はてな匿名ダイアリーに投稿された「恋愛文化はもはや帝国側」記事が話題に。

日本でも戦後の時代は小説「青い山脈」でも描かれたように
自由な恋愛は抑圧からの解放の象徴だったと思います。

それがいまや
「恋愛しなければ(できなければ)ならない」という抑圧
になっているという指摘。

恋愛が他者をマウンティングする為のメソッドと化してしまった話

その通りやと思う

「恋愛文化はもはや帝国側」俺の指摘が話題に

「オタク文化はもはや帝国側」と話題になっているが、

私から言わせれば「恋愛文化はもはや帝国側」である。

「恋愛」とは大昔は「親や権力から勝手に配偶者を決定される被抑圧者」
が解放される、 自ら望んだ愛した人間と添い遂げるためのメソッドである。

それこそロミジュリやカンイチオミヤのようにだ。

恋愛とは、抑圧から自由になるためのメソッドだったのである。

だが現代は違う。

長年の抵抗の勝利により、恋愛に対する抑圧は衰退し、

我々は自由恋愛主義を獲得できた。恋愛文化大勝利である。

―――しかしそこで起こった悲劇とは「恋愛文化の抑圧化」である。

「恋愛がスタンダード」なものになることにより、どんどん抑圧となってしまったのである(ナ、ナンダッテー!?

前述した「自ら望んだ愛した人間と添い遂げるためのメソッド」が

むしろ「お前自ら望んだ愛した人間と添い遂げられる能力も無いの?プッw」

というマウンティングに有用なメソッドと化してしまったのである。


(続きはソースにて)
https://anond.hatelabo.jp/20181209144517
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自由恋愛文化が主流化したことで自由恋愛という価値観が抑圧側に回ったという指摘だね。

これについては変わらないことが一つありますね。

それは

「選ばれる」「選ばれない」と言う価値のもとに分断される事だと思う。

中学時代を思い出せばわかる。
真の恋愛は、上位二名同士でしか生じない。
殆どの男女にとって、恋愛とは一人で調べるお見合い

リベラルメソッドが転じて抑圧側として機能しはじめるという話。
近年の自由市場経済への盲信が強者総取り世界を形成して結果的にネオ階級社会を呼び込んでいるのと同じメカニズムだろう。

「恋愛『至上』主義」といふより

「恋愛『市場』主義」と表現する方が、

「選ばれないのはお前に原因がある」
的な連中の自覚せざるネオリベ指向を表現できてよいとおもひます

そうですね。お見合い結婚から恋愛結婚に逆転したときは自由への脱出でしたが、バブル時代にはもう帝国、強制、強迫になりましたね。

だからいま荒野しか残っていない。

恋愛は、抑圧からの解放だったのが義務になり、今後はイチ趣味へと変化する気がしています。ピアノやテニスと並列の存在になるのではないかと。

オタク文化も恋愛文化ももはや帝国側なのか…

今や…というか、数十年前からそんな感じはあったよね。
当時も今も、ドラマとか小説とか、創作に出てくるような恋愛にまるで共感できなかった身なんだけど、他人からの圧力が凄くて辟易してた。

最近はそれすらなくなってきて恋愛結婚は一部の成功者またはノリと勢いで成し得るものって感じ。

普通に真面目に生きてると縁遠い話ですのじゃ。。

ohka0327 様々な要因があるかとは思いますが、
昔お見合い結婚が主流だった時の方が、離婚率は低いですよね。
自分達で決めた結婚だから、別れるのも自分達の自由ということか…

今の時代、「お見合い結婚」が新しい!?
わたしもそろそろしようかな、お見合い。

30代未婚の方々を見てると自由恋愛しか選択肢がなく困ってるように見える。
俗に言う、出会いがないというやつ。
お見合いとか近所の世話焼きおばさんのニーズは今もあるのではないかと感じる。
出会い系サイトはそれを担うには至ってない。チャラいし。
結婚相談所は切羽詰まらないと行かないイメージ。

sasakitoshinao ある独身女性に「昔はお見合いおばさんがいてね」と話したら、

「黙ってても相手を紹介してくれるだけじゃなく、最低限の与信が済んでる人の中から写真見て指名できるって、むちゃくちゃ優秀なシステムですね。私も入会したい。」

だそうです。

sasakitoshinao 以前料理教室を頼まれて開いたとき、集まった奥さまは全員昭和20年代生まれ。
話題の中で恋愛結婚か、お見合い結婚かと聞くと、10人全員が見合い結婚であったことに驚きました。

恋愛は親が決めた相手と結婚するという抑圧からの解放だったのに、今は「恋愛できない奴は負け犬」的な抑圧手段にという話。

むしろ恋愛結婚を悪とし「僕達は恋愛などせず結婚しませんか」って社会になれば少子化解決するんじゃ?

すごくわかる。

わかるんだが、

こんな考え方が出てきた事自体が
恋愛に対する不自由さを増長させている気もする。

でもな。
恋愛を経験した人生の方が しない人生より 深みが出ると思うな。

恋愛は抑圧からの解放、というのは今でもある気がするなあ。
若い頃からやたら恋愛に積極的な子って、得てして親との関係が上手くいってなかったりするし。

この手の話にはいつも不可解さを覚えてしまう。
恋愛しなければならないとか、恋愛しなくてもいいとか、

それって人を好きになるとは違った社会的な何かなのかな。

結婚するべきとか、結婚しなくてもいいとか、
そんな話と同じなんだな。たぶん。

恋愛と婚姻は同意ではないし、人を好きになるが男女(男男、女女)双方一致しなければならないと言う事もない。

一生誰も好きになることが無くてもいいんじゃない。ぐらいでよい。

恋愛なんて計算(考えて)して結果なんてでないよ。片意地張っても意味がない。

環境に適応できない遺伝子は淘汰される。それが起こりつつある。少子化は子を産めという抑圧からの開放、になるのかな?とにかく、淘汰と適応がおきないと正常化しない段階なのかもね

でも帝国側だからといってそれが何だと言うのだろう。

結局のところ人間は性欲由来の愛情を捨てることができない。

恋愛文化を捨てた気になった人々も結局のところ恋愛をする。
その事実こそが全てだと私は思う。

恋愛感情は単なる「文化的構築物」に過ぎないのだろうか。
しかしだとすればどうして君たちはそんな構築物に惑わされ続けるんだ。

はてなでもTwitterでも「恋愛文化」なり「恋愛イデオロギー」への批判が盛んだけど、

パートナーを求める気持ちとかいないことのつらさって
社会的・文化的なものよりも
生理的・進化的な要素の方がぜってえ圧倒的に強いと思うし、
社会構築主義的な観点から論じてる時点でぜってえ的外れだと思う。

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