その昔、臨床心理系の授業だったと思うけど、
「『自分が精神的に辛かった経験があるから、カウンセラーに向いている』と考える人は、
正直今すぐ出ていって欲しい。
それは自分の体験を過度に汎化するという、非常に傲慢な考えである。
そんな人には臨床心理を学んでほしくない」
(続く)
「『自分が精神的に辛かった経験があるから、カウンセラーに向いている』と考える人は、
正直今すぐ出ていって欲しい。
それは自分の体験を過度に汎化するという、非常に傲慢な考えである。
そんな人には臨床心理を学んでほしくない」
(続く)
なんて仰る先生がいて、周囲が酷くショックを受けてたけど、
「自分が昔勉強で苦労した」とか「自分が昔悪さしていた」ってのは、
それ自体では何の武器にもならんよ。
「今はどうなんだ」ってぇのと、「自分の体験を、どのような形で昇華したのか」って話であって。
「自分が昔勉強で苦労した」とか「自分が昔悪さしていた」ってのは、
それ自体では何の武器にもならんよ。
「今はどうなんだ」ってぇのと、「自分の体験を、どのような形で昇華したのか」って話であって。
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心理系の学科だったけど、学生のだいたいは何か重いもの背負ってたり闇や病みを感じさせる人ばっかだった(笑)
私は臨床心理は好まなかったけど、進んだ人は結構危うい人が多かった…
まあ何も悩んだことありませんーな人よりは親身になる気はするけどね…
私は臨床心理は好まなかったけど、進んだ人は結構危うい人が多かった…
まあ何も悩んだことありませんーな人よりは親身になる気はするけどね…
自分なりには
「それがどれだけ自分にとって貴重でも、『自分の体験』というのはあくまで一回性の固有の体験であり、それを安易に他者に当てはめよう、当てはめられるという思いは非常に危険だ」
ということだと理解しています。
別の表現で言えば
「わかる」という感覚に頼ってはいけないというか。
「それがどれだけ自分にとって貴重でも、『自分の体験』というのはあくまで一回性の固有の体験であり、それを安易に他者に当てはめよう、当てはめられるという思いは非常に危険だ」
ということだと理解しています。
別の表現で言えば
「わかる」という感覚に頼ってはいけないというか。
“援助職の専門家は、自分自身にはどういう問題・課題があり、自分がどういう生育歴をもっているか、そして自分のどういう問題が未解決になっているのかということを、ちゃんと知っておくことが必要”
『悲しみにおしつぶされないために―対人援助職のグリーフケア入門』
『悲しみにおしつぶされないために―対人援助職のグリーフケア入門』
不登校経験者、いじめ被害者、精神科通院歴の友人たちはよくカウンセラーになりたいと言っていました。
自分もそうでしたが、無理だと悟りました。
自分が癒やされていなければ、人を癒やす重い仕事は出来ないな、と思います。
でも、経験より、適性を見てほしいなと思います。
自分もそうでしたが、無理だと悟りました。
自分が癒やされていなければ、人を癒やす重い仕事は出来ないな、と思います。
でも、経験より、適性を見てほしいなと思います。
「自分が精神的に辛かった経験」自体はいい糧になると思うけど「だからカウンセラーに向いてる」は確かに傲慢なのかも。
というか疾患やケースによっては巻き込まれ飲み込まれ客観性を失いがちになる。
相手の立場を想う想像力とプロとしての冷静さを失わなければ、経験自体はあっていいと思う。
というか疾患やケースによっては巻き込まれ飲み込まれ客観性を失いがちになる。
相手の立場を想う想像力とプロとしての冷静さを失わなければ、経験自体はあっていいと思う。
経験があるから理解が及ぶ、という事は確かにあると思いますが、
それは経験論であって一般化は無理でしょうね。
ただ患者にわかるよ、と慰める言葉でしかないと思います。
それは経験論であって一般化は無理でしょうね。
ただ患者にわかるよ、と慰める言葉でしかないと思います。
「自分が精神的に辛かった経験があるから、カウンセラーに向いていると考える人は、正直今すぐ出ていって欲しい」
と臨床心理系の先生に言われてショックを受けた人は残らず、向いてないよな。
