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女性のASDには「情緒と論理の両方に配慮した関わり」が必要

私はそんなに高IQではありませんが、この

「論理と情緒の両方に相当配慮した関わりが必要」

という部分、荒れていた少女時代にとても思い当たる節があります。

一度発達障害に詳しいというカウンセラーに相談したことがあったが、

その女性が、私が感じてもない感情に対して勝手に共感を示したことに非常にイライラして結局3回でやめてしまった。

20半ばでもこれなので、
思春期のASD女性を扱うのは至難の技だろう。

「ASD由来の論理的価値観と年頃少女への情緒的繊細さを両方持ち合わせている」

これ本当にそう。


論理的思考が強い一方で、
感情的な側面も多分に持ち合わせていて、
なのに自分の感情面については無自覚かつ表出方法も同年代の定型女性と比較すると長けてない

ので
うっかりすると地雷を踏みかねない。

私自身にどれだけASD要素があるのか、
そしてここでいう「IQが高い」のラインがどこからを指すのかわからないけど、

論理と情緒の話はすごく「それー!!」ってなった。

感情だけで話されてもうまく返せないし、
自分の感情を蔑ろにはされたくないし
女子として生きる上で磨かれた理詰めのコミュ力もあるし

うちの娘、なかなかレアキャラだよ、と思ってたけど。
そうなの。

理詰めの説明と、気持ちに寄り添う共感と。両方が必要。

母ちゃん、難しいなぁと思いながら接してます。
たいてい、他の大人にはわかってもらえない。

ぱっとみ、わかりにくいもの。

年末にこのタイプの受験生の子の悩みににどう対応しようか悩んでいた。

情緒と論理の両方からのアプローチか…頑張ってみよう

専門家から見ても難しいんだなあ。
娘を私が難しいと感じても仕方ないね…

本当にそう思います
(支援する側ではなくて、かつてなら支援対象になったであろう者として)。

当時の自分が患者としてわたしの前に現れても、適切な支援ができる自信はないです。

十代の頃、たぶん、ほぼ誰にも言葉が通じてなかった。

表面的な言葉の扱いはたぶんものすごく正確だったと思うけど、

それにもかかわらず、ほんと、誰にも。

表面的には通じてたから日常生活で困りはしなかった。

でも、「わかってもらえた」感じは、
ほんとに稀だった。


まわりが「わかりあってる」
あるいは「わかり合えるのが当然である」
と喧伝される、それがなぜだかわからなかった。

asph29 私としては、
論理と情緒のバランス
が、一番大切なことなのかなと思っています

要は「完膚なきまで正しいことをこの人は言っている」と
「この人は私の気持ちへの気遣いもしてくれる」の両立ですね

まあ言うは易しですが…

naoto_muranaka 自分自身を振り返るに、

「完璧に正確だったり正しかったりするゆえに
誰も本人の感情が(多少まわりと形は違えど)動いていることに気づきすらしない」


というのがつらさのかなりの部分を占めていたので、

「あれでも、感情は未分化ながら動いているらしい」と「わかってくれる」だけで十分でした。

naoto_muranaka 恐ろしいのは、他のことについてはいくらでも言葉が出てくるし正確に精確に表現することができるにもかかわらず、

自分の感情を表現する言葉を持たなかった

ということです。

いまでも自分の感情は、
少なくとも言語レベルでは、同年代の期待値に比べて未分化だと思います。

このタイプの患者さんとの接し方、試行錯誤でそれなりにコツをつかんできました。

それは

「理路整然とありていに説明する」
「感情が派手に動く部分はスルーしてあげる(それを咎めない)」

なんですが、きっと同じことですよね。

引用元