dims (3)
前から呟いてるけど、

私はいわゆる「カサンドラ症候群」は
配偶者が自閉スペクトラム者か否かと無相関に起こる
「夫婦同居ストレス障害」
と捉えるべきで、

自閉スペクトラムと関連づけること自体が「臨床的に誤り」
かつ「自閉スペクトラム者への不当な侮辱」だと考えている。

理由。

夫婦同居ストレス障害は関係性の困難であって一方のみに理由を求めること自体が誤り。
自閉スペクトラムの有無が実際に夫婦同居ストレスの多寡に影響しているエビデンスはない。
自閉スペクトラム者にもそうでない人にもよい人も悪い人も結婚生活に向く人も向かない人もいる。

私の仮説というか持論。

いわゆる「カサンドラ症候群」は、
実はそもそも当人が夫婦同居に伴うストレスへの耐性が弱いことが主因
であって、自己憐憫のための当て擦りで「配偶者が自閉スペクトラム者である」という事実をスケープゴートにしているだけ。

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なるほど

アスペルガーなど発達障害を抱えた配偶者じゃなくても起きることなのに
ことさら発達障害の配偶者に要因を求めるのはおかしいと。


ふーむ。

カサンドラ症候群って、自閉スペクトラムだけに紐付けされているの?
それは違和感ある……夫原病と同じ違和感。

診断名や原因はどうあれ、
パートナーの言動が度を超えてストレスフルな上に、
マトモな話し合い(相互理解・歩み寄り・治療など)に至れない状態が続いて起こるのかと思っていました。

補足。

私の主張は「カサンドラ症候群は存在しない」ではなく、

夫婦同居ストレス障害から「夫婦の一方が自閉スペクトラム者であるケース」だけを抽出して名前をつけることがそもそも間違っている

(そして自閉スペクトラムを貶める悪意がそこにある)ということ。

そもそも、夫婦の関係性のありようなんて、夫婦の数だけあるはずで、
夫婦関係にまつわる個別の事象への第三者の共感なんて、表層的なものでしかありえないんじゃないかな。

これは敢えて挑発的に書いたけど、
確信をもって言えるのは、

ある種のパーソナリティ障害をもつ人は自己憐憫で相手に罪悪感を抱かせることで相手を精神的に支配することで自己防衛する、そのために相手のどんな小さな弱みや失敗にもつけ込む、

そういう人にとって自閉スペクトラムは格好の攻撃材料。

ともかくも、非典型者の人格を典型者の価値観で貶めること(=差別)には、常に批判的でありたい。

そして、私は、「カサンドラ症候群」という、現象の切り分け方と名付けに、差別意識を強く感じる。

前半は同意ですが、後半は疑問です。

一連のツイートを拝見しましたが、これは会社や学校でも起こっています。

また、健常者・発達障害者、という組み合わせだけでなく、診断がつかないレベルの軽度の発達障害者同士、などのケースもあると思います。

なぜ自閉症と無相関と言えるのか。
エビデスンスの無さは、どちらにも当てはまる。

まだ十分に研究されてない分野なので。
夫婦同居ストレスに耐性が弱いとなぜ言えるのか。
定型✖︎定型であると思っていたのに、実は、不定型✖︎定型であった場合すれ違いが生じるのは必然。

そのすれ違いの原因が分からない間のストレスは通常の定型✖︎定型では発生しないこと。
少なくともカサンドラは「上手く」夫婦として機能したいと、心壊れるまで努力した結果。
自閉症者にも様々なタイプがあるので、全てが原因ではない。
けれども原因となる凸凹もあるのが事実。

「自他未分離的な性格傾向」が原因では?

まず、論調が過度に挑発的でカサンドラ症候群当事者やパーソナリティ障害当事者に対して攻撃的であるという批判は、甘んじて受けます。

本題。

人の行動様式や価値観は個々人で違って当たり前で、夫婦同居に伴うストレスは定型ASD問わず起こり得る。

で、双方がストレスアウトされないために必要なことは、つまるところ、違いを認めて受容する、あるいは双方が自他境界を尊重して相手の内心に立ち入らないことではないか。

ところがカサンドラ症候群当事者の手記とか読んでると、「それは相手だけで完結する問題で、あなたの問題じゃないでしょ?」「ほっときゃいいのに!」とツッコミたくなるほど、自他不分離、不寛容、過干渉、過共感(?)と思えるエピソードが次々に。

それを考えると、夫婦同居ストレスのリスク要因は、
相手との価値観や行動様式の差異より、
むしろ、自他分離の不全とか、他者の価値観や行動様式への不寛容とか、
そっちにあるんじゃないかと思えるわけ。

で、自他分離不全の最たるものが境界性パーソナリティ障害(BPD)。

BPDの特徴は見捨てられ不安、自他分離不全、躁的防衛。

これをカサンドラ当事者手記のエピソードに当てはめると、、、

ASDパートナーの独特な行動様式や価値観、
それに伴うパートナーと外部社会との摩擦を、
相手の問題だからと自分から分離できず抱え込んで罪悪感を抱く
あるいはASD者の共感表現不得手ゆえ見捨てられ不安を募らせる、
そして相手のASDをスケープゴートにして一方的に相手をなじる躁的防衛。