と臨床心理系の先生に言われてショックを受けた人は残らず、向いてないよな。
たしかに、その時点では向いていない。
ただ、さらに言えば、
「向いていない」と指摘されてショックを受けて、そこからどう考えて動くかで、向いている人になれるかもしれない。
ただ、さらに言えば、
「向いていない」と指摘されてショックを受けて、そこからどう考えて動くかで、向いている人になれるかもしれない。
経験があるかないかではなく、自分自身と向き合えているかどうかということ。
確かに対人支援を志す人はそういった原体験を持っていることが多いように思う。
支援は癒し、そして癒される側面も持つと感じるから。
でもその経験を助ける側で活かそうとすることは、とても優しく、人らしく、尊いと思う。
確かに対人支援を志す人はそういった原体験を持っていることが多いように思う。
支援は癒し、そして癒される側面も持つと感じるから。
でもその経験を助ける側で活かそうとすることは、とても優しく、人らしく、尊いと思う。
別に出て行かなくていいので,授業を通して見直すきっかけにしてほしいですね。
「自分の経験が誰かの役に立つ」と考える心理自体に悪はないでしょう。
その素朴さを適切な方向へと磨いていくのが教育。
(知らんけど)
「自分の経験が誰かの役に立つ」と考える心理自体に悪はないでしょう。
その素朴さを適切な方向へと磨いていくのが教育。
(知らんけど)
何かを始める動機はなんだっていい。
辛い経験しててもしてなくても、
自分はカウンセラーに向いてると思ってても思ってなくとも、
それなりの技術が備えられことができるように、
教育のセッティングを整えることが大事におもう。
問題を個人に帰属するより
まず環境調整って
心理学の基礎で学ぶよな。
辛い経験しててもしてなくても、
自分はカウンセラーに向いてると思ってても思ってなくとも、
それなりの技術が備えられことができるように、
教育のセッティングを整えることが大事におもう。
問題を個人に帰属するより
まず環境調整って
心理学の基礎で学ぶよな。
引用元
その昔、臨床心理系の授業だったと思うけど、「『自分が精神的に辛かった経験があるから、カウンセラーに向いている』と考える人は、正直今すぐ出ていって欲しい。それは自分の体験を過度に汎化するという、非常に傲慢な考えである。そんな人には臨床心理を学んでほしくない」(続く)
— Yossy (@Yossy_K) July 19, 2019
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「わかる」と言われてしまうのが傷つきになる人がいるというのは心に刻んでおきたいところ。 |
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暫く上記ルールで運用します(適宜改訂の可能性あり)
悪質な場合は予告なしで規制の対象とさせて頂きます
ルールを守ってお使いくださいませ
コメント一覧
コメント一覧 (67)
おふとん
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おふとん
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おふとん
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おふとん
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おふとん
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ないか。
そして、そういう(根本解決につながらないけど、問題から良い意味で
目をそらして)人に寄り添うふりをする人も社会には有用かと思う。
頑張ってくださいね!
おふとん
がしました
金にはならないからまず有能やつはならないんだよな
おふとん
がしました
人は俺を理解してくれないし
同様に俺も人を理解できない
真の共感は不可能である
ってことだったが
おふとん
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逆じゃない?
有能な人間が集まらないから、儲けるシステムを作れないんじゃ?
