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ひきこもりに関する誤解を解く

絶対に外出しない → けっこう単独では外出する

犯罪者予備群? → 犯罪率は低い。あっても家庭内暴力

自室でネット三昧 → ヘビーユーザは10%以下

日本に特有 → 全世界で増加傾向。儒教文化権とカソリック圏に多い

自己中心的 → むしろ自分が嫌い
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バズったので捕捉。
儒教文化圏とカソリック圏に多いのは家族主義>>個人主義だから。
個人主義が強い地域ではホームレスが増える。
日本はただでさえ少ないホームレスがさらに減少中という希有な国。
定義に合致する意味でのひきこもりが通り魔をした事件はいまだかつて存在しません。

ひきこもりの犯罪率は著しく低いです。
家庭内暴力と通り魔は攻撃性のベクトルが逆なのでほぼ両立しません。


今後懸念すべきリスクは、将来を悲観した当事者の自殺と無理心中(未遂)、疲弊した親による「子殺し」。
ネットヘビーユーザ10%以下とは意外です。
カトリックと儒教国に多いのが、なるほどなと思うな
そりゃ、ひきこもってちゃ犯罪なんてやろうにもできませんわね。
なんでひきこもり=犯罪者予備軍だと思われるんだろうか。
そもそも活動的でなく
行動能力も低いんだから
犯罪ってそれなり
行動力ないとできませんからね
自分を責め続け自傷に至るケースも…
「自分が嫌い」は辛そうだな、逃げ場がない
僕も引きこもりがちやけど、自分の姿を人様の前に晒すなんてかなわん、ゆう感じの自己嫌悪があるにゃ…
引きこもり経験あるけど、「人と会わなきゃいけない」ってミッションさえなければ外出はいくらでもできた。日によっては慣れているはずの姪っ子たちですら会うのが怖かったぐらい。人そのものより、人と接触する直前、ドア一枚隔てている瞬間に強烈な恐怖感が襲ってくる事が多かった。自己嫌悪はガチ。
自己中心的と自分が嫌いというのは反対のことなのでしょうか🤔
最後の

自己中心的 → むしろ自分が嫌い

は、自分が嫌い故うまくいかない自分に関心が集中してしまい、他者に目を向ける余裕がなくなり、結果として自己中に映ってしまうのだと思う(自己体験)
一番最後の「自己中→自分嫌い」は、引きこもり本人の感覚としてその通り。
「自分みたいにダメな奴がいて良い世界じゃない」みたいな自己否定感が強い。それを他者から見ると「自分のことしか考えていない」という自己中マンになる。
あっても家庭内暴力って意味ワカメ。
家庭内暴力は立派な犯罪だと思うけど…
概ね、へーって思ったけど、家庭内暴力も立派な犯罪だと思うし、自己中心的なのと自分が嫌いなのは反しないと思う。
自己中心的なのって周囲のことを考えられているかどうかじゃない?

あっても家庭内暴力ってところ、死なないまでも後遺症残るほど暴力ふるわれて、家族だからと泣く泣く訴えなかった人を知ってるので引っ掛かる。犯罪率は低いって部分はちょっと疑問。家族間の暴力は、なかなか犯罪として取り上げてもらえないし、家庭内暴力を軽んじてるように思えます。
家庭内暴力は既に犯罪かと。
あと、自己中と自己嫌悪は兼ねることできるのでは?

色々と疑問点が、、、。
自己中と自己嫌悪が両立するのはその通り。自傷的自己愛と命名したことがある。自分がダメであることにかけては世界一自信がある、的な。別の言い方をするなら、プライドは高いが自信はない、ということ。
家庭内暴力についていえば、一般人口の潜在的DV率よりも低いのは確か。子から親への家庭内暴力は簡単に解決できる。
斉藤環氏による家庭内暴力とネット依存に関する一般論 - Togetter
 まとめると
拒否→予告→実行(通報 or 避難)を

 丁 寧 か つ 確 実 に 

進めればほぼ解決します。

「丁寧かつ確実」がポイント。
ひきこもりはモンスターではない。
ひきこもりは通り魔にならない。
でも、ひきこもりは家庭内暴力をともなうことがある。
家庭内暴力は往々にして「子殺し」の悲劇につながる。
それは防ぎうる悲劇だ。
その「懸念すべきリスク」をどうやって回避するか?難しい課題です。
引用元
「ひきこもり」救出マニュアル〈実践編〉 (ちくま文庫)
斎藤 環
筑摩書房
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