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とりあえず

「自分には価値がある」と思えることが自己肯定感ではないよ

というのは、声を大にして言いたい。

自分に「価値はなくとも生きていていい」と思えることこそが「自己肯定感」ですよ。

「自分には生きている価値がない」と思うとき、
その価値は「誰が決めているのか」という話。

自己肯定感は、他者からの評価では実は高くならない。

より高い評価を得たいという、次の飢えがやってくるだけだったりする。

自己肯定感とは「生きていたい」という、自分の中の意志から生まれるものだと思う。

「あなたはすごい!特別だ!」
というのは、褒めるじゃなくて「評価」です。
褒めるっていうのはね「生きていてくれてありがとう」なんですよ。

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価値という言葉は経済学用語ですから
人生に当てはめる類いの言葉ではありません。

ですね。
「存在価値のないものは、死刑に処する」
てな存在無価値罪なんてものないかぎり、生きていていいんですよ。

どんなにダメダメでも能力が低くても生きていていい、
とネガティブもポジティブも全てひっくるめての「全肯定」でないと意味がない。

だから、ダメな時にいかに自分に優しくできるか、
失敗した時の自分への思いやりが何より大切。

評価抜きで丸ごと自分の存在を受け入れていない表面的な自己肯定感は脆い

おーなるほどー。

娘は「自分には価値がある」と思ってる。

そう思いたいんだろうなとも思う。

「価値はなくとも生きていていい」と伝えるにはどうしたらいいんだろう

「褒めて育てる」って言葉が怖いのは、
「褒められるから自分には価値がある」と思う子を育ててしまわないかということ。

逆に言えば「褒められないと価値がない」と思ってしまう。

「褒めて育てる」ってのは「認めて育てる」ってことですよね、正しくは。

なるほど。
特に意味のないことだからあえて普段口に出したりはしないけれど、私は自分をだいぶグズだし超絶不出来な人間だと認識してたりする。

でも、別にそれでも良いと思ってるし、
心底無価値だと思ってても堂々と生き続けてられる。

これ、自己肯定感ってやつだったんだなー。


いいや、違うね。
俺は自分のことを「生きてちゃダメ」なんて思ったことは一度だってないもの。

多くの人が持っていて、俺が持っていなかったものと言えば、「自分の感性・価値観は正しい」という感覚だ。

それこそが前向きに生きるための重要な資質なのだ。

これって社会主義的な考えですよね。
自分は、より高い評価を得たいという気持ちが自分の成長に繋がると思ってます。
何か間違ってたらすみません。

V6vW6nbR6Pd1o8q リプライありがとうございます。

より高い評価を得たいと思うことや、それによってあなたが成長することを否定するものではありません。

ただ、それを求めないものは不幸であっても仕方がないというなら、
その考え方には疑問を感じます。


僕自身は、自分は誰のために成長するのかという話だと考えます。

isa_kent 返信ありがとうございます。

確かにそうですよね。
成長を求めない人が不幸かと言うとそうではないと思います。

ただ、これだけ見た人が「自分は生きているだけでいい」「頑張らなくていい」という考えになるのではないのか心配になったので返信しました。

V6vW6nbR6Pd1o8q 「自分は生きているだけでいい」
とか
「頑張らなくていい」
というのは、心配するほどいけない考え方でしょうか。


僕はまず、生きていることの実感と、ある種の赦しを得ることが「自己肯定感」だと考えます。

それを手に入れて初めて、しっかりと地に足をつけて「成長」できるのではないかと考えます。

isa_kent 価値の問題はともかく、「生きる目標」は作らないとダメではないのかと思ってます。
「目標を持ってやりなさい」とは散々に言われてきました。
そう考えると自分は目標がブレまくりだし曖昧になりすぎだし、
ダメな人生かなと思ってしまいます。

ken_roku リプライありがとうございます。

目標を持つためには、実はその前に様々なことに興味や関心を持ち、学ぶ姿勢というのが大事だと思います。
そして、その根本は、誰かに評価される目標ではなく

「どんなことに興味や関心をもつ自分であっても生きていていいのだ」

という感覚なのではないかと思います。

価値はなくとも・・・
という評価も、そのうち必要なく肯定できたほうが良いとは思いますね。
でも、段階的に変化しないと、どこかでムリがたたると思います。

isa_kent 生きているだけだったら、死刑囚だって生きているわけじゃないですか。
自分がどういう形で生きていてもいいと思えることが自己肯定感ですか?