カサンドラがすべてBPDだとは思わないが、
カサンドラ症候群を引き起こすエピソードを、自他不分離、見捨てられ不安、躁的防衛というキーワードを念頭に再解釈すると、見事に符合する。

だから私は「カサンドラ自身にこれらの性格傾向があることがストレスの原因では」と疑うに至ったわけ。

そう考えると、

配偶者がASDであることは(リスク増大の因子とはいえ)副次的な要因で、
むしろカサンドラ本人側の性格(とりわけ自他分離の不全)のほうがストレスを引き起こす要因として強く働いてるように思えてくる。

もうひとつ、
私がカサンドラ症候群のASD濡れ衣説を主張するのは、
ASD擁護やカサンドラ批判が目的というより、
原因を見誤ったりスケープゴートに擦りつけたりすることは問題解決を遠ざけて悲劇を増やすと思うから。

ASD者の独特な(悪く言えば奇異な)価値観や行動様式、それに伴って本人やパートナーに生じる軋轢や心痛を解決するには、とにかく「それはそういうものだ」と受容することが第一歩なわけで。

それと、これ↓は私の信念ではなく、「こう考えても説明がつくのでは?」という、問題を考えるにあたっての作業仮説なので、むしろ私が納得できる論拠で反論してほしいと思っている。
真に納得できる反論が出てくれば宗旨替えを厭わない。

反論

一連のツイートの中で1番酷いと思った部分なので反論します。

マジョリティー(定型)がコミュニケーションにおいて前提としているルール
(関係性や場面によって微妙に変わるニュアンス、言外の意図、暗黙の了解等々。しかも自明過ぎて多くの場合無自覚)

を、前提としないもの(AS者)がいるとする

2者間のコミュニケーションにおいて、
同じルール(厳密に言えば全く同じでなくても、多くの共通点を持つルール)を前提としない場合、両者の負荷は相対的に高くなるとする(通じ合うためにより多くの労力がかかるため)

一方がAS者の場合、もう一方にどのような人(定型でも発達でもBPDでも)がきても、同じ(似た)ルールを前提としない2者のコミュニケーションになる可能性は"確率的に"高く、そのため、負荷や労力も相対的に高くなる(つまり"相関はある"のではないか)

『実はそもそも当人が夫婦同居に伴うストレスへの耐性が弱いことが主因』

ここが1番引っかかった。

個人の臨床経験として、この"ルールの断絶による苦悩"は計り知れないものがあり、個人のストレス耐性などでは到底片付けられないと感じているから
(むしろこの断絶の深さを説明するべきだったか?)

ちなみに、ディスコミュニケーションの原因をAS(D)者に一方的に求めないこと、には大賛成です。

ASD者と他者の間に起こりうる軋轢を、ある人は「ルールの断絶」といい、
私は「行動様式や価値観の相違」という。
私が思うに、定型発達者なら共通のルールが前提なく通用するという考えのほうが幻想で、
価値観はそもそも人ごとに違うのが当然、
ASD理解は煎じ詰めれば価値観の相対化。

「精神的に支配」「失敗や弱みにつけ込む」が具体的客観的言動として発現しているなら、
それは発達障害とは別の何かであって、
発達障害に原因を求めるのは筋が悪い思考でトラブル解決を遠ざけると思います。
あるいは発達障害とパーソナリティ障害を併せ持つ人かもしれません。

某カサンドラ手記ではASDと浪費癖借金癖を結び付けるかのように論じてるけど、
これは全くの濡れ衣だと確信する。
私の理解や周囲の当事者観察の限りでは、ASD者の多くは、未来の不確実さを恐れるためか、むしろ過度の倹約家というか貧乏性(悪く言えばケチ)で借金を嫌う。

発達障害の当事者一人の言動を見て、その人のネガティブな行動様式を何でもかんでも「発達障害の特性」とみなすのは、同種の発達障害をもつ人々へのとんだ濡れ衣だな。

(本題)読みました。
1つ目のツイートは100%同意。でも結論の↓

『配偶者がASDであることは(リスク増大の因子とはいえ)副次的な要因で、むしろカサンドラ本人側の性格(とりわけ自他分離の不全)のほうがストレスを引き起こす要因として強く働いてるように思えて』

が、なぜ副と主がこうなるのか?

この論拠が弱くて、飛躍しているように感じます。

自他分離ができていても(むしろ大多数の人よりも抑制が効いて理知的と感じる人でさえ)なお、静かに深く苦しんでいる人が実例として何人も思い浮かぶので、僕自身が感覚的にNOと叫んでいるのだと思います。

なので、主と副が反対だ!と主張するようなエビデンスはありませんが、
カサンドラ側の自他不分離が主だとするエビデンスも、同時にない(論拠不十分)
と感じます。

関わりの多い(ASD)側から強引に推論しているのではないでしょうか?
カサンドラ側のデータが増えれば、結論が変わるかも知れませんよ

むしろ「カサンドラの対義語」を作ればフェアなのでは?

