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うつ病が「人生の苦悩」から「脳の疾患」に変化したことの意味

うつ病は、かつて自分の人生を振り返る機会を与えてくれる「実存的」な病でもあった。しかし、1990年代を境に、うつ病は薬で比較的容易に治療できる「脳の疾患」であるという認識が広まり始める。その変化は何をもたらしたのか。医療人類学者で慶應義塾大学教授の北中淳子氏が解説する。

生き方の歪としての鬱

・生き方の矛盾が蓄積し、自己と直面することを逃れられない病として、弁証法的(つまり、葛藤を経て自分のなかの矛盾を解消するような)病ともされてきた

・うつ病は長い間、自己との対峙への機会を与えてくれる、「実存的」な病として位置付けられてきた

(中略)

「実存」から「神経科学的自己」へ

・うつ病は単なるプライベートな感情の病ではなく、きわめてパブリックな社会病理でもある。

・このように個人の生きづらさのみならず、それを産み出した労働環境が問題視され、社会的救済への道が開かれたことの意味は大きい。

「神経化学的自己」が発症する鬱

・うつ病とは自己の生き方の問題というよりは、単なる脳神経化学的変調に過ぎず、薬による回復が比較的容易な病として捉え直された

うつ病の「医療化」の光と影

・自分の「生きづらさ」はもしかすると「うつ病」ではないか、と感じ、クリニックを訪れる人たちの数も一気に増えた。

・うつをアイデンティティ化して、診断を求めてくるようになった

・たしかにそのことで、精神障害に対するスティグマから陰に隠れて苦しんでいた人たちが、堂々とその苦しみを語り、助けを求められるようになったことの効用は大きかった。

・急速なうつの「医療化」がもたらした弊害も大きかった。

・(DSM-III)を用いると、鬱の原因を問わないまま「うつ病」と診断することが可能になった

・すべて一括りに「うつ病」と診断され、環境調整もないまま、単に薬だけが処方されるケースも増加してしまった。

・本来うつ病とは(多くの精神疾患がそうであるように)、バイオロジーに加えて、その人の性格や生き方、置かれている環境や人間関係といったさまざまな要因が複雑に絡み合って生じる病であり、その回復はしばしば直線的経過を辿らない。

レジリエンスの欠如としての鬱

・ヒトゲノム研究により、私達は皆「症状が出る以前から“病気”」(ローズ 2014)である、という認識が生まれた

・病になる前にそのリスク要因を摘み取ってしまう先制医療や、そもそも病に罹らないように人びとを強靭に作り変えてしまおうとするレジリエンス医療への動きを加速化させている。

心を数値化する欲望

・うつ病を神経化学的な変調と捉えるバイオロジカルな見方は、鬱の徹底的な身体化と管理への動きをももたらした。

・現在私たちは心を数値化し、可視化しようとするさまざまなテクノロジーに囲まれて生活している。

・健康のみならず、人格までもが数値化される「計量化された自己(quantified selves)」の氾濫する時代が現実のものとなりつつある。

引用元はこちら
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終盤のフレーズがすごい。

「現在私たちは心を数値化し、可視化しようとするさまざまなテクノロジーに囲まれて生活している」
「医療行為と自己鍛錬の境界線が徐々に曖昧になっていることも懸念される」。


医療と自己鍛錬(たぶん投資とも言える)は接近してますよね。
今回の記事の元になってるのは日本評論社から出ている北中先生の『うつの医療人類学』。
めちゃくちゃ面白い本です。
近々電子化されるという噂もあります。
うつの医療人類学
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北中 淳子
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北中先生のこの記事は、太田充胤さんに書いていただいた「エビデンスの幽霊」とも通じるところがあると思う。
数値化・計量化する自己とどう折り合っていくか。
栄養表示だらけ「サプリメント」みたいなコンビニ食の正体(太田 充胤) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)
10年以上前、独力でしのいだ個人としては読みたくなかったけど、今の人にはすぐさま読んでほしいかな。
"心を数値化する欲望"という小見出しに心臓が跳ね上がった。
「うつ病を神経化学的な変調と捉えるバイオロジカルな見方は、鬱の徹底的な身体化と管理への動きをももたらした。」
数値化されたら生きにくい人の方が増えるだろうなぁ。
それが原因で遠回しな形でクビになったり採用されなかったりそれに準ずる事態が多発しそう。少なくとも人々全体の意識が変わらないと、科学技術の変化が人を苦しめる悪例になりそう。あと、投薬で簡単に治んねえよ。
私も自分の(傍からみたら)うつ状態的なものを「これまでの生き方の矛盾が蓄積し、自己と直面することを逃れられない病」「弁証法的病」として捉えてて、それを周りからネガティブな脳の状態だとか病気だとか言われるのが悲しい
「神経科学的に見た健康」は確かに正しいしそれに基づいた治療を受けることで私たちは幸せになれるのかもしれないけど、社会一般にその価値軸?が浸透しすぎてる感じがする
友達やカウンセラーの先生にまでネガティブな状態を異常、悪として扱われて、気持ち的にやり場がなかった
この反動がトラウマインフォームドケアとかオープンダイアローグとかだと思わなくもない
発達障害でもこういう変化が起こってきている感じがする。
いつの間にか議論の中心が知的障害のある自閉症から知的障害のないもしくは軽い発達障害にすっかり移ってしまったことも含めて。
sora_papa 文中に発達障害、精神障害、認知症でライフコース全体が医療化される、との記述がありました。
marxindo 本人にとってのある瞬間の自己そのものを、治療によって治すべき症状に還元してしまうというのは、幸せなことなのかどうかは難しいところですね。
うつ病の位置付けの変遷、すごく面白かった。
心というものを社会がどうとらえるか。この方の本も読んでみたくなりました
一患者として面白く読んだ。本記事はダイジェストなので、これは元の著書を読まないといけないな。
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