日本のコミュニケーションは「ハイコンテクスト型」

察しろよvs言わなわからん。


https://www.alc.co.jp/business/article/gmkouza/002.html
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文化や民族的な背景もあるから一概に良悪はつけたくないけど、これをベースに各国のコミュニケーションを見てみると、なんとなく意図や特性が捉えやすくなるのかなと。
ちなみにぼくは低スペなので察しもしないし言ってもわからん。
地球じゃ生きていけないかな?🤔
なるほど、可視化すると面白い。
言わなわからん派には辛いよな
圧倒的「察しろよ」タイプな日本に住みながら圧倒的「言わなわからん」タイプな僕としては、もう少し「察しろよ」という風潮が和らいでくれると嬉しい

申し訳ない話だが分からないんだもん
同じバックグラウンドを持ち、世界観が一緒である前提でコミニュケーションを取る日本人社会
ハイコンテクスト文化

一方スイス系のドイツ人🇩🇪に代表されるローコンテクスト文化は
バックグラウンドが違い、世界観が違う前提でコミニュケーションを取る社会

コミニュケーション力で勝てる訳が無い
本当にこれなので米系外資からドメに転職するとカルチャーショック受けるし辛い。
もう慣れたけど。
そして慣れた上で改めて仕事のコミュニケーションはローコンテキストが望ましいと思っている。
日本でも地方と都会でさらに差がある気しますね
京都は右端欄外とかですかね…
表面的なテキストを真に受けず行間を読めが日本語の素晴らしさ
ベトナムにも空気読めよ文化ありましたが、日本よりは言わなきゃわからん傾向ありますね
多民族国家だとローコンテクスト型になりやすいんですよね、共有するコンテクストが無いので…
イギリスが右のほうにいるのが面白いんだよな
イギリスの高コンテキストは日本と少し意味が違って、Tシャツやジーンズだと入れない店がある(ふさわしくない人間というアピールだから)って意味だと聞いてる。逆に、日本は服装や立ち振る舞いには極めて緩く、言外の意味を察することを強く求めるとか。
言わなわからん派です。
察しろよ国ではちょっと生きにくいのかもね。
なんで日本語でのコミュニケーションってこんなハイコンテクストになってるんだろう。
やろうと思えば日本語でもローコンテクストにできるのか、それとも文法の特性上どうしてもハイコンテクストになってしまうのか...?

「日本=ハイコンテクスト論」根拠がなかった…

この「ローコンテクスト型文化 vs ハイコンテクスト型文化」論からの
「日本のコミュニケーションはハイコンテクストで云々」という日本文化論、

元になってるE. ホールの議論が
【実証的根拠がゼロな主張で、多数の研究で反証されてる】
って話、あと何回すれば良いですかね?
なんか,定期的に流れてくるような気がするな.
日本がハイコンテクスト文化ってのは,単なる印象・神話って寺沢さんが分かりやすく語っているので,こちらのページを参照.

しっかし,同僚も毎年これを授業で主張しているらしく,反駁すると学生の間でどよめきが起こるのよね
「日本文化」論を疑う

(中略)
奇妙な事に英語教育学者はあまり言及しないが、日本文化論の怪しさは人文社会科学ではよく知られている。というのも、80年代以降、日本人論を根本的に批判する文献の出版が相次いだからだ。その批判の要点は以下の通り。

日本人に共通の性質があるなどという話に実証的根拠はない

同質性の過度の強調は、本来対立している人々に「協調」を強いるイデオロギーである

日本民族は他民族には見られないユニークな特徴を持つという考え方は、ナショナリズムの歪んだ形の表出である

日本列島に居住するのはヤマト民族だけではないし、ヤマト民族自体が人種的に見ても北方系、南方系、渡来人など多様である


(中略)

「ハイコンテクスト文化」論を疑う

また、「日本人はハイコンテクストなコミュニケーションを好む」という議論もたいへん根強い。
ルーツは、文化人類学者エドワード・ホールの「ハイコンテクスト対ローコンテクスト」という文化類型である。彼の説明によれば、ハイコンテクスト文化は言語以外の情報(例、視覚情報、場の空気)を重視して対話をし、一方、ローコンテクスト文化はその逆になる(つまり、言語情報の重視)。ホールによれば、日本文化はハイコンテクストの典型らしい。いわゆる「察しの文化」「腹芸」である。

たしかに、英語教育の概論書にも日本を世界の中で最もハイコンテクストだとする記述が多い。各国の文化をハイからローにずらっと並べ、一番上に日本を置いた図を見たことがある人も多いだろう。

しかし、実はこの議論もなかなか怪しい。ホールのオリジナルの議論、たとえばThe Silent LanguageやBeyond Cultureなどを読めばわかるが、彼は何ら実証的根拠を示していないのだ。そもそも上記の書籍はエッセイであって研究書ではない。そのため、この文化類型論も「ふんわり」と述べられたものであって、精緻な調査の結果などではない。

https://news.yahoo.co.jp/byline/terasawatakunori/20161112-00064374
検索してみたけれど,横浜国立大,千葉大,福岡大,大妻女子大でハイコンテクスト,ローコンテクストを授業で教えているみたい.
コミュニケーション学や英語の授業で扱っているという観測とも合致するので,珍しいことではないのか.

学生のみんなー,主張にはデータと理論の裏付けが大事だよー.
これは反省したい。
信じてましたが。ハイコンテクスト文化。
橘玲「(日本人)」を途中まで読んでるけど、
ハイコンテクスト文化の国は日本だけじゃないそうだ。
いわゆる日本人論は西洋の古いオリエンタリズムの逆輸入で「いかに日本が先進欧米と違い劣っているか」に特化した論なので、「違うこと」が大事であり正しく日本人を評価しているとは言えないとか。
考えてみればつい一昔前まで「藩が違えば他国人」が当り前でしたからのう。
どんな民族だろが文化だろが言語だろが、言わんでもわかる同士はハイコンでいいし、言わなきゃわからん同士はローコンになるってだけなんだろな。
しかし異文化コミュニケーション論の教科書には普通に載ってるという。あの分野、ステレオタイプの再生産にめっちゃ貢献してるんじゃなかろうか…。
日本人全員が共通して持つ特性とやらがあるなんて知り合い2、3人の顔を思い浮かべたら丸っきり嘘だってわかるのに、日本文化論が英語の授業で頻繁に取り上げられてて「これが多様性を意識した教育かぁ~」と思った
何気なくそう言うものだと思っていることが、実は大して実証的な研究もなく信じられていると言う事例は実は多いのではないか。
疑い得るけど、否定できるだけの根拠も示されていないのでは?
昔は地動説が正しいと思われていたように、
ある物事をモデル化したとき、それが正しいか間違っているかは容易には判定できないと思ったりします。

ハイコンテクスト文化という分類がモデル化において間違っているのかを考えさせられる。
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