
思うに、大多数の日本人は「不和」に免疫がない。
口論や争いを見ると、その光景自体を嫌悪し、正しさの所在は知ろうともしない。
AがBを殴ったのでも、Bが応戦した時点で、どっちも悪い、見苦しいと非難する。
事なかれ主義が染み付いている。
不正な秩序の存続にとって、これほど好都合な精神性はない。
口論や争いを見ると、その光景自体を嫌悪し、正しさの所在は知ろうともしない。
AがBを殴ったのでも、Bが応戦した時点で、どっちも悪い、見苦しいと非難する。
事なかれ主義が染み付いている。
不正な秩序の存続にとって、これほど好都合な精神性はない。
不和が嫌いなのか、不和が表面に出るのが嫌いなのか、どちらでしょうか?
対立・口論・喧嘩を中味を問わず嫌悪し、とにかく避けようとする傾向が強いのは、仲良しでいよう、「和」を保とうとする気持ちが強いからかでしょうか?
それとも、喧嘩もできぬ程、底辺の相互信頼感が不足しているのでしょうか?
対立・口論・喧嘩を中味を問わず嫌悪し、とにかく避けようとする傾向が強いのは、仲良しでいよう、「和」を保とうとする気持ちが強いからかでしょうか?
それとも、喧嘩もできぬ程、底辺の相互信頼感が不足しているのでしょうか?
スポンサーリンク
とかく意見が対立することを避けようとしますね。
それが正当なものであっても「怒り」の感情を表すことが良しとされない文化でもありますし。
それが正当なものであっても「怒り」の感情を表すことが良しとされない文化でもありますし。
すごい分かる。うちの会社、正にコレ。信頼関係がないのでしょう。マイナスな発言を嫌う。別に愚痴ってるわけではなく、解決策を考えていきたいから指摘してるのに話し合いにならず、それを避けるかのように前向きに考えようなどと言う。
喧嘩両成敗
すぐこれ言うよね。この例だと殴ったAは両成敗としてお咎めなし、殴られたBだけ周りの非難を受け、さらに両成敗裁定されるという二重三重の苦痛を受ける。どこが両成敗だ。
すぐこれ言うよね。この例だと殴ったAは両成敗としてお咎めなし、殴られたBだけ周りの非難を受け、さらに両成敗裁定されるという二重三重の苦痛を受ける。どこが両成敗だ。
これ何十年と生きてきて痛感します。
実体験のまんまです。日本では「どっちが道理にかなっているか」はどうでもいい。言葉にこそ出さないが、ぶっちゃけ正義とか倫理とかも本音はどうでもよいことが、収め方諭され方に如実に表れています。一見民主化・西欧化してますけど、その実は近代以前だった…
実体験のまんまです。日本では「どっちが道理にかなっているか」はどうでもいい。言葉にこそ出さないが、ぶっちゃけ正義とか倫理とかも本音はどうでもよいことが、収め方諭され方に如実に表れています。一見民主化・西欧化してますけど、その実は近代以前だった…
これほんとその通りで、問題を改善したい、その問題を放置すると後々大問題に発展すると考えるから言うのに、言われることそのものを不快に思い、こちらの改善提案を感情的に拒否されてしまうんだよね。子供の頃から「喧嘩両成敗」という言葉に苦しめられてきたけれど、大人になっても苦しめられてる。
同意します。不和を避けた結果、組織の意思決定に合理的、理性的な判断が伴わず、失敗へ突き進む。おまけに誰も責任を取らない。この国の伝統か。
buckpassers そうですね、日本はかつて、「いまさら事を荒立てるのも憚られる、仕方がない、仕方がない…」と、暗黙のうちに既成事実を呑み込み、一体誰が決めたのかさえ不明確なまま、ずるずると米英を向こうに回す戦争へとのめり込みました。この悪弊は政府に限らず、日本のあらゆる組織に観察できると思います。
同意。特に若い世代に顕著。
異論を発する相手とは仲良くなれないという思い込み(刷り込み?)があり、同調しない者へ「迷惑な異物」のレッテルを貼る。
だから反論が仕事であるはずの野党を食わず嫌いするのだろう。
異論を発する相手とは仲良くなれないという思い込み(刷り込み?)があり、同調しない者へ「迷惑な異物」のレッテルを貼る。
だから反論が仕事であるはずの野党を食わず嫌いするのだろう。
AがBを殴ったくらい分かりやすかったらいいのですが、大抵の議論は立ち位置によって正しさは変わってくる、ということはないでしょうか?