だってアメリカでは心理士のほうが精神科医より難易度が高いし、市場も大きい。
日本でカウンセラーになるのは時間的、経済的には確かにそこそこ難しい
ので、学部の時はバイトばかりして金貯めてた思い出がある。
おふとん
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おふとん
がしました
自分は虐待にあったとか言って変なカウンセリングしとる笑
でも同調好きな女どもにはそこそこ受けてて自己陶酔しとるからタチが悪い
気持ち悪いから近づかないのが一番
おふとん
がしました
言われるまで気づかなかったから考えが甘かったんだなと今でも思う
おふとん
がしました
経験の一つとして有用な部分があるけど、あくまでそれだけ
その辺の理解が日本はアメリカやヨーロッパに対して酷く遅れている
野球なんて本当に酷い世界大会に出場するチームの監督に、指導者経験が全くない元有名選手を監督にすえたりとか平気で出来ちゃう
おふとん
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クライエントも同じ経験してる!わかってもらえる!ってのがけっこういる
どっちもどっち
おふとん
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おふとん
がしました
なんで大卒カード切って銀行員になってしまったんだか…。
結婚で辞めたけど。
小さい子抱えて今無職なんだけど働きたい…。なんで、大学になんて行ったんだろう。すぐに社会復帰できそうな免許が取れる専門学校等に行けばよかった…。看護士とか保育士とかカウンセラーとか歯科技工士とか。
おふとん
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他人を助けられるはずないから
おふとん
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おふとん
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自分がその症状に陥ったという、同じ経験をもつ人がいるという意味ではすごく心強いので、道を誤らないで欲しい
おふとん
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おふとん
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おふとん
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「AだからといってBに向いているとは限らない」。これを教えるのは良いことだよ。でも「AだからBに向いていると思うやつは出てってほしい」ってのは、ただ単にこの先生が人に物を教えられる人格者じゃないってことしか分からんよ。
心理学や精神医学はまだまだ発展途上。現在学のある人が講義で言ったことが、そのまま正しいと思い込んで、該当者を叩く。こういう人たちこそ、カウンセラーには向いていないんじゃないかな、この先生も含めて。
おふとん
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カウンセラー側に精神的余裕が無いと、社会的弱者を真摯に相手にするのは無理だと思う。
おふとん
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気を引き締めて学ぶように、っていう檄だったかもな
おふとん
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この先生の言い方が悪いわ
カウンセラーになろうと思ったきっかけとしてはありだと思う
利用者の立場として感銘を受けたことがその職業を目指すきっかけになった、というのはよくある話じゃね?
実際に、中学の同級生が火事に遭った親戚が救助隊にレスキューされたことをきっかけに、消防士になることを考えたって奴がいたわ(もちろんそれだけが理由では無いだろうけど)
それをいくらなんでも「出ていって欲しい」は無いだろ
圧迫面接の面接官みたいなことを言ってモチベを下げるなよ
おふとん
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おふとん
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自分自身がメンタル病んだ原因(=地雷)に近い事象で悩んでる人に当たった場合、触発されて再発しないとも限らない
ミイラ取りがミイラになると言うかさ、色々無理があると思うんだよね
ぶっちゃけ周囲に恵まれまくってお花畑の中生きてきた上でメンタル強い人でなきゃカウンセラーとか無理じゃないかな
おふとん
がしました
それでカウンセリングやれるまでは自信がないわ
おふとん
がしました
仕方がないから、自分で自分を治したくて心理学科入ったけど
勉強すればするほど傷持ちはカウンセラーに向いてないってしみじみ思う。
カウンセラーに向いている人は、親兄弟からきちんと愛情を貰って育った人。
おふとん
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つまり、様々なことに鈍感な人がいい
おふとん
がしました
なんか一般職より優しい成分でできてそうだから薄給でもいいやと思って
実際は医者やら退院支援やらソーシャルワーカーやら役所やら訪看やらと多職種カンファレンスせなあかんし、相当コミュニケーションとコネクションを要する
なんだかんだでだいぶ精神鍛えられ、結果的には自分の生い立ちとかもうどうでも良くなった
民間資格の事情は知らん
あれこそ営業力とコネだろ
おふとん
がしました
学校の先生は学校に良い思い出があるリア充が多い。
だから駄目なのだと思う。
イジメ相談室にしてもイジメ体験者とそうでない人じゃ身の入り方は違うんじゃないか。
見方を変えてみると、常人が精神科や心療内科のカウンセラーなんかになったら壊れるんじゃないか?
