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えっ!? 
「親には親の思いがあります。(親に)目を向けないのはフェアじゃない。子供にも親の気持ちを分かってほしい」毒親と責めないで…「満月の娘たち」著者の安東みきえさん

 子供の人生を支配し、子供に悪影響を及ぼす「毒親」について、何でも親に責任転嫁する子供に納得がいかないこともある。

 「『毒親に育てられたから』と親への不満を落とし込む人がいます。確かにひどい親に育てられて、被害を受けた子もいる。でも『それはなんか違うだろ』と思ってしまう人もいます」

 一方的に責め立てられる親。そこに違和感を覚えた。

 「親には親の思いがあります。(親に)目を向けないのはフェアじゃない。子供にも親の気持ちを分かってほしい」

 誰にも相談できず、頼る身内もいない。悩みを抱え、孤独に育児する親を経験したからこそ、訴えたい思いがある。

 「親は完全じゃない。不手際も、失敗も、言っちゃいけないことも言います。子供がそれを全く分からないまま『毒親だ』と子供に言ってほしくない」

 子供が初めて育てられるのであれば、親もまたその子を育てるのは初めて。どうしても失敗の方が多い。

 「『~したら・~すれば』の中でもがいてます。1回しかその子を育てられない。見えてこなかったところをお互いに気づくことで、親子の間に余裕が出てきます」

 子供と親の心にゆとりを作るため、この本がある。

 「親に加担した見方の本が欲しかった。親は子育てでいっぱいいっぱい。そんな中で、少し周りと距離が取れて、冷静になれるのが本。この本が少しでも親子の支えになってくれたら」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190113-00000047-sph-soci
親も大変、親を理解しろ、って、機能不全家族の毒親の立ち位置そのものではないの;
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あぁ、これは良くない。

親が孤独だろうと育児がうまくなかろうと、そのケアをやるのは子供じゃない。

そこを履き違えたらいけない。
親が私の気持ちをわかって欲しいを子供にやっちゃうのは、子供にカウンセラー役をやらせてしまう行為なのでダメですよ。
子供がパンクします。
大人は 助けを求める事が出来るし
色々調べる事も 病院に行く事も
出来るけど

子供は 助けを求める事が出来ないし 助けの求め方もわからないのに…
毒親に事情があるということを社会に求めるのは構わないし
公的な支援の強化は必要だが、
子どもに毒親の事情とやらへの理解を求めるようなら、
それはもう親の資格なんてないよ。

現代社会において子どもという概念を理解していない人間に子どもと関わる資格はない
人は不完全だが《犯罪者》になってはいけない。
人は不完全だが《毒親》になってはいけない。
人は不完全だから《なるのは仕方ない》と言う人は、【犯罪者である自分】【毒親である自分】と向き合わずに逃げている人。
毒親の問題は「親が完全でないこと」じゃないんだよ。

完全じゃない親が、子供に対してあたかも自分が完全な存在であるかのように振る舞うことこそが問題なのに、問題の履き違えもいいところだなぁ。
子供たちは

「うちの親は毒親だった、おかげで人生ごと酷い目に遭っている」

と苦しみの声をあげているのであり、

「うちの親は100点満点じゃなかったから毒親!ひどい!」

と言ってるわけではないと思うんだけど、
境界線がどうかしてると自分が子供に高望みされて辛いみたいな話に感じるのかね。
境界線が無いことを「毒」と言います。
これは、あらゆる人間関係においてそうです。

「毒親」という言葉の意味

「毒親」は、
自分に傷がある事に気づいた人が
「私にはどうしてこんな傷があるんだろう、いつからあるのか」
と解析する時に便利な言葉。


漫画「しんどい母から逃げる!!
いったん親のせいにしてみたら案外うまくいった」より抜粋
「毒親」は親のどういうところが自分にとって毒だったのか、
子ども側が知るための言葉。


交通事故に遭って、警察の人が「どういう事故だったか」と調べるのと同じ。

こういう風に車があたったからこういう傷になったんだ、と分かるのと分からないのじゃぜんぜん違う。
私も、親は完全でない、ご自分を責めないでと、言います。
でもそれは、親という立ち位置の怖さを知る親御さん自身へ。

