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「自分自身で他者を承認しようとしない人は、そうはなかなか他者からの承認を受けられない」とは思うかな。

「自分の思った形で承認されたい」だと実は承認されてるのに気付かないとかそれだと満足できないとかはありそうですよね

それ多分誰かにかけられた呪いじゃないのかな。

「今の自分ではない何かにならなければ自分は承認されない」
って思っているってことは、
自分自身が「今あるがままの自分」を全然認めていないってことで。

人は自分が扱われたようにしか接することが出来ないとは聞いたことがあります。
無自覚ならば、という話だと思いますが、自覚すること自体に非常に苦痛を伴うことでもあるかと。

まぁ自分のことを振り返ってみても「ぐは」となるような記憶が多い

子供の頃似たようなことがあって、

「とにかく友達を作る」の呪い

にかかってた私は、
フィーリングとかコミュニケーションとかはよく分からないけど、
とりあえず「友達」の輪に入れてもらえることを目的にしてた。

そこで何となく優しそうに見える子に話しかけたり、
自分の好きなことはともかく相手にすべて合わせたりして、
なんとか「友達」の輪から外れないように必死になっていたけど、

肝心の「相手」に関心や興味がなく、本当に上辺しか見てなかったんだなと思うもん。

何よりも相手に失礼だし、
私のそういうところも恐らく見透かされていただろうから、
「友達」からおざなりな扱いになることも多かったけど、
自分に原因があるとは分からなかったんですよね。

たぶん、こういうところ「彼女が欲しい」と考えてるRTの人々と似てるところあるよな・・・と思う

「友達を作る」の呪いから解放されたのは短大の頃で、

グループに入らず、一人で図書館で映画見たり好き放題してたら、

授業で隣になった人とかいろんな人と話せて、

そっちのほうがずっと楽しかったことで解放された感はある

本当は

「話してたら楽しかった」
「楽しい相手だから一緒に遊ぶようになった」

の先にあるんだよね。
「友達」とか「彼氏 / 彼女」って言える関係。

ホントにそれなんですよ。

一緒にいて楽しい、フィーリングが合う、からの「友達」なんだけど、
子供のころの私にはそれが分からなかったし、
そういう経験もしてこなかったので、

とにかく相手に合せる、顔色を伺う、
相手にとって便利な私なら一緒にいて貰える、という思いしかなかったですね。

だから、
「仲がいい人同士のコミュニケーション」
の上辺だけ見て真似して嫌われるというね(追い吐血)

あすさんのこれ、友達が欲しいじゃなくて恋人が欲しいでもやる人がいる…
あといじられキャラだからって雑に仲良くないのにいじっちゃう人とかね、ツイッターでもたまに見ますね…

いますね…

もうコミュニケーション全般がそんな感じなんだろうけども

真似して相手に引かれてしまい

「あの人はよくて私がダメなのなんでだ!顔か!?やっぱり顔なんだな!?」

となるところまでが様式美

※顔の部分には「自分がこれなら好かれると思ってる条件」を色々当てはめることが出来る

さらに何で「友達を作る」に拘ったかというと、
これも友達がいない私を不安に思った母から執拗に「今日は友達と遊んだのか」と聞かれたからですね。

子供の頃、「人の顔色ばかり窺ってビクビクしてる」のを母から心配されてたわけですが、

そもそもそう仕向けたのは母であり(不機嫌コントロール)、

母自身も人の顔色を伺う人でもありましたからね。

(とにかく私の顔色を伺って無表情だとどうしたのとかいちいち聞いてくる)

放課後に友達と遊ばないと怒るとか、嘘つくと「じゃあお友達の家に電話して確認する」までやるのはいかがかと思うわねw

「子供が友達と遊んだかどうか」って「親の管轄外の話」なんだけど、
親がそこを切り離せてなかったってことは、
親自身が自分の「個の領域」を多分自覚出来てなかったってことなんだろうな。

自覚してなかっただろうし、今でも怪しいですね。

一人でいる方が楽だし楽しいじゃんと本来の自分を思い出したという意味では、呪いからの解放と言えるかな

そして楽しそうにしてたから、話しかけてくれる人が増えたというね

とりあえず

「自分には価値がある」と思えることが自己肯定感ではないよ

というのは、声を大にして言いたい。

自分に「価値はなくとも生きていていい」と思えることこそが「自己肯定感」ですよ。

「あなたはすごい!特別だ!」というのは、
褒めるじゃなくて「評価」です。
褒めるっていうのはね「生きていてくれてありがとう」なんですよ。

私の場合ですが「ま、いっか」に近かったかもな

今に至るのになにか頑張ったか?
と考えると少なくともこういう思い込みのあったころ
→「とにかく相手に合せる、顔色を伺う、相手にとって便利な私なら一緒にいて貰える」
よりは頑張ってないと思うし、「諦め」とか「開き直り」のほうが大きいかもw

難しいですよね。

私もどちらかというと「私とつきあうことで何かしら相手にメリットがある人」になりたいと思って今まで頑張ってきて、

「何にもなくていい」という感覚がわからないところもあるし。

「何かしら相手にメリットがある人」に価値があると思い込んでた私は、

逆に「何もしてない(ように見える)のにみんなに愛されてる人」に嫉妬を覚えたりもしていたことがあって、

単に自分がそういう価値観に縛られて必死になってただけなんですけどね。

引用元