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俺は視力0.3だけど、

0.1切る人から「それぐらいで近眼ぶるな」とか言われないし、
他人の逆マウント合戦も見ないし、
近眼がテーマの創作も知らないしあっても唆られないし、

俺の人間性に近眼は1ミリも寄与してないんだけど、

全部この世に「メガネ」があるからなんだよな。

発達障害にメガネはまだ無い。

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常々メガネとコンタクトレンズがなければ私は視覚障碍者なんだろうな、と思います。

発達障害のメガネや杖、車椅子が欲しい。

ストラテラ初めて処方されるときに、
「頭がクリアになって、眼鏡をかける感覚」と言われたことがある。

昔、ある大学の先生に、「眼鏡を外せ」と言われた。

外した。

ひどく目の悪い僕は、そのまま生活したら不便どころか危険だ。

先生いわく。

「つまり、あなたも障害者だ。ただ眼鏡という技術で健常者として暮らせる。この世で誰かが不自由ならば、それは科学技術の怠慢なんです」

しびれた。 — 一色伸幸さん

「私は目が悪いからメガネを掛けている。
無ければ何も見えないしできない。障害者だよ。
もし今、障害となるものがあって、困っている人が居るならば、
それは科学が追いついていないだけだ。
私はたまたまメガネがもうできた時代にいるから、
障害者と呼ばれないだけだ」

とお世話になった方が言ってました

障害は科学の怠慢である」ってやつですな

CBydbbmpg お薬はメガネ的な役割はしないのでしょうか??

yusuraume71薬は目を細めるくらいの効果ですね。

視力が0.03ぐらいなのですが、矯正で1.0以上は見えてますので、それほど近眼だとは思っていません。

でも、このように見えやすい障害はあっても
見えない障害は伝えないとわからない。

または、知識がなかったらわからないですもんね

ikuza9090 そうですね。
発達障害は社会的には認知されて無い(か又は微妙に誤解されているか)みたいなところありますが、
それはそれとして、
今自分の足で歩くためにはその社会を受け入れるしか今のところは手はないかなって思ってます。

科学は頑張ってるよ。
にも関わらず、いまだ障害者が非健常者で在り続けるのは、社会が要求する「普通(これくらいはやってくれないと困る)」が高過ぎるから。
健常者すら体調不良や鬱ノイローゼに陥れる、不健全な環境(を作る人)が消えない限り、障害を障害と意識せざるを得ない現実は変わらない。

namihei_twit 科学技術への不満という意図はないです。
身体障害と精神障害で需要のハードルの高さが違うのはある意味で当然ですし、そこは社会に(健常者に)知識があるだけでは絶対に埋まらないと思いますし。
一当事者として、社会には期待せずに「発達エモいよね」って思いながらなんとか生き延びようと思います。

定量的な指標があるかないかの問題ではないですか?

補聴器は保険適応なのに同じ五感矯正器具の眼鏡に保険適応じゃないのが前から疑問でした。
生活必需品なのは変わらないのにおかしいですよね。

でも眼鏡みたいに科学技術の発展で発達障害は解決出来るものとは思えないから
やっぱりその眼鏡の役割は一般人が担うべきなんだよね。

結局は周りの人間が理解者となって、理解という名の「眼鏡」(視点)を持つことが重要。

幼い頃、同級生に「なんでメガネかけてるの?」と聞かれた事があった。

大人がそんな当たり前の質問をしたり、メガネっ子を馬鹿にしたりしないのは、メガネ=視力が悪いという知識があるから。

他の障害も皆が勉強して正しい知識をつけ、偏見や誤解のない世の中になればいい。

「発達障害にメガネはまだ無い。」

至言金言名言。

色眼鏡はあるのにね

引用元
発達障害 生きづらさを抱える少数派の「種族」たち (SB新書)
本田 秀夫
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aa ここでいう「メガネ」というのは、「障害を矯正する装置」というより、広くノーマライゼーションの象徴としての『メガネ』概念ですので、視力と発達の特徴を比較する系のアレは主旨ではなさそう