smile (3)
文章が「書けない」若い衆問題。

語彙力がないとかそういう問題以前にそもそもまず

「正解」しか出せない/出してはいけない

という縛りがあって、

それはどこか外部に存在しているもので、
それをなぞるような「書く」しかしたことがない、


というケースが実は少なくないらしいことが何となく見えてきた。
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だから、自分の考えをまとめて文章にすることを求められても、
その「自分の考え」というのを形にして表現すること自体がまず禁忌になってるらしく、
文字どころか口頭でもそれができない。

しゃべるにせよ書くにせよ、

何か外に向かって表現する時は
あらかじめなぞる雛型がないとフリーズしてしまうらしい。
問いかけても無反応で固まっているから、
それを「書く」で求められたら本当に困惑するらしく、
試験なんかだと試験時間いっぱいとにかく机に座って頑張っているように見えるんだが、
提出されたものを見るとほんとに数行だけ、
それも箇条書きのような断片で一文同士のつながりも見えなかったりする代物。
自分は自筆ノート持ち込み可という形式の試験を割とするんだが、それでも同じ

要は何か「正解」的なお墨付きの雛型なり見本がないと、安心して外に形にして表現することができないんじゃないか、と。

そこに昨今は「コミュ力」だの何だのとさらなる抑圧がかかってくるわけで、そりゃ地獄だろうな、と。
で、そういう症状になるのはマジメな子。

一方、普段ロクに出席せず出てきても寝てるような子がさらさら書いてて、へえ、と思ってると、提出したもの見たら一応まとまってて文章にもなってる、
でも要は広義のコピー&ペーストの切り貼りだったりするようなことも。
これはおにゃのこなどに多いかも。
そりゃ持ち込み可だから事前にある程度「使える」材料なりフレーズなりをパーツとして集めてノートにしておく、
そういう対応はありだし、
そういう対処の仕方考えるのはまだ知恵があるっちゃあるんだろうが、
そしてそういうのを「賢い」とか評価してたりするんだろうが、
でもそれもそれで問題なわけで。
自分の外側に「正解」が転がっている、だからどんな手を使ってもそれを他人より早く拾いに行く、
それが「学校」での「合理的」な身の処し方で「勉強」ってのはそういうこと、的な理解の広まり具合。

で、社会に出て生きてゆくのも基本そういう対処の延長線上にあるらしい、という理解。

鬱にもなるわな。
こういう状況で「キャリア教育」だの「実務教育」だのやって、
入試も入試でAOだの学校推薦だので「面接重視」で「人柄を見る」とかで、
それら全ての機会で「正解」探しをさせられている八方塞がりというのがいまどき高校生くらいのその他おおぜい若い衆のある〈リアル〉なのかも知れん、と割と本気で。
前々からあった症状ではあるのかも知れんけれども、いつ頃からここまで広まったのかと振り返ってみると、どうもここ3、4年くらい、脱ゆとり教育の号令がかかって以降のこと、という印象はある。
半径身の丈ご当地弊社級環境前提ではあるが。
「自分」にとっての「正解」、
自分の文脈でそれをつくってゆくということが理解できないor信じられない。


おっかなびっくりそれやっても「正解」とは思えない、
だから「評価」が欲しくなって必然的に他者の視線や思惑などに過剰に敏感にならざるを得ないらしい、という悪循環。
これ自覚ありすぎるんだよな
思い当たる節が多すぎてつらい
卒論が書けない原因
これ、これに、脅迫的に苦しめられてる…
書きたいと思うこと(実感を伴って正しいと思えること)が出てこない限り一行たりともかけないし、適当に中身のないことを連ねることもできない。

授業のコメントペーパーが苦手
小学生の頃から、学校では「基本的には正解の存在する問い」に向き合ってて、中学卒業時点でそれが9年も続くんだもんな…。そりゃ自分の意見が分からなくなるよな…。

私の元同級生で、授業で「知ってるけどあえて言わない」という生徒がいた。それをいいことに私ばかり発言してたが、何か悲しかった
これに加えて「学校でオリジナリティのある文章を書こうとすると同級生に囃される(嗤われる)」という要素も加わって、「語彙の少ない平凡な文章で済ませる」ことが常態化する。
自己肯定感の問題な気もする。
義務教育期間中に「正解でない」「ちょっと変」だったとき、それを指摘して笑われた経験は結構ある。
真面目な子ほど傷になって「正しい」こと以外書けなくなるし、遊んでる子ほど「笑う立場」で自分が正しいという経験があるのでアウトプットに自信がもてる。
就活の面接も「どう答えたら正解なんだ」っていう人が多い
本当は自分と会社の埋め合わせ程度のものなんだが
会社の方も「正解を言う子がほしい」とか言うスタンスでやるから

お互い正解ばかりを探す茶番になるわけだな
若者だけじゃないよ。
いい歳した大人も優等生な回答しかできない場面を社会人向けスクールなどでよく目撃する。
文字を連ねることは苦痛ではないけれど、だらだら書いてしまって要領を得ない文章が多い。要点の整理とか緩急が苦手なんだよな。
話すのは割と得意だし、1発で理解してもらえなければその人に合わせて噛み砕いてフォロー出来るからいいんだけど、文章は苦手なんだよな〜。話し言葉では書けないから、それをどうやって相手に伝わる文章にするかでいつも頭を悩ませてしまう
義務教育の段階で正解を当てに行く思考を求められがち、
テクニックとして文章の書き方を教わらない、

