慶應の北中淳子先生に書いていただいた記事が震えるほど面白いのでぜひ読んでほしいです。うつ病の位置づけが、人生を振り返るための実存的な病から、抗うつ剤で治療可能な「脳の疾患」に変化したことで何が起きたか。後半は予防医学が持つ意味にも言及。刺激的。https://t.co/vaT2mXPw0I
— 丸尾宗一郎 (@miduwo) 2019年6月29日
うつ病が「人生の苦悩」から「脳の疾患」に変化したことの意味
うつ病は、かつて自分の人生を振り返る機会を与えてくれる「実存的」な病でもあった。しかし、1990年代を境に、うつ病は薬で比較的容易に治療できる「脳の疾患」であるという認識が広まり始める。その変化は何をもたらしたのか。医療人類学者で慶應義塾大学教授の北中淳子氏が解説する。
生き方の歪としての鬱
・生き方の矛盾が蓄積し、自己と直面することを逃れられない病として、弁証法的(つまり、葛藤を経て自分のなかの矛盾を解消するような)病ともされてきた
・うつ病は長い間、自己との対峙への機会を与えてくれる、「実存的」な病として位置付けられてきた
(中略)
「実存」から「神経科学的自己」へ
・うつ病は単なるプライベートな感情の病ではなく、きわめてパブリックな社会病理でもある。
・このように個人の生きづらさのみならず、それを産み出した労働環境が問題視され、社会的救済への道が開かれたことの意味は大きい。
「神経化学的自己」が発症する鬱
・うつ病とは自己の生き方の問題というよりは、単なる脳神経化学的変調に過ぎず、薬による回復が比較的容易な病として捉え直された
うつ病の「医療化」の光と影
・自分の「生きづらさ」はもしかすると「うつ病」ではないか、と感じ、クリニックを訪れる人たちの数も一気に増えた。
・うつをアイデンティティ化して、診断を求めてくるようになった
・たしかにそのことで、精神障害に対するスティグマから陰に隠れて苦しんでいた人たちが、堂々とその苦しみを語り、助けを求められるようになったことの効用は大きかった。
・急速なうつの「医療化」がもたらした弊害も大きかった。
・(DSM-III)を用いると、鬱の原因を問わないまま「うつ病」と診断することが可能になった
・すべて一括りに「うつ病」と診断され、環境調整もないまま、単に薬だけが処方されるケースも増加してしまった。
・本来うつ病とは(多くの精神疾患がそうであるように)、バイオロジーに加えて、その人の性格や生き方、置かれている環境や人間関係といったさまざまな要因が複雑に絡み合って生じる病であり、その回復はしばしば直線的経過を辿らない。
レジリエンスの欠如としての鬱
・ヒトゲノム研究により、私達は皆「症状が出る以前から“病気”」(ローズ 2014)である、という認識が生まれた
・病になる前にそのリスク要因を摘み取ってしまう先制医療や、そもそも病に罹らないように人びとを強靭に作り変えてしまおうとするレジリエンス医療への動きを加速化させている。
心を数値化する欲望
・うつ病を神経化学的な変調と捉えるバイオロジカルな見方は、鬱の徹底的な身体化と管理への動きをももたらした。
・現在私たちは心を数値化し、可視化しようとするさまざまなテクノロジーに囲まれて生活している。
・健康のみならず、人格までもが数値化される「計量化された自己(quantified selves)」の氾濫する時代が現実のものとなりつつある。
引用元はこちら
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終盤のフレーズがすごい。
「現在私たちは心を数値化し、可視化しようとするさまざまなテクノロジーに囲まれて生活している」
「医療行為と自己鍛錬の境界線が徐々に曖昧になっていることも懸念される」。
医療と自己鍛錬(たぶん投資とも言える)は接近してますよね。
「現在私たちは心を数値化し、可視化しようとするさまざまなテクノロジーに囲まれて生活している」
「医療行為と自己鍛錬の境界線が徐々に曖昧になっていることも懸念される」。
医療と自己鍛錬(たぶん投資とも言える)は接近してますよね。
今回の記事の元になってるのは日本評論社から出ている北中先生の『うつの医療人類学』。
めちゃくちゃ面白い本です。
近々電子化されるという噂もあります。
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北中先生のこの記事は、太田充胤さんに書いていただいた「エビデンスの幽霊」とも通じるところがあると思う。
数値化・計量化する自己とどう折り合っていくか。
数値化・計量化する自己とどう折り合っていくか。
栄養表示だらけ「サプリメント」みたいなコンビニ食の正体(太田 充胤) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)