私はカサンドラ症候群について、基本的な構造としては

異文化間パートナーシップにおけるストレス状況と考えるのが最も妥当ではないかと考えています

文化が大きく異なる国際結婚なんかが一番近いイメージ

つまり、単に個人のストレスへの過敏性以上の構造があると考えています

ただ、カサンドラは「脳、神経由来の文化の違い」であるため、事前にそのことを想定しにくく、それが問題をより深刻化しているように思います

そもそも、恋人や夫婦間でのことなので、最低限以上の対人関係能力があるASD者との出来事ですし、予想が難しい

ここで言う文化の違いをイメージしてもらいやすくするための例として
「イナクティブマインド」という言葉で説明します

これは「社会的な情報に対する反応性、もしくは過敏性」みたいな概念です

例えば一枚の写真をパッと見たときに、
いわゆる定型発達と言われる人はまず人の顔、特に目元周辺に視線が引き寄せられ

ASD者は社会的な情報以外のものに自然に注意が向くことが多い

これはほぼ無意識に起こることで、自然な脳、神経のあり方に由来する文化としか言いようのない違いだと考えられます

これを私は意識や注意の基本OSが違うとよく例えますが、基本が違えば当然日常の生活様式や関わり様式が異なり、様々な場面ですれ違いや意思疎通の困難が生まれます

これはどちらの責任でもなくただ違っていることが原因なので、乗り越えるためには相互に正しく理解することが必要になります

ここで言う理解とは、「この人はこういう人のだから仕方ない」というものではなく、ベースとなる仕組みを知ることで「ああ、そう言うことね」となる感じを指します

その前提となるのが、自己内省や他者理解の意欲と能力ですが、私はこれは個人差が大きいと思っています

つまりASD者だから出来ないと言うことではなく、ASD者でも定型発達と呼ばれる人でも、出来る人と出来ない人がいます

その為私も、カサンドラという言葉が安易に全てをASD者のせいにして責任を擦りつけるのに都合の良い言葉として使われることには懸念を感じます

そしてASD者と、いわゆるHSPの人やBPDな人たちとのパートナーシップが多いことも、まあそうだろうなと思います

この組み合わせ、ある意味で絶妙に相性が良いのだと思っていて、うまくいけばとてもよいパートナーになれるのだとも思います

なので、私はカサンドラ症候群の対義語を作って広めることが、必要なのではないかと思っています

カサンドラという言葉をなくそうとするよりも、
カサンドラの向こう側にいるASD者が感じている苦悩に光を当て、
そこに名前をつけることで、
より生産的な文脈でこの問題が語られることを期待します

これは完全に同意です。
自他分離、ストレス耐性の他に「異文化への寛容さ、異文化受容への適応性」をキーワードとして明示すべきでした。

カサンドラを「ASD側だけの問題」とするのは間違い

さて、そろそろカサンドラ騒動を収束させたいので、簡単に私の見解を。

私が作業仮説としての「カサンドラ症候群のASD濡れ衣説」
あまりに断定的に述べたため
「それはないだろ!」と反応する人が少なくなかったこと、
カサンドラの定義が曖昧なまま私の狭い観測範囲から大胆な推論を試みて勇み足になったことは、その通り、私の議論の未熟ゆえと思います。

さて、ASDは夫婦同居ストレスの増悪因子か? と問われると、
それはそうだと思う。

しかし、ストレス障害の原因とされるパートナーの言動がすべてASD由来かというと、
違うと思うし、ASD者のパートナーが皆ストレスアウトされるかというと、それも違うと思う。

定型同士カップルでもストレスは生じる。

その意味で、
夫婦同居ストレス障害から「夫婦の一方/両方がASD」のケースを殊更に切り分けて○○症候群と名付けるのは、
第一に趣味が悪い、そして、問題の分析として悪手だと思える。

過度にASDに注目して問題を捉えるのは、問題の真の原因発見や克服の手助けを遠ざける結果にもなると危惧する。

だから、カサンドラ症候群のエピソードを、「パートナーのASD特性のせい」という先入観を排して再解釈すれば、
実はカサンドラ側の性格や心の動きの特徴にも原因を見出せるんじゃないの? という考えで、あえて極端な作業仮説に基づいて論を唱えていたわけで。

実際、夫婦同居ストレス障害の因子として、パートナーのASD由来の行動特性と、本人の性格やストレス耐性と、どちらが強く効くのか、わかりません。

でも、ASDだけを目の敵にしてその他の因子を見ようとしないのは、困難にある人の救済を遠ざける結果になるでしょう。

「カサンドラ症候群」という名は気に入らないけど、
ASDと関連づけず、夫婦の価値観や行動様式の相違に起因するコミュニケーション不全がもたらすストレス障害と捉え直して再定義するなら、それはひとつの見識と思います。

引用元
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