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「神は乗り越えられる試練しか与えない」

という有名フレーズはかなり誤解されています。

ここでいう「試練」とは「誘惑」のことを指しています。

大切な人との死別など、世の中には越えられない「試練(本来の意味)」はあります。

だからこそ神様が必要なんです。

みなさん、どうか背負いすぎないで下さい
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本当に誤解してる人が多いので、これ話してくれてうれしいです。
英語だとテンプテーションでギリシャ語もそっちが近いですものね
そうだよな、temptationは誘惑だもんな…
「コリント人への第一の手紙」の第10章13節

No temptation has seized you except what is common to man.
And God is faithful; he will not let you be tempted beyond what you can bear.
But when you are tempted, he will also provide a way out so that you can stand up under it.
言葉のニュアンスって説明難しいですけど、

"He will not let you be tempted beyond what you can bear"
のtemptは「誘惑する」「唆す」の意味です。


聖書のわかりやすい例で言えば、蛇がイヴを唆したのがtempt。
どこまでも神を信じられるか?という、いわゆる信仰のテストってことかしら?
確か「信仰を妨げるもの」という意味でしたっけ。
だから「神の愛」とセットなんだよなあ、と思った記憶が。
誘惑は拒否するという選択肢があるから乗り越えることができるということですかね?
生老病死のような試練を乗り越えることができるとは言ってないわけですね。
そうなんだ!
聞くたびにもやもやしていた言葉なので少しほっとした
ずっと大嫌いなフレーズでした。勘違いで良かった
おなじくです

こんなこと言う人は本当のつらさやしんどさを知らないんだと思い、憎かったです

本当の意味を知れて良かったです
「あり得ないくらい辛いことも乗り越えろ」という意味ではないのね
すっきり納得。
震災でなくなった人なんか試練すら与えられない存在かと思ってた。
越えられない試練はあるし、越えられないことが必ずしも悪いこととは限らないだろう
「お客様じゃ神様です」とか本当に神様って誤解されやすい。
お客様は神様ですってアレも客の言い
なりになれって意味ではなくて神様の
前で芸を披露するぐらいの神妙なメンタルで臨めという意味だという逸話を
思い出しました🤔
つまりは「神は乗り越えられる誘惑しか与えない」ってことよな。
本来は、オナ禁してるのにオナニーしたくなったときとかダイエットしてるのに間食したくなったときに唱えるべきフレーズだったってことか。
「試練」とはご飯食べたあとに買うプリンの事だったのか…
「神は乗り越えられる試練しか与えない」⇒「乗り越えられない試練は神の与えた試練ではない」⇒「神の与えた試練じゃないから無理に乗り越えなくていい」って完全に斜め上の誤解してたよ……
ありがたい助言ですが、そう思わないと生きていけない。
私はクリスチャンではないし聖書も勉強してないから、正確な意味は知らなかった。
けど、自分が一番辛かった時期にこの言葉を知って、本当に日々心の支えだった。
この言葉のおかげでその時期を超えて生きてこられたと言っても過言ではない。
誤解でも、それはそれでいいんじゃないかと。
「乗り越えられない試練は与えない」の方が近い気はしますが他力本願も同じです。

自力で超えれないものに関してのみ、他力(阿弥陀仏)をすがろうという意味で、「甘ったれんな」と「背負い込みすぎるな」のダブルミーニングと解釈しています。
「乗り越えられない試練」のために「神」がいるのだとしたら、
耐えきれないようなストレスイベントを乗り越えるために「神」は生み出されたとも解釈できそう。
それなら心理学的には「神」も防衛機制の1つなんだろうなあ。
え…。
神がいようがいまいが「試練を越えられない現実」にはなんの寄与もないのでは?

現実に何一つ寄与しない神が何で必要なんだろう…。(´・ω・`)?

論理の飛躍にしか見えないんだが。
では、愛してくれるはずの両親に、心も身体もボロボロにされ、たった1人で亡くなった10歳の少女に、神さまは何を与えたのでしょうか。
永遠の安らぎ…という"死"ですか。
怒りと悲しみが止まりません。
こんな事件が起きるたびに、神や仏の存在が虚しく思えて仕方ないのです。
人には乗り越えられないことが沢山ある。自助会で言うハイヤーパワー(人間を超える力)とは私の神という内なる自分を信じることに近い。無意識の自分。内なる自分の声なき声に耳を傾けることは、乗り越えられない困難の救いや癒しがあると思う。
意味を置き換えて、自身の勇気や力に変えることが出来る人は神よりも強く逞しいのかもしれませんね。
自分で自分を鼓舞するためなら、多少の誤解があってもいいのです。

でも、誤解して他人に押し付けるのはやめようってことだと思う。

何かに苦しむ他者を鼓舞するのは本来難しい。鼓舞ではなく静かな応援を。
この名言はかなり歪曲されていて、正確には「自分で解決できない試練を問題と捉えてはいけない」だと思う。
例えば、「貧困」なんかは問題ではあるが、自分1人で解決できる試練ではないので問題として悩む必要性がありません。同じ様に、悩む必要がないものに囚われるなという事です。
ローマ教皇に、原爆の被害者の方が
神はなぜ私たちにこのような試練を与えられたのですか
と聞いたら、ローマ教皇は
神の試練ではありません。人が行なった悪です
と答えたという記事を読んだ覚えがあります。
試練のすべてを神様に起因しないようにしようと思いました。
「お客様は神様です」と同じく、誤解されているということなのですね・・・、
池江選手の素敵な笑顔を、早く見られますように。
とは言え、そのフレーズを口にし、心の支えとされている池江璃花子選手のお気持ちは、我々の計り知れないところがあると思います。
池江選手、関係者、ファンの皆様のもとに神様の御介在があるように心からお祈り致します。
引用元
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aa この場合の「誘惑」というのは、信仰を妨げようとする「魔」のような概念を想定したアドバイスかと思われるので、食欲や睡眠欲などの一般的誘惑とはあまり関係が無いように思える