数値化されたら生きにくい人の方が増えるだろうなぁ。
それが原因で遠回しな形でクビになったり採用されなかったりそれに準ずる事態が多発しそう。少なくとも人々全体の意識が変わらないと、科学技術の変化が人を苦しめる悪例になりそう。あと、投薬で簡単に治んねえよ。
それが原因で遠回しな形でクビになったり採用されなかったりそれに準ずる事態が多発しそう。少なくとも人々全体の意識が変わらないと、科学技術の変化が人を苦しめる悪例になりそう。あと、投薬で簡単に治んねえよ。
私も自分の(傍からみたら)うつ状態的なものを「これまでの生き方の矛盾が蓄積し、自己と直面することを逃れられない病」「弁証法的病」として捉えてて、それを周りからネガティブな脳の状態だとか病気だとか言われるのが悲しい
「神経科学的に見た健康」は確かに正しいしそれに基づいた治療を受けることで私たちは幸せになれるのかもしれないけど、社会一般にその価値軸?が浸透しすぎてる感じがする
友達やカウンセラーの先生にまでネガティブな状態を異常、悪として扱われて、気持ち的にやり場がなかった
友達やカウンセラーの先生にまでネガティブな状態を異常、悪として扱われて、気持ち的にやり場がなかった
発達障害でもこういう変化が起こってきている感じがする。
いつの間にか議論の中心が知的障害のある自閉症から知的障害のないもしくは軽い発達障害にすっかり移ってしまったことも含めて。
いつの間にか議論の中心が知的障害のある自閉症から知的障害のないもしくは軽い発達障害にすっかり移ってしまったことも含めて。
marxindo 本人にとってのある瞬間の自己そのものを、治療によって治すべき症状に還元してしまうというのは、幸せなことなのかどうかは難しいところですね。
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コメント一覧
コメント一覧 (27)
おふとん
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ストレスを減らすためには弁証法的な対処が必要になるんちゃうの
おふとん
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おふとん
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実存的病って初めて聞いたな
なんかちゃんとした定義あるもんなの?
おふとん
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そーやって作り上げた鬱病患者を使ってイロイロ試してみたコトあったケドネ、
鬱は病に対する防衛機能だったとゆーのが解ったわ。
鬱は病の成長過程でなく、
体を強制的に休ませるモンなんだよ(笑)(*´ω`*)
おふとん
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いい例が発達障害に多い感覚過敏やAPD
例えば1~10の音量が聞こえていても全員が1~10の音量の感覚て聴こえてるわけはなく人によって小さかったりうるさかったりするし、音は聞こえていても音が意味する情報を処理するする能力は人それぞれ
それを現在の医学では「聴力に問題無し」で済まされてしまう
それを聴力に問題を感じていない外野は「気にしすぎ」「話を聞いていない」「理解力が足りない」「甘え」と一蹴する
引いてはこういった数値化による周囲の理解の無さも手伝い鬱になったりするんだから皮肉だね
おふとん
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偉そうなわりに、そういう人の言葉って そこらのマンガや自己啓発本にのってるポジティブシンキングな言葉遊びとなにも変わらん、
不学の人が多い昔ならともかく、現代社会では学生でも言えるし、何度も目にしてるような内容を
「俺はわかったぞ、お前らはわからんだろう」とドヤ顔でいってるわけだから、
そういうのって別に人間としての進歩・成長とかではない、環境とか年齢とかの変化による脳の分泌物なんかの問題だろと社会が考えるようになるのは自然な流れだった……
おふとん
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そうか?俺は薬飲むと元気になるけど
貧血のやつに、鉄分サプリ飲ませたら良くなるのと同じで
脳内麻薬出す才能がないやつに、出やすくなる薬飲ませるそれだけの事よ
そもそも貧血にならない健康的な生活をしようとかはその次の段階な
おふとん
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診断できないし、患者の自己申告だけという原始時代みたいなもんじゃん
おふとん