いや、「正しさ」の基準は一つに絶対化出来ないの裏返しかと‥
Aが平手で殴りBがバットで殴り返したら、それはBの方が過剰で「正しさ」判断は個別重層に判断されて行くと‥
すると判断の為には時間が必要、様々な観点や情報が必要で、(左派右派関わらず)一方的な正義に流れる事の方が危険かと‥
Aが平手で殴りBがバットで殴り返したら、それはBの方が過剰で「正しさ」判断は個別重層に判断されて行くと‥
すると判断の為には時間が必要、様々な観点や情報が必要で、(左派右派関わらず)一方的な正義に流れる事の方が危険かと‥
不和も嫌い、不和が表面化するのも嫌い。
後者の問いについては後者。
敵と争った後で建設的な関係にまとまることがほとんどなかったから。
ましてや信頼関係のない見ず知らずの相手との論争ではあり得ない。
自分でも正しい姿勢とは思えないけど、否定できない1つの意見です。
後者の問いについては後者。
敵と争った後で建設的な関係にまとまることがほとんどなかったから。
ましてや信頼関係のない見ず知らずの相手との論争ではあり得ない。
自分でも正しい姿勢とは思えないけど、否定できない1つの意見です。
それならまだかわいらしい方で、Aに殴られる理由があってBが殴ってもBが悪いというし、Aに理由がなくBが殴ったとしてもAのガタイが良ければAは黙って耐え忍べというのが日本人ですよ。
「滅私奉公」に繋がっていくけど、日本人はWバインド(二重洗脳)で「怒りの抑圧」が行われていると思う
「和を以て尊しと為す」(論語・聖徳太子の憲法)と/仏教「心の三毒=貪(貪欲)・瞋(怒り)・癡(痴愚)」の両方から
西洋人は実に気軽に怒りを発するし本音の一部。時に生活上必要な技巧ですらある。
「和を以て尊しと為す」(論語・聖徳太子の憲法)と/仏教「心の三毒=貪(貪欲)・瞋(怒り)・癡(痴愚)」の両方から
西洋人は実に気軽に怒りを発するし本音の一部。時に生活上必要な技巧ですらある。
同感です
思うにコレは「どうしようもない天災の類いに対する対処の方法」が下敷になっていると感じます
地震雷火事親父、鴨川の水に賽の目にお上の御政道、文句を言っても始まらないというあきらめの思考
民主主義との相性は最悪です
思うにコレは「どうしようもない天災の類いに対する対処の方法」が下敷になっていると感じます
地震雷火事親父、鴨川の水に賽の目にお上の御政道、文句を言っても始まらないというあきらめの思考
民主主義との相性は最悪です
川島武宜先生の名著「日本人の法意識」(岩波新書)にも似たようなことが書いてありました。日本人は権利意識が薄く、また、法は本来の規範性よりも融通性が重視されるのだと。だから権利侵害や法違反は棚の上に置かれ、直感的な争いを表面化させないことで物事が解決されたと考えてしまうのでしょう。
日本人が不和を忌避する原因、不和が発生しようともAかBか決めて発展しなきゃ他民族に征服され奴隷に堕ちる大陸文化と、そうでないので最大の問題が不和を起こさないことだった島国文化の違いから来てるので、問題なんだけどひたすら根深い。数千年かけて作った気質だもの。
日常で不和を避けようとしますが、ネットではけっこう好戦的に陣営対立してますよね…。あと実生活では不正に興味なくても、ネットで正義マンと化して悪を糾弾したりしてます…。両方の天秤で、ちゃんと釣り合いが取れてるんですかね…。
引用元
日本人の大半が極度に「不和」嫌いである事は確かだが、これは別にDNAではない(←日本人の両親から生まれた子供を余所で育てればすぐ分かる事)。歴史的に形成された文化的与件であり、これまた日本人の特徴といわれる協調性の高さの裏面に違いない。「協調性/事勿れ主義」を極端にしてはいけない。 https://t.co/G2tLNyv0Xm
— 堀 茂樹 (@hori_shigeki) 2019年5月2日
スポンサーリンク
\他サイト様最新記事/
\おすすめ/

以下のコメントは削除対象となります
・障害/人種/特定の属性に対する悪意ある中傷/差別的発言
・特定の性別に対する悪意ある中傷/差別的発言
・記事内>>1に対する著しい中傷/差別的発言
・記事内容に目を通さず曲解した見解を述べ著しくサイト内の治安を悪化させる行為
・記事内容と無関係に特定の思想/イデオロギーを複数回に渡り書き込み著しくサイト内の治安を悪化させる行為
・上記に該当しない個性的な書き込みに対する著しい中傷/嫌悪の表明
暫く上記ルールで運用します(適宜改訂の可能性あり)
悪質な場合は予告なしで規制の対象とさせて頂きます
ルールを守ってお使いくださいませ
コメント一覧
コメント一覧 (81)
江戸落語もそうだし、上方のどつき漫才はケンカの素養なくしては面白さが出ないもの。
おそらく「両成敗」はケンカそのものを花火や火事のようなイベントとして楽しんでたところに由来するんじゃないか?