maboroshi840 リプライありがとうございます。
究極を言えばそうなのではないかと思いますが、そこまで極端かつ希少な個々の事例になると、僕のツイートなどあまり意味はなさないのではないかと思います。
ご自身の疑問はご自身で解決してください。

isa_kent え、どこが極端な事例なんですか?
「死刑囚でも僕は生きているからそれでいい」
というのが自己肯定感ですという発言なぞ意味がないわけで、
生きていることの肯定の中には、どのような自分のありようなら肯定するに値するかという生きることの質という一般的な問題がつきまとうでしょう。

maboroshi840 あなたの言う「質」、
僕のツイートで言えば「価値」は
他でもない自分で決めれば良いという話なので、例え死刑囚であろうとそれを受け入れられるなら、それが自己肯定だと僕自身は考えます。

あなたの中にある質に合致しなければ不幸なのだと言うのは、ただのあなた自身のエゴに過ぎません。

その理屈だと自分

自己肯定感が地中に埋まっているレベルで無いんだけどどうすればいいんだろう

自己肯定感はどうすればみにつくのだろう

そしてね、僕がいまの世の中を見渡していて、一番不安になるのは、

そもそも「生きていたい」って意志のある人が、若い世代になるほど、どんどん減ってるように感じることなんですよ。

それを責めてるんじゃなくて、責任を感じてるのです。

「死にたくないから生きていたい」で、生きる理由なんて十分なんです。

なのに今の世の中、何かあったら「死にたい」ってなる。
こんなことを言ってる僕だって死にたくなることがある。

でもね、それっておかしいはずなんですよ。
そんなのはおかしいはずだって理想は、捨てちゃいけないと思うんですよ。

isa_kent 死にたい、と思うのは異常でしょうか
世間一般の普通の人は死にたいと思わないのでしょうか
突然すみません

liQuNm2 何が普通なのかは分かりませんが、死にたいと思ったことがない人もたくさんいるとは思います。
なのでとりあえず僕について話すと、わりとしょっちゅう死にたくなりますし、そういう人たちもまた僕の知る範囲にも結構たくさんいます。
誰かと違うことと、異常であることは同じじゃないと思います。

isa_kent 返信ありがとうございます。
誰かと違うことは異常ではない、という言葉に少しほっとした気持ちです。わざわざお答え頂きありがとうございました。

死ぬ勇気がないから生きてるだけでもいいのかな

「生きることへの疑いはなく、しかし自己肯定感は低く他者からの評価を物差しにする傾向が高い」とても若い人。

「愛されてきた故に自己肯定感に他者からの評価は必要としないが、生きることへの執着が少ない」

あまり若くない私との間に
今回大きな齟齬を経験したのだが、どう考えれば良いのか分からない

「他者からの評価は良くも悪くも自己評価を凌駕する」

という仮説を友人と立てた。

であるからこそ、他者の尊厳を全うに評価する社会であって欲しいと願うし、
自己肯定感を育む子供への愛情を親だけに依存する社会はよろしくないと思う。

「生きていてありがとう、が褒めること」というのは至言だなぁ。

それを言えるのは「人」ではない気がするのね。

なんかそういうのは嫌だったんですよ。

バカにしてません?それ。
なにもしてないのにわたしに「ありがとう」と言われて嬉しいか?

これ、自己肯定感が低い人には理解しづらいんだろうなと思う

私も昔は「誰か私に『ここにいてもいい』と言ってくれ」と思いながら、心細く生きてた

今は「私がここにいたいと思えば誰に遠慮することなくいてもいい」と心から思える

自己肯定感は大人になってからでも自分で養えるんだ

引用元
自分を好きになりたい。 自己肯定感を上げるためにやってみたこと
わたなべ ぽん
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