今日、娘が学校からもらってきたプリント。
これっていじめなの?
個別対応はそれは正しい対応なのはわかるけど。
じゃあ、我感せずで無視するのが正解な訳?
なんか釈然としない。

ごめんなさい。
伝えたい内容より、例題にこだわってしまうわ。
D330AToU8AAV8do
スポンサーリンク


なんだこれは、大丈夫かこの学校?
泣いてる子がいて、誰かが「大丈夫?」と声をかけたら、自力で立ち直るチャンスを壊したから【いじめ問題】とか言いそうやな。
「教えてくれなくていい、自力で解きたい!とはっきり主張してたにもかかわらず」とかの設定がないと、さすがにそれを「いじめ」とはしないでしょう。
いじめではないです。A子は「自力で向きあいたいから助太刀は不要」と伝えること、B男は善意で動くときは相手が望んでいるか否かを確認を取ることを知っていけばいいと思います
本人(B男くん)が善意で行った行動も被害者(B子さん)には悪意になった。そうゆう小さいな行き違いがいじめに発展する事もありますよって話だろうけど・・・

対応例をもうすこし考えるべきだよねぇ~
例題にセンスが無さすぎですよね。
あと個別対応もなんだか腫れ物に触るみたいな感じで変なかんじw
なんというか、これも余計なお世話ではあるけど「いじめ」というものを全くわかっていない人が表面的に作ったからトンチンカンな「いじめの例」になっているように感じます。
いじめってもっと執拗であったり悪意がある(やめるように言っても続ける等)だと思いますからこの例文だけだと不足かと。
いじめの定義って一対多数じゃなかったっけ?

これ泣いてしまった子が教えた子に事実を言えば双方納得で終わるやろ

先生が介入したら逆にややこしくなるだけだと思うぞ
たしかに個別対応はともかく、例が悪すぎますね…

自分もいじめを経験したことがありますが、正直こんなシチュエーションよりもっと重要視する例なんか山ほどあるような…

そもそもこれは1対1であってましてや親切から、いじめがやばいのは1対集団になってからがやばいですから…そこを書いて欲しい
え、これ今まで逆にやれって言われてきてたよね??
終わった人周りの人に教えてあげてーみたいな感じで

やばくね?
これがイジメになるんやったらもう他人と関わられへんなるやん(^^;)

ってかこれがイジメになるなら、世話焼きな娘がイジメの主犯格にされそうで怖いわ。
幼稚園では頼りになるお姉さんキャラで友達いっぱいおって安心してたけど、小学校はそうもいかんのかなぁ( ꒪Д꒪)
このケースを見ていじめを見抜けない奴は本当に小学校に通ってたのか疑わしい

どういう過程でこうなったか知らないのにただ結果だけ見て
『先生〜B男くんがA子さんを泣かせてま〜す!』
ってクソみたいな正義感(笑)を振りかざしてB男をいじめるC美が確実に存在しているのは火を見るより明らか
小学生の時頭いい男の子が先生に教えてもらってて泣いてたのを思い出した。
私なら教えてもらったーわーい!って感じだけどその子は多分自力で解きたかった、もう少しで解けそうだったんだろうな。そういう子は伸びるんだろうなぁ…しかしいじめになるもんなのかな…
A子が悔しくて泣いたのは、B男が答えを教えたからではないのです。
自分の無力さに泣いたのです。
子供はそうやって成長するのです。
分からない人に教えてあげることがイジメなんだったら、学校教育自体いじめだね
「いじめ」とされます、ってふしぎな表現だなぁ。

「双方への対応の必要がある案件」だよね、
そしてそれを教委は「いじめ」と呼ぶ必要があるのね、って。
それは翻せば「『いじめ』という言葉によるカテゴライズがなされないなら教員として指導の案件として取り上げなくていい」ってことでもあるのかなぁ。なんか色々と不思議。
私はこの例は

「教えてあげる型いじめの例の可視化の必要性に気がついたのね!」

って受け取った。
できない子に教えてあげるのがなんで悪いの?っての、教えてあげるのがお仕事の先生には見えない人もいるから。
支援級の子が通級って普通級に通うと「おしえてあげてるんでーす!」って言いつつ、圧倒的なからかいっての、見たことあるもんな。
だけど、先生によってはそれがいじめとは思わない。
親切を受け取れない障害ですか?言われたことも、あるもんねー。ってか、自分がやってっから、それ。
「おしえてあげてるんでーす」が、苦痛になり加害になりいじめであることもある、っての、一番分かって欲しい先生ほど、分かってくれないからな。

「これも、いじめです」って可視化してくれたのは、いいこともあるんじゃね?って半分は思う。
もう半分は「分かって欲しい人ほど、誤解する!」だな。
いじめの認定に故意は必要か、というあたりが論点になるのかな。
過失によるいじめを認めるどうか。

いじめと罰を対応させないなら、故意の有無を問わないという考え方はあるのかもしれないけどな。
"罪を犯す意思がない行為は、罰しない" というのは、当たり前だけど大事な原則なのだと思うな。ただ罪を犯す意思があったとしてもいじめを罰して物事がよい方向に向かうのか、そこも疑問に思うところではあるな。あくまで一般論ということになってしまうけど。
こういう事例によって、教えてあげた子が「教えることは悪いこと」みたいにトラウマっぽくなったら可哀想。
席を譲られたくない高齢者と譲ろうとする人、双方の気持ちに近いかも。
座らないのは自尊心だけじゃなく、膝の曲げ伸ばしが苦痛で立っていた方が楽な場合もあるから。

先ずは「May I help you?」でしょう。

やがて無視ではなく、あえてスルーする選択もあることも学べますね。そんな方は席を見ないし。
例が下手すぎw

それなら率直に「自分が良かれとやった善意も相手には悪意にとられてしまう場合もある」って言った方がまだ分かりやすそう

それに、そう言う加減って学校生活で習うのが普通だと思う
それを手助けするのも教師の役目だし、学校は勉学だけじゃなくて人間関係を習う場所でもあるよね
引用元
スポンサーリンク
\他サイト様最新記事/
\新刊ランキング/