
文章が「書けない」若い衆問題。
語彙力がないとかそういう問題以前にそもそもまず
「正解」しか出せない/出してはいけない、
という縛りがあって、
それはどこか外部に存在しているもので、
それをなぞるような「書く」しかしたことがない、
というケースが実は少なくないらしいことが何となく見えてきた。
語彙力がないとかそういう問題以前にそもそもまず
「正解」しか出せない/出してはいけない、
という縛りがあって、
それはどこか外部に存在しているもので、
それをなぞるような「書く」しかしたことがない、
というケースが実は少なくないらしいことが何となく見えてきた。
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だから、自分の考えをまとめて文章にすることを求められても、
その「自分の考え」というのを形にして表現すること自体がまず禁忌になってるらしく、
文字どころか口頭でもそれができない。
しゃべるにせよ書くにせよ、
何か外に向かって表現する時は
あらかじめなぞる雛型がないとフリーズしてしまうらしい。
その「自分の考え」というのを形にして表現すること自体がまず禁忌になってるらしく、
文字どころか口頭でもそれができない。
しゃべるにせよ書くにせよ、
何か外に向かって表現する時は
あらかじめなぞる雛型がないとフリーズしてしまうらしい。
問いかけても無反応で固まっているから、
それを「書く」で求められたら本当に困惑するらしく、
試験なんかだと試験時間いっぱいとにかく机に座って頑張っているように見えるんだが、
提出されたものを見るとほんとに数行だけ、
それも箇条書きのような断片で一文同士のつながりも見えなかったりする代物。
それを「書く」で求められたら本当に困惑するらしく、
試験なんかだと試験時間いっぱいとにかく机に座って頑張っているように見えるんだが、
提出されたものを見るとほんとに数行だけ、
それも箇条書きのような断片で一文同士のつながりも見えなかったりする代物。
自分は自筆ノート持ち込み可という形式の試験を割とするんだが、それでも同じ
要は何か「正解」的なお墨付きの雛型なり見本がないと、安心して外に形にして表現することができないんじゃないか、と。
そこに昨今は「コミュ力」だの何だのとさらなる抑圧がかかってくるわけで、そりゃ地獄だろうな、と。
要は何か「正解」的なお墨付きの雛型なり見本がないと、安心して外に形にして表現することができないんじゃないか、と。
そこに昨今は「コミュ力」だの何だのとさらなる抑圧がかかってくるわけで、そりゃ地獄だろうな、と。
で、そういう症状になるのはマジメな子。
一方、普段ロクに出席せず出てきても寝てるような子がさらさら書いてて、へえ、と思ってると、提出したもの見たら一応まとまってて文章にもなってる、
でも要は広義のコピー&ペーストの切り貼りだったりするようなことも。
これはおにゃのこなどに多いかも。
一方、普段ロクに出席せず出てきても寝てるような子がさらさら書いてて、へえ、と思ってると、提出したもの見たら一応まとまってて文章にもなってる、
でも要は広義のコピー&ペーストの切り貼りだったりするようなことも。
これはおにゃのこなどに多いかも。
そりゃ持ち込み可だから事前にある程度「使える」材料なりフレーズなりをパーツとして集めてノートにしておく、
そういう対応はありだし、
そういう対処の仕方考えるのはまだ知恵があるっちゃあるんだろうが、
そしてそういうのを「賢い」とか評価してたりするんだろうが、
でもそれもそれで問題なわけで。
そういう対応はありだし、
そういう対処の仕方考えるのはまだ知恵があるっちゃあるんだろうが、
そしてそういうのを「賢い」とか評価してたりするんだろうが、
でもそれもそれで問題なわけで。
自分の外側に「正解」が転がっている、だからどんな手を使ってもそれを他人より早く拾いに行く、
それが「学校」での「合理的」な身の処し方で「勉強」ってのはそういうこと、的な理解の広まり具合。
で、社会に出て生きてゆくのも基本そういう対処の延長線上にあるらしい、という理解。
鬱にもなるわな。
それが「学校」での「合理的」な身の処し方で「勉強」ってのはそういうこと、的な理解の広まり具合。
