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子どもの頃から思ってたけど

「弱点を修正していくことが良いことだ」とされる信仰のおぞましさ。

弱点の穴を全部埋めた時に、それはもう「その人」だと言えるのだろうか?

その人の生きたいことで生きている人だと言えるのか?

我々は周りを安心させるためだけに生きているわけじゃない。

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我々はまわりを安心させるためだけに生きているんじゃない、


よ。

弱点を克服するのは違う人間になることと同じだと思う。

絶対に「その人」じゃないよね。
「その辺の人」になっちゃうよね。

言葉にすれば一目瞭然なのに、なぜかそれが正しいと勘違いされてることは確かに怖いこと。

弱点を弱点と決めない方がいいんだと思います。
弱点でもないのに弱点と言われたら、それが呪いになるから。
呪いはなかなか消えないですね。。

他者から弱点だ欠点だの言われたとしても、
それは、その人自身にとっての「欠かせない点」。
その人らしさって、
そういうところにあらわれたりするものじゃないかな。

なんでこんなに賛同者が多いのか謎

わかるけど、弱点のフォローを丸投げされるのも大変なんやわ。

反論ではないけど、
弱点を修正してその人じゃなくなるっていうのはよくわからない

自分の弱点を修正しようとすることは悪いことではないし、その人が自信をもっていくためにも将来のためにも必要なことだと思う

弱点を受け入れてほしいってのはその人の都合じゃない?
相手は違うかもしれないし

ちょっと違う気がする

「世の中で必要とされてる能力は限られてるから、その能力に照準を合わせるしかない」んだと思う

資本主義だから、必要とされてるものしか認められないし、修正していかないと生きていけない

おぞましいのはその通りだけど、どうしようもない

一理あるかもしれないけど、乱暴な運転をする人や酒におぼれるような人、それでいて他人に害をもたらすようなタイプの弱点を持った人間は、むしろ全力で弱点を修正してほしいと思うな~
こればっかりは、「どういう弱点か」にもよりますね
自分では弱点だと思う判断が、必ずしも正しいとは限らない

『良い or 悪い』のような二分法の欠陥の表出例だと思います。

この弱点修正の件も「悪い」と言う人はおそらく皆無。

でも「悪いことではない」と「良いこと」は、まっっっったく違うのに、 伝言ゲームのように中間色が消えて 真意が歪められて伝わってしまう。

良いところは見つけにくい、
悪いところは目に付きやすいからだね。

飛び出るくらい伸びれば武器になるけど、
そうでなければ世の中渡っていくための穴埋めは必要だと親はそこを心配するのよ。

弱点を修正するよりも、得意なところを伸ばしていきたい。
そうじゃないと、弱点が多すぎて辛くなってしまう。

あー。弱点克服型で全体のバランスを取ろうとするタイプからすると、最近の学びでは弱点修正は全体に適応するだけの対処でしかないかなと思い始めた。

時代背景や親の考え、教育環境もあるだろうけど、得意を伸ばしてあげる方が幸せだと考えるようになってきた

大学の友達に私は「宇宙と交信している」とからかわれていた。
人と対面しているときに空想してしまう癖があって、そのときの私は滑稽な姿だったと思う。

初めて指摘され、恥ずかしかった私は意識的にその癖を辞めたけど、果たして正しかったのか。

何か大事なものを失ったような気がする。

自分の弱点は、それをできる人がやってくれると思ってます

私も、苦手を克服しろと言われて生きてきたけど、苦手なものは何をどう頑張っても苦手だし、克服したところで一切手をつけないでいるから意味が無い。
苦手なことは、得意とする人に頼ればいいし、逆に自分が得意とすることを、苦手とする人に代わってやればいいと思う。

全体的に、出来ることを出来る人がっていう考えが根底に来て欲しい。

「みんなと同じ」「みんなやってるから」ってのはマイノリティが排除されるだけ。

誰かの弱点や欠点で誰かが伸びたり学んだりもあるので、
全員で大きいジグソーパズルなんだろうなーと思ったりもします

引用元
しいたけ.の部屋 ドアの外から幸せな予感を呼び込もう
しいたけ.
KADOKAWA (2018-12-15)
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