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「様子見」という名の放置

今回のリタリコさんの記事は攻めてる。というか心理士として耳が痛い。
成長とともに必要な「支援」は変わる。社会人になった娘を見て、思うこと
ちなみに個人的に「様子見」という言葉はワースト10に入るくらい支援者として不適切な言葉だと思っています。
なんからの支援を実施した上で経過を観察するという意味の様子見ならいいのですが、
何もせずに様子見というのはアウトでしょう。
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もし、発達に何かしらの遅れや偏りがあった場合、

様子見をした時間を遡って支援をする事は出来ません。

それに、僕も親だから分かりますが、もんもんとした時間は親にとっても苦痛です。
また、ほぼ全ての生き物には臨界期が存在します。

これは一定の年齢までは学習出来る事も、
一定の年齢を超えると学習する事が不可能ではないにしても効率が悪くなってしまうラインです。

早期療育の意義はこういうところにあります。
また、発達は学習や体験の積み重ね的面があります。
定型的な学習や体験が正しいわけではありませんが、

支援があれば積めたかもしれない学習や体験があるとすれば、
その機会、すなわち様々な可能性を与えないというのは
人権的に如何なものかと思います。
分かります!
支援の場には往々にして、様子見という名の放置がまかり通っていますよね
shakushaku14 それを良しとする、つまり放置と捉えていない有資格の支援者がまだ相当数いるので問題だと思います。
相談に行く時点で、支援が親のニーズなわけですから、提供しない理由はありません。

「ニューロダイバーシティ(脳神経多様性)」がもたらす誤解

shown_hid 意味合いの問題な部分もあるのですが、

最近の定型に近づける支援はしないという話も極端だなと。

ニューロダイバシティ的視点は共感するのですが、誤解もあると思います。
それね。
機会の損失は本当に気を付けないといけないと思うんですよね。
みんなその点忘れてる事が多い。
KumaDandelion ニューロダイバーシティに関しては、
支援者間でコミュニケーションが不足していると感じています。

おそらくニューロダイバーシティを推す人もそうでない人も、
子どもの育ちや暮らしがより良いものになって欲しいと考えているはずで、
見ている方向は同じはずなのですが、よく論争になってますよね。
もう少し突っ込むと、
ニューロダイバーシティは元々学術的な技法や理論ではなく理念やムーブメントですから、
信頼性や妥当性、検証可能性が求められる科学とはまた別だと思いますし、
日本で具体的にどう運用していくかは、色々と課題があると思います。
少し前は医学モデルと社会モデルが対立したりしてましたが、
そもそもどちらも必要でどちらも不十分というものですから...
そう思います。
社会変革は大事ですが、それを進めるために現場の支援において、
子供達の可能性を奪うことのないようにしたいです。

誰かのツイートで自分を助ける支援に変えたいとありましたが、まさに自分を助ける力をつけるためにあらゆる可能性を探ることだと思います。
知能指数に比べて全く勉強が出来なかった10代を経てきたが、
成人した今思うことは、

学びが出来なかったこととは
自分の可能性をただ潰すだけだった。

あの時、今の子たちのように支援があれば、
私は希望通り医者になれたのだろうか?
引用元
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療育
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