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発達障害者のQOL向上のために「良いところを見よう」と言われているが

「ASDの子が短時間でもみんなと一緒に集団行動できた」
「ADHDで多動特性のある子が短時間でもおとなしく席に着くことができた」
「ASDだが苦手な営業・接客の仕事を過剰適応によってこなすことができた」


そういうことじゃない
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それは長所ではないでしょうと。

それは、まだ短所ばかり見ている状態だと思う。
専門職、発達障害のプロ を自称する人達が自信満々に
それが「良い所を見る」の意味だと思っている。

まだそういう段階。
何とかしてあげたいけれど、支援者がそれでは難しい。
そんな人達が大勢いる。
大量に支援者インタビューを聞いていると、本当に支援員の質に差があり過ぎる。

皆さん一生懸命だけれど、それは分かるけれども、でも、そうじゃないんだよと言いたくなってしまう人が中にはいる。
わかる
大多数に我慢して追い付けた瞬間だけ誉めてる
こういうのわかるわー
障害者に対して

「上手く擬態して社会に溶け込めてるね」
「準・健常者になれて良かったね」

みたいなのってめっちゃモヤんだよなあ
これって支援職(笑)のエゴなんでしょうね。
定型の枠だけに囚われて本人そっちのけだと思いますよ
そこじゃない感がすごいけど、こういう支援者がいるのも事実。
形にはまってくれた方が管理しやすいものなぁと思うけど、あと何十年と努力を強いることになるって気付かないのは想像力が足りなさすぎる。
「皆と同じことができた」ということが良いことと評価される現場には確かに疑問を感じる。
仕事先の人がやっていた事とまるで違って吃驚した。
「集団行動が苦手?一人の方がうまく立ち回れるなら、じっとしてなくてもいい仕事をさせよう。ただしメモは取れ。
接客・営業が苦手?じゃあ無理しなくていい、人がいない時にレジうちの練習して、臨時の時だけ出来るようにしておいてくれ」
って。
ゲーム会社やってる知人が、「一人で作業するデバッガーが次々心を病んでいくから、一人でいたいASDの人を雇う話が出てる」と言ってたなー。
定型に出来ないことができるって認識になるといいな。
例えばですが
・興味のある事柄について細部まで調べて覚えていた
・ちょっと目を離していたら算数ドリルを10ページも終えていた
・図画の課題を出したらすごく個性的な超大作を描き上げた
とかそういうことですよね……。
ASDの良いところ
「着眼点がが変わっている→新しい発想で世の中を変えるかもしれない」
「興味のある分野において極端にのめり込む→研究者タイプ(ある意味着眼点と同じ意味)」

「ASDが短期間で…」
↑これはただの適応

自称専門家等はASDを食いものにしているのかな…?(懐疑)
sin29543505 私が今回言いたかったことは、まさにおっしゃるとおりのことです。

発達障害者支援と言いながら、
あくまでも定型発達者視点で物事を考えている辺りに問題があるように思います。

そこに少しでも近づけたら、無意識に上から目線で「偉いね。よくやったね」と。
tenbin1015
定型視点で見ると言うのは、一般企業に入った時に、周囲にどう思われるのか?を理解するには、役に立つのかなぁ?とは思います。

多くの支援者が就労をゴールに置いてるのはあると思います。
ただ、当事者のQOLの観点からの支援も必要なんじゃないかとは思います😊
sin29543505 他の方にもリプライさせていただきましたが、
現実的に多数派に合わせる能力は必要なので過剰適応の教え=悪ではなく、その能力を身に付けていただくことも必要と考えています。
が、就労をゴールに置くこと自体に疑問があります。
無理のない定着が必須であり、そのために当事者視点は不可欠ではと。
いわゆる療育機関に勤めており、
幼稚園、保育園にもよく行きますが、
こういうことは、支援者だけでなく
もっと広まれば…と。

そして、うちの子ももっと生きやすくなるんじゃないかな。

息子の事で会ってる心理士さんは、
「直す」方向性なんだろうな。
読んでいて自分も反省すべき点が多い。
意外とこういう基本的なことを知っているようで、実際できてない。
引用元
アナログゲーム療育ーコミュニケーション力を育てるー(幼児期から学齢期まで)
松本太一
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