ダウンロード - 2019-08-08T193805.499
ブッダは「厳しい修行ばかり続けていると逆にダメになる」と言っていて、
実際に若い頃ムチャな苦行を続けて死にかけた時に懲りて適度にサボることを覚えた。
ちなみに6年でギブアップ。

あのブッダでさえ6年が限界と考えると、常人が1年くらいで音を上げても恥ずかしくないので適度な休養は必要。
ブッダが苦行をやめた理由は餓死しかけた恐怖ではなく、

「これほどの苦しい思いに耐え続けている自分は他人より優れた人間である」
という悪心がどんどん大きくなっていくのを自覚した
ためといわれています。

「自分は苦労したから」は人の上に立つ権利にはならない。
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ブッダが2000年以上前に悟ったことを、今の日本人が全く悟ってないことが嘆かわしい
『自分は苦労したから』を免罪符に悪い事する人いっぱいいますもんね。
多くの精進ごとで、初心者の心を折りまくる自称経験者が同じ悪心をぬくぬくと育てておりまする
苦行に耐えるというのはそれだけ魅力的で、ブラック企業もスポーツのしばき体質も、エリート思想も、この種の悪心で歯止めが効かなくなるんだろう。
「苦労は人の上に立つ資格にはならない」というのはわかりますが、過去の努力や苦労だけが心のよりどころになっている人間の場合、それも手放さなければならないのでしょうか?
それを取ったら空っぽになってしまうような人間は人間の価値さえないんでしょうか?
お答えください。
kuroiro2girl はじめまして。

過去の努力、苦労は自分をささえる重要な柱となり、時には悩む人を助ける「経験」にもなると考えています。

自分にも他人にも、頼りになるのは苦労話ではなく経験であって、けして空っぽになることはないのではないでしょうか。

短文ではありますがご理解の程よろしくお願いします。
苦労は自分の拠り所の一部にするのは構わんけど、他人に強いるようになったらアカン。
苦労も努力も本質的には「自分の個人的な満足のため」ですしのぅ。
と思うんやけどね。
「苦あれば楽あり」って言葉もあって決して間違えではなく裏切らないと思う。
けど、人間あまりにも辛く苦しい事や悲しい事が続きキャパオーバーなのも無視してたら心身共にやられてしまう。
下手したら後々トラウマやPTSDになるよ。
我慢したら偉いわけじゃないのと同時に、大人も子供も我慢しすぎると、自由で我慢しない誰かのことが許せなくなって、他人にも我慢を強いるようになるっていうから、やっぱり我慢のしすぎは良くないし、人に迷惑かけない程度にゆるゆる生きようみんな。。
仏陀が苦行を止めたのは
苦行だけじゃ真理にたどり着けないと気づいたからじゃないのか?
ブッダが、悪心の肥大を避けるために苦行をやめた、というのはどこに書いてありますか?書籍などあればほしいので教えていただけませんか。
wbhakuro はじめまして。

こちらのツイートで紹介したエピソードは教養番組で僧の方がお話した「ブッダは苦行を否定したのではなく、『悟り』への絶対条件ではないと気づいた」という談話が元となっています。
20年くらい前だったと記憶していますね。

不明瞭なお答えしか出来ず申し訳ありません。
そうなんですかね?
私は、お釈迦様が苦行を止めた理由は、
「『本当の修行は日々の生活の中にこそあり、苦行のように特別に作り出した世界にあるのではない』と理解したからだ」と聞いてましたけど。
気になってざっと調べたんですが、元ツイのような解釈は見当たらなかったですね。
ただ、anuyaさんの提示したものも様々な解釈のうちの一つでしかないようです。
まず原典があり、解釈違いによって宗派が生まれるならば、現代的解釈も自然のなりゆきに思えます。
苦行することが目的化してしまい、悟りを得るという本来の目的が消えてしまう戒めよね。
現代日本じゃ努力を量を時間で計る悪習が根強いけど、本来はどれくらい結果が出たのかが重要なんだよなぁと。
色々な解釈はあるけれど、個人的には「無理しすぎるのはよくない」な人間みを感じて好きなエピソードだったりします
手塚治虫のブッダにも「苦行をしたがるのも欲ではないか」という旨のセリフがあった。当時は意味がよくわからなかったが、なるほど、そういうことか。。。
引用元
ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)
手塚 治虫
潮出版社 (2000-04-01)
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