子側は子側の視点を持つ自由がある。
親との関係性を整理する為に、毒親という言葉が必要な事もある。
子側の視点の尊重は、親側の大切な仕事と考えています。
毒親か毒親じゃないかなんて、子供が毒親って思ったら他の誰がなんと言おうと毒親だし他の人が首突っ込めるような領域じゃないと思う。

そんな簡単に語れるほどのものならそもそも毒親じゃないような。
全てを知ってるのは当事者だけでしょう。
想定してる程度の違いから意見の食い違いが出てる気が。
この人の言う「毒親」と、私を虐待した「毒親」は種類もレベルも違います。

子供への愛情故に結果的に子供にとって「毒」になってしまったのと、
気分で子供をぶん殴ったり金を取り上げたりする毒親は違うと思います。
毒親の放つ毒の酷さを知らない善意の人ほど

「ほらお母さんも真摯に反省してるのよ、優しくしてあげなさい」
「手紙くれたなら電話の一本でもしてあげたら」と言う。

突き放すとしおらしく謝ってきて仕方なく優しくしてあげるとまた都合よく近寄ってきて支配してくる、あのカラクリに騙されてはいけない。
「毒親ほど外向けアピールには長けている」せいで、
メディアに出てくる親は実はこっちの方が多くて
誤学習の拡散がまだ止まらないところが闇だよな。
内側知るまでは私も見誤ったままだった。
「親は完全じゃない。不手際も、失敗も、言っちゃいけないことも言います。子供がそれを全く分からないまま『毒親だ』と子供に言ってほしくない」

だいたいの子どもは親の気持ちをわかろうと頑張る。
それを裏切られ続けて、でも諦めきれない子が「毒親」という言葉で助けを求めてるのだと思う。
子どもがいると親の孤独は満たされるかもしれないが、子どもは親の孤独を満たす道具ではないのでうまく機能しないからと子どもに当たるのは全くの筋違い。

子どもに責任を負わせることはこういう親子関係がどんどん再生産されていくことにつながる。それを断ち切ろうとみんな努力してるのに。
本当によくない。
完全ではない親でも何だかんだ育ててくれたとか、面倒を見てくれたとか支えてくれたってのはものすごいアドバンテージなんですけど、

それをぶっちぎって苦手とか嫌いとか毒親って子供から評価されるってことはまぁそういうことですよ

母子は人権を「侵害しあって」いる

人権はぶつかるもんだし、欲望は争うものです。
これが基本です。

親子の人権はぶつかるものなのです。

赤ん坊に振り回されて「親は健康な生活を脅かされている」じゃないですか。
子供の安全を考えて行動規制するのは「子供の自由意志を侵害してる」じゃないですか。

人権はぶつかるし、欲望は隠される。
親側の方が圧倒的に「強者」だから、
親側の欲望をキレイにコーティングする言葉がワンサカあるわけです。


己の欲望をキレイな理想に仕立て上げられるのが「強者の特権」なのであります。

子供の安全を守ろうのキレイな理想の影の「自分が辛い思いをしたくない」を見ないと侵害の正当化が出来上がる。
子供側の欲望は愛されたいである、ともよく言われるのだけど、
これにも省略されてる言葉がある。
(自分の理想通りに)愛されたい、が子供の欲望だ。
親も当然(自分の理想通りに)愛されたいし、愛してるつもり、だから、欲望は争うよ。
個人の心の中のイメージは、それぞれ「違う」のだから。
ぶつかって、争ってばっかりじゃ、しんどいわけで、
それで色々な「方法」が編み出されるわけでしょ。

愛だと名前をつけて、義務だから選ばれたからと自分を宥めたりもあるし、
争いをやってみるって手段もあるし、

それぞれのステップと段階を踏んで、それぞれが生きていく。
社会的なルールもその延長だ。
ぶつかるし、違いがある、のを前提として、
そいじゃその先、どうやっていくかねぇ?の話が出来るようになるので。