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症候群だろ。
原因の特定もないままあれやこれやと手前勝手に定義作って全部をそこへ詰め込むな。
なにが実存的だよ。何が脳内分泌物だよ。
それらで説明のつかない物も沢山含まれていて統一的説明が付かないから患者も現場の医師も困ってんだろうに。
だからこそ症状からの推定でどうにかやりすごしてんだろうに。
おふとん
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おふとん
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薬飲んだら元気になるのは(目先は)いいと思うんだけど
だからと言って
うつ病になっちゃうような環境をそのままにする・環境にそのままいる
とかってのは違うだろうと思うんだよな
医療マターととらえることにしたからといって
実存や環境の問題ではなくなったと考える
頭の悪さが問題
おふとん
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おふとん
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鬱は単なる脳の疾患と言いつつ、生き方や周りの環境にも影響されるよって言ってるのはなんなの?
脳の疾患なら不調となってる部位やら細菌やらウィルスがあって、その部位を正常に戻すなり、細菌やウィルスを取り除くなりすればよいだけではなくて?
おふとん
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月2回ぐらいのペースでうつ病になるなら。
おふとん
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運動で怪我しないように体鍛えたりストレッチするのと一緒で。
おふとん
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文系批判に興味は全くないんだけど医療に限らず人文系の人が実証科学を語る時って本当にバランスが悪い
勿論分かってもないこと書くよりはずっと良いと思うけど
こういう文章をみて思うのは文弱かぶれの医者みたいな人たちなそれなりにマシなことやってるのかもしれないって事だね
おふとん
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おふとん
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そういう精神的なストレスが根本にあった場合、結果としての神経のビジー状態を解消しても同じ事繰り返すやん
職場だの家庭だのから受けるストレスであっても、そういう環境を選択継続する本人の精神的な嗜好が大元にあるんだからね
けど、ウイルスだの怪我だのならば話は全く異なるという訳ではない
1人での生活環境やライフスタイルこそダイレクトに精神的な嗜好で固定化される
そこから受ける物理的刺激や神経疲労に医者はどう介入する?
結局は本人の精神的な変化が無ければ無意味に終わる
疲労回復と自己破壊行動の改善は両輪だ
脳が抱え込める情報量は、身体異常も環境異常も思考回路の異常とも共有された総和
病の背後の構造を総合的に捉えないと、賽の河原の石積みか薬の量を増やすだけに終わる
おふとん
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かかったら薬で治療するだけでなく生活習慣を変えて原因をとおざける必要があるって
認められただけ
遺伝的素養や環境によって病気のなりやすさが違うから定量的判断が求められている
おふとん
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おふとん
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おふとん
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昔は「人生に悩んでる人」も「脳疾患の人」も両方鬱病扱いされて前者は自分探しでブラブラ出来るけど後者は蔵か病院に詰め込まれて一切存在しないことにされてたわけで
今は医療機関で数値化して客観的に判断することで後者の人を的確に救い、鬱病を自称して医療保険を逼迫させる前者を省いてるだけだろ?
企業側はどちらも企業にとって都合が悪いから排除しようとしてるだけ、それが問題なら国が法で鬱病患者と怠け者に雇用を与えるよう定めれば良いだけ
おふとん
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