の両方がある気がする。
こんにちは、現大学生のものです。
特に、小中学校では正解を書くことを重視した指導が多かったように自分は記憶してます。また、授業や作文において考えを発表するときにも、先生に忖度し、答えて欲しそうなものを選ぶ傾向にありました。そういった過程も原因の一つかと思います。
wahhahha396 やはりそういう教え方をするようにはなっていたんですねぇ、
一般的にそうなのかどうかはともかく。初等中等教育の現場のセンセ方の資質や世代的バイアスなども関わってきそうには思いますが、いずれにせよ難儀な話ではあり、大学が最後の尻拭いさせられている感、は正直あります。
kingbiscuitSIU 高校や大学で初めて「自分の意見は?」と聞かれたときには、正直少し困りました。その感覚を脱し始めたのは、やはり大学だったように思います。しかし、やはり小中と培われてきた感覚は簡単には抜けず、先生の意見を切り貼りしてしまう人もいるのではないかと思われます。
自分の感じたものをそのまま表現するとか、そういうことを抑圧されると、若いうちに十分トレーニングを積めずにこうなる。
思うに親の問題。親が怒らないことが正解でそれ以外はすべて不正解という状況におかれると感情の発露を止めてしまう。
その一方で、奇妙な情緒や
決意表明のような作文多いです
yachts111xenon そりゃ「ポエム」は逃げ道になりますもの(´ω`)

「読めない」子どもも増えている…?

このツイートから始まる一連の話は、少しでも教育に関わったことがある人なら多かれ少なかれ感じたことがあるのではないかな。
僕もこのことは非常に危惧していて、何度も同じようなことをつぶやいたりしてる。
この「文章が書けない」と裏表になっているのが「文章が読めない」でもある。
これはクソリプをもらったことがある人なら、結構な割合でいそうだと感じていると思います。
以前にどのくらい読めないかというツイートもしましたが、このレベルで読めない人もザラにいます。
文章を書くにせよ読むにせよ、要するに、あるまとまった量の文章が具体的な一つの事柄を表しているという認識がそもそもない。前後のつながりも当然ながらない。
それでも会話がなりたっていると感じるのは、単に受け手が足りない情報を補っているからに過ぎない。
それこそ昨日、学童で「物語を書いた」と言って原稿用紙2枚ほどの文章を見せてくれた。プロットとしては筋は通っていたけれど、例えば「犬が飼いたい」と言う女の子に対して両親は反対してたのに、次の一文でいきなり両親が犬をプレゼントしてくれたりする。この飛躍に本人は違和感すらない。
国語の問題などを解いているのを見ていると「読めない」はさらに顕著になる。極端な話「どんなお話だった?」と聞いても「分からない」という答えが平気で返ってきたりする。そういう彼らには、そもそも「内容を理解して答える」という感覚がないとしか思えない。
文字は「読める」けれど、そこに書かれている内容が「理解できない」という問題は、それこそずっと言われ続けてきているけれど、根本的な指導の改善はなされていないと思う。書いてあることすら理解できないのだから、いわんや「文章を書く」をや、である。
少し話が逸れてしまったけれど、こういった「読めない/書けない」が放置されたままになってしまう一因として、最初に引用したツイートのように「正解を書けばそのままスルーされてしまう」というのはあると思っているし、そういうことが起こらないような指導を心がけてもいる。
指導者の中には、少なからず「正解さえ書けるようにしてやればいいのだ」と考えている方もいらっしゃると思いますし、それが顧客ニーズへの対応であることも否定はしません。しかし、その結果として例えば「文章が書けない」ような若者を増やしている可能性にも、少しだけ目を向けて欲しいと思います。
これ国語教育の敗北やな……
前心理学の授業で小中の授業と実際の社会に出たときに必要な力が噛み合わなくなってきた(?)ってのはやってたなぁ
いやぁ現代社会怖いわぁ...これからが心配になってくるわぁ
この前ちょっと話した水平思考クイズ(ウミガメのスープ)、
あれ若い衆は驚くほど「ルールを理解できない」。その問題点に似てる。
質問を重ねて正解にリーチするゲームなのに、いきなり「答は○○ですか?」と暴投してくる子が多い。
ある意味的を射ているが、問題の本質には迫っていないように思う。

そもそも今の世界では、どのような問題にしたってネットという集合知を探せばいくつもの人それぞれに合った答えがある。

しかもその答えは、合理的で、道徳的で、正確に問題を捉えているのだ。

そんな中0→1にする能力が育つわけがない。
自分で文章書いてて自分でクソつまんない文章だなって分かってしまう程この外部の「正解」を求めてしまうから本当に治したいって思う
義務教育で何を得たんだろうな
自分の最近の悩みがこれです。
レポート3000字と言われ、まず結論から書くところまではできてもそれについて述べることができません。
書けても数行で文字数がどうしても到達せずレポートにかなりの時間がかかります。
どうすれば文章を書けるようになるのかなど教えていただきたいです。
本を読め、と何度も親から言われてきましたが
本を読んだところで感想はおもしろかった、良かった、などしか思い浮かびません。

小学生の頃から読書感想文は親との共同作業、卒業文集は親の確認、訂正等が自然に行われていたので大学生になり親から離れた途端何もできないことに悩んでいます。
早え話が、若い衆がずっと受けてきた教育って、
「刺身にタンポポを載せる仕事をする人を作り上げる」教育だったんですね。
引用元
世界一やさしい問題解決の授業―自分で考え、行動する力が身につく
渡辺 健介
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