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発達育児をしているとよくこの自己肯定感というものの事を考えるけど、

自己肯定感ってびっくりするほど「自分一人では手に入らない」ものじゃないかと思う。

自分で自分の事を認めてあげて、
そんな自分を誰かから認められて湧き上がるのが自己肯定感じゃないのかなあ。

一人で作ろうとしても作れない。

だから

「自分が認めてもいない自分をいくら人に褒められても自己肯定感は育たない」

と言うことも言えるのかなあと。

褒めても褒めても
それを本人が「そっか、私そう言うとこいいとこなんだな」と思えないとダメのような。

本人の問題でもあるし
他者との関係の問題でもある。


難しいねえ。

結局

人は他者と関わらないと自分を最終的には肯定出来ない
なんて、
高等動物とか言いながら中々不器用な生き物なんだなあと思う。

いや、高等動物だからこうなってんのかな。

これ!
私が言いたいのこれ!!!


自分が納得できていない自分をいくら褒めてもらっても 全然響かないし、
だから褒められるの嫌いだし、最悪「バカにしてんのか」まで逝っちゃったりする。

自分探しの旅が無意味な理由に似ているな。

自分が見ている自分像は結局、自分の偏見でまみれている。

他者に見てもらうのが一番なんだろうが、それが怖くなっている。

自己肯定感に関する言説、

「そのままでいい」系の自分で自分を認めるモノに集約される流れがあるが、
「そのままでいい」事を理解するためにはそりゃもう、
圧倒的なほど”他者”が必要なんだよな。

決して自分の内側の何かをこねくり回して捻り出せるモノでは無い

本当にそうですよね。(__)

暖かい家庭
頼りにでき、そして頼られる親友。
自分を好きと言ってくれる異性。

温かい。

不安=他者希求性質 とすると、不安も前向きに対処できそうなんだけどなあ。

・自分のことは自分で
・他人に迷惑かけない
・自立

が、高圧的に氾濫している。

あるがままの自分を認められていない人に、

「必要なのは貴方自身が自分を認める事だよ。他人じゃないよ」

と諭すことは、すなわち

「”あるがままの自分”を用意してからこっちに来てくださいね。」

と関係の土俵から追い出す行為と等しいんだよな

他者との経験を吸って成長する人間という生き物に
「自己肯定感の光合成」を求めるのは、
生物としての基本に反すると思うんだよ。

あと、「自分に自信がなければ他人を信じることなど出来ない」
云々も 「自己肯定感高めてから私のこと信じに来て下さいね~」
という門前払い感がある。

自己肯定感の問題、茶番が効かない人が多いから大変だ

自己肯定は自給自足出来ない。

子供の時は親が与えて
思春期は友が与えて
大人になると恋人や家族、はたまたやりがいのある仕事が与える。

人間1人じゃ生きられないのね。

『ありのままでいい』
訳にもいかなかった雪の女王のエルサにはアナが居たけれど、
そういう誰かはきっと
運命の王子様以上にレア。

存在していることへの祝福と承認は養育者でなくともなんとかなる。

誰かが一度でも渡せればそれは希望となるだろう。

ただ、渡し手が養育者ではない場合、当人が渡されたものを受け取れるかは運が絡む。

現実ハードモードだとおもう。

でも可能性はゼロではない。

うーん、話の流れに全くついていけない。
てか、理解ができない。


自分は1人だけど、自己肯定できる。

引用元
自分を好きになりたい。 自己肯定感を上げるためにやってみたこと
わたなべ ぽん
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