non7
わたしが子どもの頃、

隣の若い兄ちゃんやっさんは片手が使えず話せなかったけど、
自転車乗れたから豆腐屋の手伝いに行ってた。

耳が聞こえない知恵遅れのねえねえは風呂屋の子守番。
お母さんがお風呂入ってる間に赤ちゃん見てるのね。

そんなささやかな、でも人の役に立つ仕事が沢山あったのよ。

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そうだったなぁ。
みんなで、みんなを見ていた。
その目は監視の目ではなかったな。

ノーマライゼーションってこういう事だと思います

ふむふむ。
当時はひどい偏見差別もあったけど、そういう方たちにささやかな仕事を目立たず世話してた地域の優しい人たちがいたこと思い出した。

地元では自閉症気味の青年が、
子供の頃から知り合いだった人の個人経営の商店で働いたりしてるけれど、
そういうことができる場所は日本に幾らも残されていないのだろうな。

今はキモいおっさんてだけで存在意義を問われる時代。

世知辛いというかなんというか。

pappurin 昔って何だかんだ雇用創出されてたんだよね。
盲者にも按摩がいたり。

takaorigin それだけ世の中がシステム化されてなくて隙間が沢山あったのでしょうね。
彼らを預かってくれる施設も少なかったし。
市場やら個人商店が盛んだった時代の話なのかもしれませんね。

pappurin うちらの旧い下町では

「手伝(てった)い」

という、

「何でもやる軽作業」をする人がようけいました。

pappurin 「仕事師さん」とか呼ばれとる地域もありましたわなぁ……
別に本職は何でもよくて、そのお屋敷なり商家なりに出入りする「人手」一般というか。

いや、別にお屋敷でなくてもそういう役回りに便利に使うてもらえる、そういう存在。
松竹新喜劇なんかに必ず出てきたような。

tanaka93225760 でっち奉公というシステムは衣食住付きで専門技術を現場で、
しかも「タダ」で学べる素晴らしいシステムだったと思います。

孝行糖売り歩かせる的なね。

pappurin 世話焼きオバさんも減少の一途で、恋愛不向きで見合いでしか結婚できなさそうな雰囲気の人たちの希望も潰えつつありますしねぇ。

FreeTIBET2008 そういう人がたに

「●●番」系の役割をとりあえず与えて存在理由を公認化してゆく知恵、

ってあったんですがねぇ……(´-ω-`)

FreeTIBET2008 何年か前にもこの話しましたねえ。

踏切番、留守番、下足番、木戸番、なんて仕事が沢山ありました。

旅館の旗持ちのおっちゃんとかも。
今じゃスーパーのカート片付けくらいですか。

FreeTIBET2008 温泉場の客引き、
地方の寄席や劇場の下足やまかない、
飯場のめし炊きに寺男……

喰い詰めてどうにもならん時に
足向けるべき場所なり方向ってのがどんな時代にもかならずあって、
そこへ誘導してくれる世間ってのもあり得たはず、なんですがねぇ……(´-ω-`)

あったなー。

近所の金具屋の知恵遅れのおっちゃんが月末の集金を任されててズカズカと何処に行っても有無を言わさずきっちりお金をもらって来る。

行く先々でK屋さん来はったで〜とお八つも出されて店の人気キャラクターの様に良い働きをしてはったと、童話のように子供の頃に聞いていたなー。

人が生まれたところの、
生まれた人たちとほんの少しの広がり程度の世界の中で経済が回っていた頃。


今よりも人のつながりが大きく、それが突然に外部からのアクションで大きく影響を受けるということもそれほどない頃の生活とはこういうものだったのかなとか、最近自転車旅の先等で思うことあります。

生活コストが低かったら出来るんだけどね。

みんなそれで食べていけてたの?

hohihasyuli 大家族で暮らしてたからなんとかなってたのではないでしょうかね。

障害者は昔と違って在宅の人がほとんどいません。
皆何かの仕事には就いています。
中度の知的の人も作業所で組み立ての仕事や、パンを作る仕事に就いて、賃金をもらっています。
重度の人も更生施設で自分に合った仕事をしています。
障害者雇用は、昔より今の方がずっと良い時代です。

wanyankokko 勿論よく理解しているつもりですし、現在の障害者への就労支援を批判しているわけではありません。

そういう社会的受け皿が整わない時代に、
小さな町の中で人々が手を携えて生きていたことを思い出したのです。

そのことを書きました。

かつては一つだけのことをすればよい仕事が多く
発達障害者や知的障害者でも比較的働くことができたけど、
現代ではその仕事はまさに機械がやってしまっており、
サービス業のようなマルチタスクな仕事しか人間には残らなかったからこんなにも人手不足が深刻化してる

という話を聞き、難しい顔をしている。

最低賃金によって「本でも読んでここで店番しといて」みたいな仕事が消えた社会だと、
そういう仕事が存在し得たということが本当に想像できないのだろうね。
ひっきりなしに動き回るスーパーの店員さんみたいなのが本当にこれ以上ない簡単なシゴトだと思い込んでいる人までいる、恐ろしい。

今だってあるよ。
ささやかな仕事。
あなたとささやかな仕事人の間に距離ができただけだよ。

不可視化されてるだけで今も需要は山ほどあるんだけど、なんとしたらいいのか

最低賃金以下の雑務とかいくらでもあってネコの手も借りたいくらいだけど、
最低賃金未満では雇ってはいけないので、
どんなに簡単な仕事でも最低賃金以上で雇った人材でなんとかやるか機械を入れるしかない。

無職の人がいても最低賃金程度の仕事ができないんじゃ切り捨てるしかない、法律があるから。

世の中には知能指数70〜85の人(69以下は知的障害)が13.6%もいて、
この人達は生産性が平均的な人(IQ100)の7~8割しかなく、
1時間の労働で最低時給以上の価値を生み出せません。

かつては「店番一日2000円二食付き(客は数人)」みたいな仕事でも食べていくことができましたが、今は貧困ビジネスの餌食です

結局のところ、

30年前には深夜にジャンプを読みながらレジをするだけの店番に時給1000円を払えた日本が、
多能オペを最低時給で酷使する社会に変わったことで、
平均以下の知能であったり並行作業ができない発達障害などが食べていけない世の中になったということなのでしょう。

その一方で、最低賃金以下の雑用の需要はありますし、

このツイートのように普通の人がわざと生産性を落として働く選択もあるはずなのです。

あと、
30年前は自営業者がいまよりずっと多くて
障害者は自分の家で手伝いをすることで生きていけてたんだけど、
今はそのチャンスも少ない。

そういう意味でも失われた20年は大きいんだよなあ。

イオンが出来たって喜んでる場合じゃない。

引用元
発達障害 生きづらさを抱える少数派の「種族」たち (SB新書)
本田 秀夫
SBクリエイティブ
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