おふとん
がしました
そもそもカウンセラーという存在自体が実は間違いなんじゃないのか
誰も他人の心は救えないし、自分でさえも誰も理解できていないでしょ
じゃあなくせって言いたいのではないが、
これこそ生物界では異常なものなのかもしれない
おふとん
がしました
精神障害者を自称する精神科医の本を読みたまえ
てんで的外れな真実を書き散らしてるよ
頭ハッピーセットでスピリチュアルな
そんなに内面を見つめたいなら、まだ文学かお芝居でも見てた方がマシだな
劇的な「精神薬」が欲しいなら陽キャ集団の奴隷にでもなるがいい
強権独裁で引っ張ってくれるカミサマを求めてるんだろ?
おふとん
がしました
スタート地点はどうでもいいよ
そこに気がついてからどうするかだよ
問題は気がつかなかったり、ワザと目を逸らして向き合わなかったりして
綺麗事に逃げて自己陶酔してる民間のセミナー業者の連中だよ
おふとん
がしました
宮廷の院とか海外の有名医大でた知り合いたちが、鍼灸とかカイロの方向に行きだしたのみると
どんだけ行き詰まってんねんって
おふとん
がしました
こいつらがもっとまっとうに子供と向き合ってたら精神を病まなくて済んだ人間がどれだけいるか
おふとん
がしました
完全に自分の力でその手の悩みは解決できるものと思い込んで自分を特別な存在と思ってしまう危険
問題は学校教育でも就職試験でも、プライベートな会話ですら
「私には○○という経験がありました、だから私はその経験がないものより優れている。私には力がある」という作文が崇拝されてしまっていること
社会がそれを助長してしまっている
おふとん
がしました
結局は、他人の傷を利用して、自分の辛かった過去をクライエントに重ねて自分を癒してるだけ。
当事者同士のピアカウンセリングによくありがちな共依存の図式。
私のが辛い、いや、私も…って緩いマウント合戦で、気付いた時にはズブズブよ。
おふとん
がしました
「だからそういう人間に臨床心理を学んで欲しくない」→???
おふとん
がしました
しばらくはそれでやれても裏打ちがなくて行き詰まるからスピリチュアルとかに走るよね
おふとん
がしました
おふとん
がしました
全力で聞き流す
共感なんかしてないけどしてるふり
理解してないけどしてるふり
は、定型にはなかなか難しくて、つい、アドバイスできない自分を責めたりしがち
だから、ADHD向いてる説はなっとくした
スレタイは肯定
おふとん
がしました
ある程度距離をおいて考えれる人、他人は他人ってスタンスを崩さず仕事に臨める人、が向いてる気がする
おふとん
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患者を治せる人なら共依存だろうが自分がぶっ壊れようが患者は求める
逆に患者に飲まれず場持ちするが治せず共感もふりでしかなく話も理解せず解決策も示せないカウンセラーとは患者にとって有益なんだろうか?
正しい答えが分かりきっているが踏ん切りがつかないというきっかけさえあればカウンセラーさえ不必要な患者なら十分効果的だろうが、患者はそういった簡単な人ばかりではない
少なくとも自分が患者であればそのような無責任な人に治療に関わって欲しくはないだろう
権威があろうと立場や経歴が立派だろうとその人の治療能力を保証する訳ではない
ひとかどの詐欺師なら医師免許さえ持てば精神治療者にになれるのはそれこそ巷に溢れる藪医者とエセカウンセラーが証明してくれている
現在に当てはめてそれが正解ならば真実であるという考えはせいぜい人工物に適用するに留めておかないと危険だろう
人の心などいまだどこまで解明されたのかさえ本当はわかっていないのだし
おふとん
がしました
とかよりはいいと思うけどなw
おふとん
がしました
おふとん
がしました