ひきこもりで自殺した兄をもっているので、社会的サポートがいかに難しいか実感している。

成人のひきこもりの方は自分の意思がはっきりしており「支援」を断わる。
友人として伴走する人が必要と痛感。

求めているのは支援ではなく繋がり。

理解し励まし否定せず受け入れてくれる友が必要。
うつ病からひきこもりになった友人の精神面が不安定になったとき、
遠方に住んでいたため地域の福祉課に電話をし、
民生委員や県の福祉課にも「孤独死の可能性あり」と伝え続けたが、
本人の激しい拒絶にあいコンタクト取れず。
「福祉課に電話するな」というメールが来たが、
真冬に電気が止められていると言うので「凍死する怖れあり」と再度連絡した。

職員が動いてくれたが本人は強い拒絶。

出張先の郡山の駅で福祉課職員から「申し訳ありません」と訃報を受けとった。
十年、やりとりしてきた。残念だった。
ひきこもりは、私の人生のテーマ。
助ける、支援する、という気持ちではどうにもならないことのほうが多かった。

相手が求めているのは「繋がり」だと痛感。

私は相手にとってどういう人間かを問うようになった。

友でいること。
支援者である必要はない。

相手を大切に愛おしく感じているか。
成人のひきこもりに対して、いまの福祉行政はお手上げだと思う。
本人が拒絶したらどうしようもないし、もしそれでも相手を拘束できるとしたら逆に人権侵害の危険がある。
「福祉」の内容が問われる大切な課題。
人とのつながりと対話……それが最大の有効策だと思っています。
引用元
必要なのは支援ではなく繋がりか...
求めているのは支援ではなく繋がり。
その通りだと思う。
全くその通り。

支援者ー被支援者っていう縦の関係じゃなくて、横の関係ができるような仕組み

例えば自助グループとかネット上のコミュニティとか、そういう場での出会いがきっかけになって何か変わってくるかも、と思う。

引きこもり支援=就労支援みたいになってるのがすごく違和感を感じる🐕
 私も成人してから引きこもっていた事が有りますが、「病院に行こう」と言っていた友人の誘いをことごとく断っていたそうです。(私にはその記憶はないのですが...)
本当にこれ。関わりを拒まれると打つ手が無くなる。
友達にだって友達を選ぶ権利くらいあるから難しい。
友達でいるのは義務じゃないから、互いに思い合えないと友達ではいられない
一方的に受け入れ、助けること、それは支援と呼ぶ
周りの人達も自分の生活で一杯だろう。

家族であっても一方の支援だけを継続するのは難しい。(介護うつとか)ましてや友人なら尚更。
友人関係は互いに交流するメリットがあって成立する。負んぶに抱っこじゃ破綻しかねない。

だからこそ公的な機関の支援がもっと行き届けば良いのだが…。
友か…友になるためには、公の肩書きは捨てないと無理だな。
支援者、対象者の関係から友にはなれない。
そこまでの覚悟は今の私には無理だ。
しがない支援者として実践を積むしかないか…
どうやったら友が見つかるのか
一歩家から出ないことには何も見つからない現実。悩ましい。
そういう人と友人になって理解し励まし否定せず受け入れたいと思う人はほぼいないだろうから、引き篭もりになる前にどんな人間関係を作ってたかだろう。

引き篭もりと友人になるのは厳しいけど、友人が引き篭もりになったら助けようと思う場合はあるだろうから。
妹も支援や職業回復センターに通うのを渋ってた。繋がりをどんどん自ら減らして最後は自死した。

繋がりたい気持ちと人と社会と再びどう接したら良いのか?分からない状態だったな。
「伴走者」大事よね。
どんな人にも。
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この問題は言いたいことがありすぎて、困ったな。
本当にそうだと思う反面、処方箋として提示するのは難しい