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
アフォな民族だから
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
②負けたら「なんで勝てなかったのwwww
w普通にやれば勝てるでしょwwwww」みたいな話になるので文化の論理上敗者を作れない
ってのを今考えた
おふとん
が
しました
で、それはナァナァで済ませてもさして問題がない。
しかし、そこに思想的な背景があるなら話は別で、思想Aと思想Bの対立から起きた不和は本来ナァナァで済まないんだ。でも済ませちゃうのが日本人。
なぜなら我々は思想がないから。
厳密に言うと、中には思想や哲学がある人もいるけど、そう言う人も世間に介入されると思想を持ってないことにされる。
この国では不和とか対立というのはカッとなるみたいな低レベルの諍いとして処理されるんだ。
ちなみに、思想がないとはどういうことかというと、コンビニや本屋の棚に並んでる本をみてみればよくわかる。
漫画以外だとやばい心理学!とか丸わかり簡単哲学!とか多いだろ?
思想というのは答えに至るまでの思考の中に宿るのに、日本人には答えを暗記させたり、面白おかしく取り扱ってるような本がウケる。
思想なんか無いんだ。だから議論も発生しないから、「有意義な不和」など存在しないものとされる。だから、「不和とは猫の喧嘩みたいなものしかないと思われてるから適当に事を荒立てずに処理するに限る」ってなるんじゃね?
おふとん
が
しました
でもやり方がまずいと悪者扱いや腫れ物扱いされ結局誰も聞いてくれなくなるので慎重にやる
理性と感情、協調性と主体性、慣習と改善
全ての絶妙なバランスを感じながらやる
おふとん
が
しました
和を強調する余り個を完全に捨て去る神道的価値観が完全に邪魔してる。
儒教や仏教はまだここまで個を捨てることはない。日本には神道で潰された本来の文化がどれ程あるのか。
良く右派の人が韓国や中国を笑うけれど、それはもしかすると、日本人の一種の絶望から来てるかもしれない。
おふとん
が
しました
失礼だと思うなら黙ってて下さい……
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
いや、まず”反論”にすらなっていないんですが。
特にマスコミ向けの時はパフォーマンスで反対してるフリしてるだけで、建設的な議論をしようとする姿勢さえ見せないんで嫌われて当然かと。
その証拠にちゃんと議論して反論して修正しようとしている維新には一定の評価ありますよ?