で、社会に出て生きてゆくのも基本そういう対処の延長線上にあるらしい、という理解。
鬱にもなるわな。
こういう状況で「キャリア教育」だの「実務教育」だのやって、
入試も入試でAOだの学校推薦だので「面接重視」で「人柄を見る」とかで、
それら全ての機会で「正解」探しをさせられている八方塞がりというのがいまどき高校生くらいのその他おおぜい若い衆のある〈リアル〉なのかも知れん、と割と本気で。
入試も入試でAOだの学校推薦だので「面接重視」で「人柄を見る」とかで、
それら全ての機会で「正解」探しをさせられている八方塞がりというのがいまどき高校生くらいのその他おおぜい若い衆のある〈リアル〉なのかも知れん、と割と本気で。
前々からあった症状ではあるのかも知れんけれども、いつ頃からここまで広まったのかと振り返ってみると、どうもここ3、4年くらい、脱ゆとり教育の号令がかかって以降のこと、という印象はある。
半径身の丈ご当地弊社級環境前提ではあるが。
半径身の丈ご当地弊社級環境前提ではあるが。
「自分」にとっての「正解」、
自分の文脈でそれをつくってゆくということが理解できないor信じられない。
おっかなびっくりそれやっても「正解」とは思えない、
だから「評価」が欲しくなって必然的に他者の視線や思惑などに過剰に敏感にならざるを得ないらしい、という悪循環。
自分の文脈でそれをつくってゆくということが理解できないor信じられない。
おっかなびっくりそれやっても「正解」とは思えない、
だから「評価」が欲しくなって必然的に他者の視線や思惑などに過剰に敏感にならざるを得ないらしい、という悪循環。
これ、これに、脅迫的に苦しめられてる…
書きたいと思うこと(実感を伴って正しいと思えること)が出てこない限り一行たりともかけないし、適当に中身のないことを連ねることもできない。
授業のコメントペーパーが苦手
書きたいと思うこと(実感を伴って正しいと思えること)が出てこない限り一行たりともかけないし、適当に中身のないことを連ねることもできない。
授業のコメントペーパーが苦手
小学生の頃から、学校では「基本的には正解の存在する問い」に向き合ってて、中学卒業時点でそれが9年も続くんだもんな…。そりゃ自分の意見が分からなくなるよな…。
私の元同級生で、授業で「知ってるけどあえて言わない」という生徒がいた。それをいいことに私ばかり発言してたが、何か悲しかった
私の元同級生で、授業で「知ってるけどあえて言わない」という生徒がいた。それをいいことに私ばかり発言してたが、何か悲しかった
これに加えて「学校でオリジナリティのある文章を書こうとすると同級生に囃される(嗤われる)」という要素も加わって、「語彙の少ない平凡な文章で済ませる」ことが常態化する。
自己肯定感の問題な気もする。
義務教育期間中に「正解でない」「ちょっと変」だったとき、それを指摘して笑われた経験は結構ある。
真面目な子ほど傷になって「正しい」こと以外書けなくなるし、遊んでる子ほど「笑う立場」で自分が正しいという経験があるのでアウトプットに自信がもてる。
義務教育期間中に「正解でない」「ちょっと変」だったとき、それを指摘して笑われた経験は結構ある。
真面目な子ほど傷になって「正しい」こと以外書けなくなるし、遊んでる子ほど「笑う立場」で自分が正しいという経験があるのでアウトプットに自信がもてる。
就活の面接も「どう答えたら正解なんだ」っていう人が多い
本当は自分と会社の埋め合わせ程度のものなんだが
会社の方も「正解を言う子がほしい」とか言うスタンスでやるから
お互い正解ばかりを探す茶番になるわけだな
本当は自分と会社の埋め合わせ程度のものなんだが
会社の方も「正解を言う子がほしい」とか言うスタンスでやるから
お互い正解ばかりを探す茶番になるわけだな
話すのは割と得意だし、1発で理解してもらえなければその人に合わせて噛み砕いてフォロー出来るからいいんだけど、文章は苦手なんだよな〜。話し言葉では書けないから、それをどうやって相手に伝わる文章にするかでいつも頭を悩ませてしまう
こんにちは、現大学生のものです。
特に、小中学校では正解を書くことを重視した指導が多かったように自分は記憶してます。また、授業や作文において考えを発表するときにも、先生に忖度し、答えて欲しそうなものを選ぶ傾向にありました。そういった過程も原因の一つかと思います。
特に、小中学校では正解を書くことを重視した指導が多かったように自分は記憶してます。また、授業や作文において考えを発表するときにも、先生に忖度し、答えて欲しそうなものを選ぶ傾向にありました。そういった過程も原因の一つかと思います。
wahhahha396 やはりそういう教え方をするようにはなっていたんですねぇ、
一般的にそうなのかどうかはともかく。初等中等教育の現場のセンセ方の資質や世代的バイアスなども関わってきそうには思いますが、いずれにせよ難儀な話ではあり、大学が最後の尻拭いさせられている感、は正直あります。
一般的にそうなのかどうかはともかく。初等中等教育の現場のセンセ方の資質や世代的バイアスなども関わってきそうには思いますが、いずれにせよ難儀な話ではあり、大学が最後の尻拭いさせられている感、は正直あります。
kingbiscuitSIU 高校や大学で初めて「自分の意見は?」と聞かれたときには、正直少し困りました。その感覚を脱し始めたのは、やはり大学だったように思います。しかし、やはり小中と培われてきた感覚は簡単には抜けず、先生の意見を切り貼りしてしまう人もいるのではないかと思われます。
自分の感じたものをそのまま表現するとか、そういうことを抑圧されると、若いうちに十分トレーニングを積めずにこうなる。
思うに親の問題。親が怒らないことが正解でそれ以外はすべて不正解という状況におかれると感情の発露を止めてしまう。
思うに親の問題。親が怒らないことが正解でそれ以外はすべて不正解という状況におかれると感情の発露を止めてしまう。
「読めない」子どもも増えている…?
このツイートから始まる一連の話は、少しでも教育に関わったことがある人なら多かれ少なかれ感じたことがあるのではないかな。
僕もこのことは非常に危惧していて、何度も同じようなことをつぶやいたりしてる。
僕もこのことは非常に危惧していて、何度も同じようなことをつぶやいたりしてる。
この「文章が書けない」と裏表になっているのが「文章が読めない」でもある。
これはクソリプをもらったことがある人なら、結構な割合でいそうだと感じていると思います。
以前にどのくらい読めないかというツイートもしましたが、このレベルで読めない人もザラにいます。
これはクソリプをもらったことがある人なら、結構な割合でいそうだと感じていると思います。
以前にどのくらい読めないかというツイートもしましたが、このレベルで読めない人もザラにいます。
以下の画像は小学二年生の算数の問題です。このような問題文があり「ひろとさんはどんぐりをぜんぶで何こつかいましたか」という問題に答えられなかった生徒に「この問題から君に分かることを一つずつ書いてみて」と言ってみたところ、どうなったか。 pic.twitter.com/dl3zaXk2OJ
— kentaro isaka (@isa_kent) 2018年3月19日その子が一生懸命書いてくれたのが、以下の画像です。 pic.twitter.com/zHXMJx2W2K
— kentaro isaka (@isa_kent) 2018年3月19日
文章を書くにせよ読むにせよ、要するに、あるまとまった量の文章が具体的な一つの事柄を表しているという認識がそもそもない。前後のつながりも当然ながらない。
それでも会話がなりたっていると感じるのは、単に受け手が足りない情報を補っているからに過ぎない。
それでも会話がなりたっていると感じるのは、単に受け手が足りない情報を補っているからに過ぎない。
それこそ昨日、学童で「物語を書いた」と言って原稿用紙2枚ほどの文章を見せてくれた。プロットとしては筋は通っていたけれど、例えば「犬が飼いたい」と言う女の子に対して両親は反対してたのに、次の一文でいきなり両親が犬をプレゼントしてくれたりする。この飛躍に本人は違和感すらない。
国語の問題などを解いているのを見ていると「読めない」はさらに顕著になる。極端な話「どんなお話だった?」と聞いても「分からない」という答えが平気で返ってきたりする。そういう彼らには、そもそも「内容を理解して答える」という感覚がないとしか思えない。
文字は「読める」けれど、そこに書かれている内容が「理解できない」という問題は、それこそずっと言われ続けてきているけれど、根本的な指導の改善はなされていないと思う。書いてあることすら理解できないのだから、いわんや「文章を書く」をや、である。
少し話が逸れてしまったけれど、こういった「読めない/書けない」が放置されたままになってしまう一因として、最初に引用したツイートのように「正解を書けばそのままスルーされてしまう」というのはあると思っているし、そういうことが起こらないような指導を心がけてもいる。
指導者の中には、少なからず「正解さえ書けるようにしてやればいいのだ」と考えている方もいらっしゃると思いますし、それが顧客ニーズへの対応であることも否定はしません。しかし、その結果として例えば「文章が書けない」ような若者を増やしている可能性にも、少しだけ目を向けて欲しいと思います。
前心理学の授業で小中の授業と実際の社会に出たときに必要な力が噛み合わなくなってきた(?)ってのはやってたなぁ
いやぁ現代社会怖いわぁ...これからが心配になってくるわぁ
いやぁ現代社会怖いわぁ...これからが心配になってくるわぁ
この前ちょっと話した水平思考クイズ(ウミガメのスープ)、
あれ若い衆は驚くほど「ルールを理解できない」。その問題点に似てる。
質問を重ねて正解にリーチするゲームなのに、いきなり「答は○○ですか?」と暴投してくる子が多い。
あれ若い衆は驚くほど「ルールを理解できない」。その問題点に似てる。
質問を重ねて正解にリーチするゲームなのに、いきなり「答は○○ですか?」と暴投してくる子が多い。
ある意味的を射ているが、問題の本質には迫っていないように思う。
そもそも今の世界では、どのような問題にしたってネットという集合知を探せばいくつもの人それぞれに合った答えがある。
しかもその答えは、合理的で、道徳的で、正確に問題を捉えているのだ。
そんな中0→1にする能力が育つわけがない。
そもそも今の世界では、どのような問題にしたってネットという集合知を探せばいくつもの人それぞれに合った答えがある。
しかもその答えは、合理的で、道徳的で、正確に問題を捉えているのだ。
そんな中0→1にする能力が育つわけがない。
自分で文章書いてて自分でクソつまんない文章だなって分かってしまう程この外部の「正解」を求めてしまうから本当に治したいって思う
義務教育で何を得たんだろうな
義務教育で何を得たんだろうな
自分の最近の悩みがこれです。
レポート3000字と言われ、まず結論から書くところまではできてもそれについて述べることができません。
書けても数行で文字数がどうしても到達せずレポートにかなりの時間がかかります。
どうすれば文章を書けるようになるのかなど教えていただきたいです。
レポート3000字と言われ、まず結論から書くところまではできてもそれについて述べることができません。
書けても数行で文字数がどうしても到達せずレポートにかなりの時間がかかります。
どうすれば文章を書けるようになるのかなど教えていただきたいです。
本を読め、と何度も親から言われてきましたが
本を読んだところで感想はおもしろかった、良かった、などしか思い浮かびません。
小学生の頃から読書感想文は親との共同作業、卒業文集は親の確認、訂正等が自然に行われていたので大学生になり親から離れた途端何もできないことに悩んでいます。
本を読んだところで感想はおもしろかった、良かった、などしか思い浮かびません。
小学生の頃から読書感想文は親との共同作業、卒業文集は親の確認、訂正等が自然に行われていたので大学生になり親から離れた途端何もできないことに悩んでいます。
引用元
「泣ける」「感動した」「号泣した」「癒やされる」系のおキモチ原理主義発動トリガーに見えるもの言い群も、「自分」の根拠がことばと紐付いて外に向かって開かれる回路がここまで抑圧&束縛されている中でその内側のモヤモヤを何とかする便利なツール的な使われ方をされとるようにもおも。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2019年1月25日
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以下のコメントは削除対象となります
・障害/人種/特定の属性に対する悪意ある中傷/差別的発言
・特定の性別に対する悪意ある中傷/差別的発言
・記事内>>1に対する著しい中傷/差別的発言
・記事内容に目を通さず曲解した見解を述べ著しくサイト内の治安を悪化させる行為
・記事内容と無関係に特定の思想/イデオロギーを複数回に渡り書き込み著しくサイト内の治安を悪化させる行為
・上記に該当しない個性的な書き込みに対する著しい中傷/嫌悪の表明
暫く上記ルールで運用します(適宜改訂の可能性あり)
悪質な場合は予告なしで規制の対象とさせて頂きます
ルールを守ってお使いくださいませ
コメント一覧
コメント一覧 (101)
自分の考え
事実(ソース)
結論
を分けて表現出来ない人が多い
おふとん
が
しました
昔からされてきた批判だし、今に始まったことでもないと思うけど
小学校で感想とかを書くのも苦手でガチで数行も書けなかったわ
流石に今はある程度無難な回答を書けるようにはなったけど、自分で考えてる感じは全然しない
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
ちゃんとストーリー性があったり論理性があったりするような文が書ければそれで十分
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
お前らも自分を愛してやれよ。
おふとん
が
しました
文字が読めないわけじゃないから一見して問題なさそうに見えるのが厄介
おふとん
が
しました
不景気になってから割と沢山の人が正解信仰に陥ってるじゃん
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
国語力に限らず
「なぜ正解なのか」「なぜ正解ではないのか」
ということを自分から考えようとしない限り、学習にならん
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
失敗のリスクが高すぎる。
失敗を何度でも許容できるならば、違うんだろうけど。無理かな。
おふとん
が
しました
何か言いたい、でも取り出し方が分からない、そこで手近な雛形を拝借して表現欲求を処理する、っていう。
おふとん
が
しました
あれは結局文字で遊ぶツールだから。
Twitterが使えない層がinstaの画像遊びへ流れて、でもinstaも結局文章力が必要だからtumblrに流れる、という話が4.5年前にはあったと思う。
情報を拾ってパッチワークする能力は高いけど、ゼロから何かを産み出す訓練がその分不足してしまっているんだろうか。
出来る子はどんな世代でもどんな環境でも出来るだろうけどね。
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
あーはいはい、都合の悪いことは全てそれで解決だね
おふとん
が
しました
書き続けているうちにオリジナリティが出てくるもんなんじゃないの
おふとん
が
しました
優等生的で、言われずとも教師の思う通りに育つような生徒ばかりが長じて教師になるようなサイクルを繰り返せば、日本の教育規範から見てのみ優等生的な生徒だけを見据えたような教育へとどんどん視野が狭まっていくのも不思議ではない
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
書くことがない
なんで読書感想文なんてあるんだろう
おふとん
が
しました
自然と行間を読めない文盲な勢力が圧倒的に増えてきて、子供とメンヘラクレーマーの巣窟になった
おふとん
が
しました
自分が興味ないことに対してももっともらしい意見を述べられることだと思う
興味ない授業のレポート作成なんてまさにそれ
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
0から1を作り出すのは今の教育では向いてないんだろうな。
おふとん
が
しました
大人の求める回答じゃないと点数が引かれる、という。
そりゃ、似たような人間しか生まれんだろう。
おふとん
が
しました
「結果を出せないのは自己責任」なら「正しい行動をしていたなら成功できていた」ということであり、「正解があらかじめ世界に存在している」となるのは自然
おふとん
が
しました
これ何処の馬の骨かわからんイッチのほうとうに個人的な見解だろ
バカじゃねえの
最近はSNSでみんな文章書きまくってるわ
この話題に大真面目に答えてる奴らが
揃いも揃ってコミュ障発達で日本語不自由な奴しかいねえ
このイッチに共感するのはそういう種類の奴だけ
おふとん
が
しました
当たり前だよなぁ
おふとん
が
しました
結局ね、読書なんだよ。それも自分にとってもの凄く面白いものに巡り会わなければ、読書する習慣なんて身につけられない。言葉の面白さ表現の可能性、そういった事に対する興味を抱かせる一冊の本に巡り会えるかどうかだと思う。
自分も何か表現したいと思わせる教育方法をもっと模索しないといけない
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
まず人目を気にしてしまう性質を克服することから始めないとだな
おふとん
が
しました
マジで日本の脅威くってクソ
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
でも人生正解ばかりじゃないし、仕事で問題でたら対処わからなくて隠蔽するしかなくなるよね
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
芸能人こそ自分を殺しまくってる
あいつらに本当の幸せなんてねえよ
おふとん
が
しました
小学生の時から社会との関わりに楽しさを感じたことがない
乱暴のクソどもに限って笑ってやがる
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おそらく周りの同調圧力のせいじゃないかと思う
自分の考えを言うと、正当な理由もなく叩かれたりするからね
そんなんじゃ「おもしろい」「つよい」「すごい」とか、ざっくりと端的な考えしか持たなくなっても仕方ないと思う
おふとん
が
しました
他に原因があると思う
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
でもあんま困らない。
人間も文章書けなくなってるカラ(笑)(´・ω・`)
おふとん
が
しました
けしからん、じゃあ若者は付いてこないよね悲しいけど。
おふとん
が
しました
そして多分何千年も前から
その「マトモな文章」の、何パーセントが有用な文章かな?
批判されない事を求めてるんだろ?
理解出来てないのは、関わり方が変化する事が許せない上の発達障害の方だよ
自分のやってきた関わり方の枠内で若者の逸脱を許容する
しかし、真の逸脱とは、関わり方の変化であり、つまりは単なる上のやり方の否定でしかない
そのとんでもない文章を書く世代の、また更に下の世代になったら、昔の人と全く同じ事に戻ってるよ
否定の否定でクルッと一回り
それを、サイキンノワカモノハーと勝手に嘆く
賢しらなつもりの、自分の批判、関わり方が理性的である事が公理の、単にサル山の上に立っただけの、同じ穴の狢の発達障害
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
今の子って兎に角理系信仰過ぎて文系見下してる節があるから計算する時にあらかじめ代入された式の通りやるかの如く例をなぞらないと不安なんやろね
最近ベストセラーに選ばれてる若者向けの小説がノミネートされたってのも聞かないし
論文書けないんじゃないか
おふとん
が
しました
反抗するイコール、生き方を自分の判断で決めないといかんわけよ。
ネットは時代で、答えなんかないから全部自分で考えないとけねーんだよ。
誰かのマネをしたり誰かに合わせたりすんのは、カッコ悪くてできねーのが当たり前だった。
だから、若いうにどんな遊びでも経験して、どんどん失敗もして、身体で生きてる!って体感しろ!
ガキのヤツラには、爆竹を投げ合ったりチャリ三人乗りとか両手放し運転とか、スリル満点の遊びもおすすめだぞ!
ただし人が悲しんだり嫌だと思うことは絶対にだめだぞ!
おふとん
が
しました
普段どうやって会話をして生きているのかが気になるな
喋ることも文章をつくることと似た作業やん
他人に合わせて自分の主張はゼロで生きてるのかね
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
で、その原因について考えて見たんだが
手書きの作文が諸悪の根源だと思う
文章を書き換えるときに
1消しゴムをかけて、書き直す手間
2文字数が変わった時に後続の文すべてをずらす手間
3消す前の文を見直せない点
があるからだ
尚、俺は、重要な作文はワードで書いてる
推敲がしやすいから
おふとん
が
しました
という教育を受けたらそうなるわ
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
文章ってどういうふうに書けばいいの?
こういうとこにコメントするってことも少しは文章書く練習になる?
アウトプット下手くそなので鍛えたい
でもネット特有の固まった文書ルールみたいなのなんとなくあるよね、、?
やっぱり下手だな…
おふとん
が
しました
感想や意見だったら主観的なものになるし、説明や報告なら客観的なものになる。
当然両者の書き方は全くの別物。
目的がはっきりしないと文章なんて書けるわけがない。
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
その日のニュースで気になったトピック1件について400字以内で感想を書く、というのを繰り返すようになったら、たった1か月で苦手がウソのように解決してしまいました。自分でも驚きましたが若い時の脳ミソの可塑性ってすごいですよ。
大事だったのは、日々のニュースを見て感じたワンワードの「義憤」のようなものを「肉付け」して、どう必要な字数に膨らませつつ起承転結を意識して世間様の求める文脈に落とし込んでいくかというテクニック。
最終的には3か月くらいで、ストーリーのメモを作っておけば原稿用紙の字数に合わせてボールペンでつらつらと文字数の落としどころを読みながら筆答時間の半分くらいで文章を綴れるようになった。単位が厳しくて有名な刑法の先生が「優をやるには要素が一つ足りなかったんだけど文章がこなれてるので優をやった人が居ます」と言ってて、自分かも?と思って苦笑した
(他の賢い友人連中にも、その科目は優が居なかった)。
このスキルは自転車に乗るのと同じで簡単には失われない。ブラインドタッチもできるようになったおかげで、今は上司に要件を聞いてその場で即興で社内文書を書き起こしたり、結構このスキル重宝してます。(別にこの文章も上手いわけではないですが。。。)
おふとん
が
しました
おふとん
が
しました
と少し作文が上達したんだよね。
逆に人の感想か感情なんて複雑でそもそも言語化できなくて当然のものだから、ある程度型にはめて嘘ついて伝わるようにパッケージングしないといけないもんじゃね。
そこの教育が発展しすぎてパッケージングだけ上手くなる子が増えてきたって感じなのかもね。
おふとん
が
しました
そのもじりを禁止した途端何も書けなくなるっていう
おふとん
が
しました
か、どうしても主張したい実存に関わる分野等は上記意識すらがすっ飛んで単に感情的発露のみになり両者を繋げるような過程が存在しない。
そんな印象。
おふとん
が
しました
話題によっては作り話だとしてもありえる話なのに、彼らのなかには嘘か本当の二択しかない
読み書きできない国でも意思の疎通は取れているから国語だけの問題じゃない気がする
コミュニケーション能力っていうけど、営業的な意味じゃなくて、他人とのすり合わせが最低限できることなんじゃないかって思う
ネットだとどうしても独り言になりがちで他人がいることを忘れてしまうよね
おふとん
が
しました
昔は文章なんて限られた知識階級だけが書くものだったから問題なかった
それが現代ではだれもがある程度の文章を書くことを求められるようになった
最近やたらと発達障害が取り沙汰されているのと同じ仕組み
おふとん
が
しました
日本語の〈書き〉方 森山卓郎 岩波ジュニア新書
言葉選びから、文の構成、段落の構成、文章の作成と段階的に説明している。著者は小学生時代自身の作文が悪文と先生に晒されたこともあり、親しみやすい。
考えるシート 山田ズーニー
就活向けの本として出版されているが、相手への気持ちの整理や伝え方なと意思疎通の本質にせまった良書。相手の顔色をうかがった会話しかできない自分を変えるきっかけのひとつ。
おふとん
が
しました