毒親の考え方はその段階の一つ、手段の一つなのだから、

毒親なんて言わないでなんて、甘ったれてるんじゃねーよって私は思う。

「毒にならないなら薬にもならない」はうちの息子の名言だ。
毒をどう調合して薬にするか?が知恵と呼ばれるわけで。

ぶつかる人権があって、解決したりされなかったりしながら、
ラクを増やすには?生き延びるには?って中で、
色々な手法や考え方が編み出されるのであって。

毒と薬の差は単に「頻度と量の問題」でもある場合もあって。
個人の体質はそれぞれだ。
というわけで、私の考え方としては

「基本的には、子供サイドの人権と欲望が優先される方が全体生存率が上がるし、平等に近づける方策である」

との結論に至る。

親の方が強者だから、子供の方が死にやすいから。
昔みたいな「尊属」思想は、子供は親の持ち物の意識で個人を育成しないと思っている。

毒親という言葉は”ピア”として使うべき

『毒親』という言葉も考え方もなく、苦しんできた人たち。
で、ちょうど子育てが終わって。
次に自分の子供が親になろうとしてる・親になってるとこで、
自分の子育てを『毒親だった』と否定される。


そういう層もあるだろうなあ。
気の毒だとは思う。
というか、まあ次は私ですわなぁと同情もする。

ただ、人生は長いし世界は広いし「毒親」と言わないで、
親を理解してとこの上まだ子供に縋りつかんでもと思う。

「毒親」という評価にとらわれてると、野山踏み分け更に毒親道に突き進んでそりゃ苦しそうやがなーと思う。
私は、親を1人の不完全な人として理解はしているつもり。
でもって自分も不完全な親で。

そりゃその不利益を被った被害者に許して受け入れてもらえたら、どんなに救われるだろうとか想像は容易にできるけど、
私自身親を許せないし、たぶんそれを子供に求めるほど弱ってないんよなまだ。
その気持ちは子供に求めるんやなくて、共犯者に求めるべきやないかなと。

後悔でも、開き直りでも、正当さの主張でも、なんでもええけどそれ子供に求めんと、
同じように「毒親」って言葉に傷つく仲間で理解し合うのがええと思うんやけどなー
なんにしても、子供からの理解と許しが自分の肯定感って私はイヤやわそんなん。
「親の孤独を知って」って知らんでええわそんなん。
私も夫もめちゃくちゃ努力して息子の親として最善を尽くそうとしてるけど、息子は私たち夫婦の失敗したことばかり覚えてて、たびたび恨み言を浴びせてくる。
将来「毒親」とか言われてるかもしれない。
でもそれはいいんだ。
息子がどう思おうと、私はまだまだ努力するつもり。
「毒親」と呼ばれてしまう人たちの孤独なり悩みなりを無視するべきではないと思うけど、そこに寄り添うのは子供の役目ではないよな。

子供は文句を言っていい

うちの母の抱える苦労や孤独はある程度は理解してはいる。
でも同時に私がどうにかできるものではない、ということもわかってしまったから、母の心を満たせないと罪悪感を募らせるのはやめようと思った次第。
みんなダイスキ「無償の愛」ってやつは、
「親から子へ」ではなく、「子から親へ」
誰もが無条件に与えられているのだと、ワタシは思うよ。

大きくなったらさ、もう子供から親に「無条件に」与えなくっていいよ。
それまでたくさん、与えてきているはずなんだもの。
親から、温かい食事、安全な寝床、十分な教育を受け取ったとしても、

「だから親の欠点には目をつぶって感謝しなければならない」
ってことは、全然ないですよ。
「親からされて/されなくて、イヤだったこと」
は、堂々と言っていいんですよ。

ワタシは「親」という立場にもあるけど、これ、心から言うよ。
「食事・寝床・教育をありがとう!おかげで大きくなりました!ところで、コレとコレとコレについては、ほんっと嫌で、今でも許せませんわ」って言っていいからね。

直接言えないなら、Twitterに書くのオススメよ。
ワタシも、ほとんどは直接言わずに(言えずに)ココに書いてるからね。
「子供を『自分の感情のゴミ捨て場』扱いしてもいい」
と無自覚に思っている親は多かろうと思うし、
そして、その親もまた「自分の親から『ゴミ捨て場』扱いされた」過去があるのだろうなと推察するけど、

だからこそ、その次の世代は「自分はゴミ捨て場にならない」という鉄の決意が必要なんよね。
子どもを育てるのに孤独はつきもののようなので、
親だろうが支援者だろうが、
ちゃんと繋がれる人を探して繋がって、
励まし合う場を持つの大事だと思うんだ。