おふとん
が
しました
慣れているとか慣れていないとか関係ないし、ただ頭が悪いだけだしさ
おふとん
が
しました
争う前の時点でどちらかもしくは両方が分かり合う気が無いんだから争い始めた時点でもうどうにもならん
そもそも分かり合うことが目的でないなら争いを続ける事自体無駄であるし
違う考えの人間なんてこの世に身近に大量にいるんだからいちいち一人ずつ洗脳なんかせずに割り切るしかない
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
【悲報】鎌倉時代、なろう主人公すら生き残れないhttp://nanjhistory.2chblog.jp/archives/16207755.html
おふとん
が
しました
対立して負の感情を爆発させる奴は社会不適合者のレッテルを貼られるから
おふとん
が
しました
そもそも関係ない第三者にとっては介入する理由がないし
どっちが悪いなんて経緯も知らないし知る義務もないし
見苦しいのは当たり前だと思うんだけどw
なんで他人を揉め事に巻き込もうとしてるんだろう
おふとん
が
しました
ある時 上司にたて突いてその日に直ぐにカットされて
その日の晩に自殺未遂してた
免疫なさ過ぎ
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
意見がぶつかりあってでも問題を解決しようっていう民主主義の下地がない、喧嘩と区別がついていない。昔はもっと争議があったし、海外じゃ今もやってるなんて聞くたびに昔より劣化してるんじゃないかさえと思う
これで投票率を上げようって?無理だなw
おふとん
が
しました
↑加害
B(朝鮮人)
C(朝鮮人)「うーん両成敗!w」
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
弱くて勝てないから戦うのをあきらめている人。
いつも困難から逃げ回り家族や自分の大切なものが攻撃されてもただ見てる。
反撃されないよう予防線を張っている人。
自身は攻撃的だがそれをひた隠しにしていて容易に他人を信用しない。
どちらも守りたいのは自分自身だけ。
争うことにより消耗したり隙ができるのを極端におびえている。
おふとん
が
しました
これまで正当防衛が認められにくい理由は「国民と裁判所との感性の乖離にあるのだ」と思っていた。
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
不和が嫌いというより、自分の意見を発表するスキルが低いのでは?
おふとん
が
しました
そりゃ対立すること自体を避けるようになるよ。
おふとん
が
しました
ただの自己保身クズなだけじゃないかね
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
叱ると怒る、議論と口論の区別(感情的か否か)を出来ない人が圧倒的に多数
子を産む側も、義務教育する側も争う個性なんて求めてないの二点が分からんとか草
本当は自身の心のままに発言してお互いに理解する(聞いて理解する努力はする)、
あなたの意見はそうなのね、でも私はと意見を言うのが望ましいがな
おふとん
が
しました
バカをみるから
おふとん
が
しました
最強格レベルなことが多いけど、残念ながらそれは日本では評価されないスキルなのよね
おふとん
が
しました
そこに自分の中で正当性を生み出すのでさも正しいかのように聞こえるが実のところ「うざい」を取り除きたいだけだから
おふとん
が
しました
日本文化が民主主義に向いていない、というのはそうだと思う
でなきゃ「選挙に行こう」的な運動をしなくても勝手に自分の権利を行使しに行くはず
有能な善人に独裁されるのが理想だけど、そう上手く行くはずもないので大統領制あたりに落ちつけば…ダメかな
おふとん
が
しました
生徒会や部活動に熱心で先生にも好印象の優等生だが、札付きの不良や積極奇異とも気さくに喋れる子だった。
この優等生と何人かの不良、積極奇異は持ちつ持たれつの関係であり、優等生が個人的に気に入らない子を不良がいじめてくれていたり、会議の流れを変えたいときに積極奇異にスピーカー役を任せたりしていた。
賢いと評判で幼少のころから神童扱い、ぶっちぎりのトップカーストだったが、中学に入るとこの子にも利己的であざとい部分があることを周囲が気付き始めた。
しかしあえてそれを指摘される機会もなくそのまま中学を卒業した。
高校以降はいたって平凡な学生になり、交友関係が落ち着いたとともに誰かをいじめているという評判も聞かなくなった。
おふとん
が
しました
またその親父と揉めたくなくて娘の情報売った教育委員会とかね。
波風立てたくなくて前任者の意向に従っていた児相の職員とかね。
おふとん
が
しました
環境に適応することを目標に置く我々からすれば議論なんて一利もないことをしてる場合ではない。
これは、サバイバルというステージをクリアした余裕のある人々がトライすべき事柄だよ。
おふとん
が
しました
刑事でも暴行などでは加害・被害が同等で軽微なら厳重注意等で終わる事もある。
双方、傷害で告訴して、お互いに取り下げもある。
おふとん
が
しました
思考形態というか価値観が今に至るまでずっと沁みついるってことだろ
日本人だけがそうなのか外国でもそういうものなのかは知らんけど
おふとん
が
しました
若者とくくられる年齢だがこれは違うと断言するw
反論とは言えない、ただの言い掛かりレベルの文句にうんざりしてるの
目的(与党に反対すること)のために言い訳を探しているのが見え見え
野党の仕事は与党の一挙手一投足に反対することなんですか?
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました