の言語化能力は未熟で、油断するとすぐに自分の気持ちがわからなくなってしまう。
そんな彼らが洞窟の暗闇の中でようやく見つけた外界からの明かり、
それが親や異性といった対象と自分の中の不快感との結びつきであり、
すぐにまたわからなくなってしまいそうなそれを必死で失わないように自分に繫ぎ止める試み、それが「毒親」「クソオス」「ビッチ」などの蔑称である。
そう考えると彼らがそういった蔑称にしがみつくのは、成長の一過程とはいえるかもしれないし、彼らなりにやれる自助努力、必死のもがきであることは間違いない。
だから、あんまり責める気にもなれない。
いずれ次のステージに進んでもっと毎日幸せに過ごせたらいいね、とは思うけど。
「カサンドラ」「アスペ」「発達障害」「定型発達者優位の社会」
そういった概念や言葉も各自が心の中に抱え込んでいた謎のモヤモヤ、不快感の対象を特定し、少しでも気持ちを楽にする機能を果たしているケースが多いなあと思われる。
彼らは自分の内心にあるすべてのネガティヴ感情を特定した一つの対象に過剰に結びつける。
でも対象が見つからないよりは心が少し安定し、楽になる。
何に対して怒ればいいのかわかり、そこに怒ることが社会的に許容される行為だと感じられることで、初めて安心して怒りを感じ取ることができる。
そのように怒りを向けられる対象は当人が実際に行った問題行為はともかく、それ以上にありとあらゆる悪事の原因とされてしまうことがある。
お互いがそれをやりあったりすると、泥沼の非難合戦になる。なかなか難しい。
・内心で怒るのは自由
・自分の怒りとは無関係に相手は相手の人生を生きている
・怒りを表に出すときには、適切な形やタイミング、その怒りを持つ適切な理由などが必要
・怒りの背後には不満と望みがあり、その望みを叶える一番うまい方法が怒りの表出とは限らない


あたりがわかるといいよな。
以前の上司が「これやっておいて」を「これやらなくていいの?」と言うタイプで、毎回無駄に心がすり減っていました。今後同じような人に出会ったら、間接的物言いのパターンだな…と思うことで自分をなだめることができそうです。

効果的な伝え方について

会社の教育係が「なんで○○(ミス行為)したの?」って新人につめてる現場をちょくちょくみるのですが、第三者としてはひとつ目のように何が言いたいのか聞いた方がいいのでしょうか?正直、教育になっていないと横から聞いていて思うのです。
jam_butter 教育係の人にアドバイスをして受け入れてもらえそうな信頼関係があるのであれば、働きかけの意図を明確にして、それから最も効果的な言葉を選ぶ、というやり方を伝えてあげられると、教える側も教わる側も幸せになれますね!
間接的だとしても、「本当はこう思ってるけど目的達成のためにはこの人にはこういう言い方がいい」って自覚があれば問題ないんですけどね。自分の意図を俯瞰できずに感情に走ってる人がめちゃくちゃやってるわけで。
自分の意図することを俯瞰的に自覚していればいいわけで、発話する言葉は全てそのままの意味どストレートじゃなくてもいいとは思いますよ。難しいですけども、どんな言葉でも邪推する人もいるし、相手がどういう解釈のタイプかによって発話する言葉は可変させるべきだな〜とぼくは思いますね。
soso9hon その通りだと思います。
直接か間接かって話じゃなくて、明確な意図を持って効果的な手段をその都度選べって話なんですけど、みんな直接対間接で戦争を始めるのが好きなんですよねw
この一連のツイート、本当に色んな人に読んでほしい。
怒りの原因を言語化出来てない人、かなりいるよね。
引用元